枕草子と喪服

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枕草子bot @bot20112725

ねたきもの、人のもとにこれより遣るもまた返事にても文書きてやるに使ひの往ぬるのちに歌の文字を一つ二つにてもさこそ言ふべかりけれなど思ひなほしたる。とみの物縫ふにかしこく縫ひはてつと思ひて、針ひき出だすほどに糸の尻を固めざりければやがて抜けぬる僻縫ひしたるもいとねたし 堺本111

2022-01-12 18:18:16
枕草子bot @bot20112725

ねたきもの これよりも遣(や)るも、人の言ひたる返事も、書きて遣りつる後に、文字一つ二つなどは思ひ直したる。頓(とみ)のもの縫(ぬ)ふに、縫ひ果てつと思ひて、針を抜きたれば、はやう結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるも、いと妬(ねた)し。 能因本 100段

2021-12-24 19:17:53

100
 ねたきもの これより[も]遣(や)るも、人の言ひたる返事も、書きて遣りつる後に、文字一つ二つなどは思ひ直したる。頓(とみ)のもの縫(ぬ)ふに、縫ひ果てつと思ひて、針を抜きたれば、はやう結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるも、いと妬(ねた)し。

 南の院におはします頃、西の対に殿のおはします方に、宮もおはしませば、寝殿に集りゐて、さうざうしければ、たはぶれ遊びをし、渡殿に集り居などしてあるに、「これ只今、とみの物なり、たれもたれも集りて、時かはさず縫ひて参らせよ」とて平絹(ひらきぬ)の御衣(ぞ)を給はせたる。南面(みなみおもて)に集り居て、御衣片身づつ、たれか疾く縫ひ出づると挑(いど)みつつ、近くも向はず縫ふさまもいと物狂ほし。命婦の乳母、いと<疾く>縫ひ果ててうち置き、つづきに裄丈(ゆだけ)の片の御身を縫ひつるが、そむき様(ざま)なるを見つけず、とぢ目もしあへず、惑ひ置きて立ちぬるに、御背合はせむとすれば、早う違(たが)ひにけり。笑ひののしりて、「これ縫ひ直せ」と言ふを、「たれかあしう縫ひたりと知りてか直さむ。綾(あや)などならばこそ、縫ひ違への人のげに直さめ、無紋の御衣なり。何をしるしにてか。直す人誰かあらむ。ただまだ縫ひ給はざらむ人に直させよ」とて、聞きも入れねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言、新中納言など言ふ、直し給ひし顔見やりて居たりしこそをかしかりしか。これは、夜さりのぼらせ給はむとて、「疾く縫ひたらむ人を、思ふと知らむ」と仰せられしか。

能因本

http://hgonzaemon.g1.xrea.com/makuranouinn.html

91 :ねたきもの

 ねたきもの 人のもとにこれより遣るも、人の返りごとも、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針を引き抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし。

 南の院におはします頃、「とみの御物なり。誰も誰もと、時かはさずあまたして縫ひてまゐらせよ」とて、たまはせたるに、南面に集まりて、御衣の片身づつ誰かとく縫ふと、近くもむかはず、縫ふさまもいともの狂ほし。命婦の乳母(めのと)いととく縫ひはててうち置きつる、ゆだけの片の身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけで、とぢめもしあへず、まどひ置きて立ちぬるが、御背あはすれば、はやくたがひたりけり。笑ひののしりて、「はやく、これ縫ひなほせ」といふを、「誰あしう縫ひたりと知りてかなほさむ。綾などならばこそ裏を見ざらむ人もげにとなほさめ、無紋の御衣なれば何をしるしにてか、なほす人誰もあらむ。まだ縫ひ給はぬ人になほさせよ」とて、聞かねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言、中納言の君などいふ人達、もの憂げに取りよせて縫ひ給ひしを、見やりてゐたりしこそをかしかしりか。

三巻本

http://hgonzaemon.g1.xrea.com/makurasannkan.html

リンク ラフェットの備忘録 ねたきもの【癪にさわるもの】 其の弐 枕草子講座(有精堂)第一巻 「枕草子の虚構性」三田村雅子より 枕草子の記事の選択のあり方について、あるいは書かれなかった部分については 古来多く論評されて来たのであるが、… 例えば、中関白家の人々の運命の暗転をもたらした中関白=道隆の突然の死は、 枕草子の直接の題材とはならないのだが、にもかかわらず死去直後の記録と見なして よいものが枕草子中に認められる。 「ねたきもの」の段…
たられば @tarareba722

四季それぞれの「とびきりの時間」を紹介して世界を祝福する冒頭から始まる『枕草子』。けれどその内容は、史実を調べれば「凋落」や「死」と隣りあわせでの執筆であったことがわかる仕掛けになっています。悲しくてつらい世界が重すぎたからこそ、明るく笑うことで祝福する必要がありました。

2021-07-18 21:28:33
たられば @tarareba722

たとえば『枕草子』三巻本、第九十段「ねたきもの(しゃくにさわるもの)」。この章段は、急ぎの仕立てものを縫わなければならない時に「うまく縫い上げた」と思って針を抜いたら糸の結び玉を作り忘れていたりすること…とあって、そのまま「南の院におはしますころ…」と回想に入る内容です。

2021-07-18 21:29:01
たられば @tarareba722

「中宮定子さまが南の院(東三条院の南院)にいらっしゃる頃、女房たちが総出で急ぎの縫い物を頼まれたことがあります。みんなで裁縫をしていると、自然に誰が一番早いかと競争になって、(年配である)命婦の乳母がずいぶん早く縫い上げたのだけど、仕上がりを見たらまんまと裏表間違えました。」

2021-07-18 21:29:41
たられば @tarareba722

「早く縫い直しなよ、と声をかけたら、この着物は柄物ではなく無地でなんの印もないのだから、この(裏表が逆の)ままでも誰も気づかないのではないか。どうしても縫い直すというなら、私でなくてもいいでしょ。まだ縫ってない人にやらせましょう、と言うことを聞かないので、別の者が直すことに。」

2021-07-18 21:30:30
たられば @tarareba722

「代わりに縫い直すことになった源少納言や中納言の君などは、えらく気が進まなかっただろうし、たいそうしゃくにさわっただろうなあ…。ただ、その縫い直す様子を(気になるのか、張本人の命婦の乳母が)じろじろ眺めていたのはとても滑稽だったけどねー。」 という描写(引用者が現代語訳)。

2021-07-18 21:31:29
たられば @tarareba722

文化祭とかを思い出す「大人数裁縫あるあるネタ」で、最後にきっちりオチもつけた章段なのですが、平安文学研究の大家・萩谷朴氏によると、このシーンは史実での日付がわかっており、中宮定子の父・藤原道隆が亡くなった直後であり、清少納言らが縫っているのは遺族が着る予定の「喪服」だとのこと。

2021-07-18 21:32:48
たられば @tarareba722

清少納言が出仕してから中宮定子が南院を訪れた記録は2回しかなく、そのうち連れている女房たちが急いで縫い物をしなければならない機会は1度だけ。つまりそれが急逝した道隆の葬儀のための列席者の喪服準備であり、喪服だからこそ布がすべて「無地」であり、だからこそ表裏が逆になったのだろうと。

2021-07-18 21:34:04
たられば @tarareba722

道隆の死は、中関白家にとっても中宮定子にとっても最大の転機であり、実際、史実ではこれをきっかけにして坂道を転がるようにして凋落してゆきます。そんなことは書いた清少納言も読む中宮定子もわかっている。わかっていてあえてこの日の記憶を、縫い物の失敗と笑い話として留めているわけです。

2021-07-18 21:35:45
たられば @tarareba722

一部繰り返します。『枕草子』は定子と中関白家の不幸や苦難をあえて書いていません。その「あえて」は、史実を知るほど、より厳しく、絞りこまれた、まるで廃墟の曇り空にかかる美しい虹にのみピントを合わせてシャッターを切った一枚の写真のように、ただ一瞬をすくい上げていることがわかります。

2021-07-18 21:37:24
たられば @tarareba722

平安文学研究者の藤本宗利氏は、『枕草子』を「定子への鎮魂の書」と書きました。 「あざやかな光り」は、すぐ側に「昏く沈む闇」があるからこそより鮮明に輝く。そういう演出論としても『枕草子』は優れており、また執筆当時の読者にはその「闇」がいまよりずっとリアリティをもって感じられたはず。

2021-07-18 21:38:37
たられば @tarareba722

だからこそ同時代の紫式部は清少納言に対して「ひどく悲しかったりつまらないときでも、しみじみ感動してみせたり、なにか面白いことはないかと探し回って、誠実でない態度になってゆくのでしょう」と書くことになったんだろうなあ…と思うのでした。ここらへんは以下参照。 twitter.com/tarareba722/st…

2021-07-18 21:39:20
たられば @tarareba722

よく「紫式部は清少納言のことをボロクソに書いていた」なんていう人がいるけど、そういう人はぜひ自分の目で『紫式部日記』を読んでみてほしい。現代語訳にも目を通して、あの日本文学を代表する作家がライバルのことをどう書いたか、ちゃんと確かめたほうがいい。わりと引くくらいのガチ悪口だから。

2018-11-15 16:10:53
たられば @tarareba722

閑話休題。 他人からどれほど華やかで明るく軽やかに見えていても、重く苦しい現実と戦っている人はたくさんいます。「地獄」はどこにでもあって、誰もが抱えているもので、そうした苦しみがまったくわからない人もいれば、わかっていてなお、さまざまな理由で「だからどうした」と言う人もいます。

2021-07-18 21:40:21
たられば @tarareba722

そのうえで。そうのうえで、です。しんどくても笑っていると、遠く離れていたとしても(千年後であっても)そのしんどさを分かって、その笑顔のうしろにある苦しみに共感して、すこしだけ勇気をもらう人もいるんだと、古典文学を読んでいると教わるのでした。『枕草子』、深いですねー。(了

2021-07-18 21:41:42
たられば @tarareba722

編集者/だいたいニコニコしています/Fav→/大屋雄裕/鴻上尚史/東浩紀/士郎正宗/西原理恵子/伊坂幸太郎/みなもと太郎/中村珍/リアル脱出ゲーム/まどマギ/嵐/おかざき真里/ゆうきまさみ/羽海野チカ/末次由紀/小山宙哉/内藤泰弘/篠原健太/清少納言/羽生結弦/FGO/葦原大介/杉田圭/山本淳子/御用はリプ→DMで

枕草子bot @bot20112725

時司などはただかたはらにて鼓の音も例のには似ずぞ聞こゆるをゆかしがりて若き人々二十人ばかりそなたにいきて階より高き屋にのぼりたるをこれより見あぐればある限り薄鈍の裳、唐衣、同じ色の単襲、紅の袴どもを着てのぼりたるはいと天人などこそえいふまじけれど空より下りたるにやとぞ見ゆる 三

2022-01-19 11:48:18
枕草子bot @bot20112725

時司などは、ただかたはらにて鐘の音も例には似ず聞こゆるを、ゆかしがりて若き人々二十余人ばかり、そなたに行きて走り寄り高き屋に登りたるを、これより見あぐれば薄鈍の裳、唐衣、同じ色の単襲、紅の袴どもを着て登り立ちたるはいと天人などこそ言ふまじけれど、空より降りたるにやとぞ見ゆる 能因

2022-01-15 09:48:07
hundredswing @hyakusobunko

[第一六五段] 若き人々、二十余人ばかり、其方に行きて、走り寄り、高き屋に登りたるを、此れより見上ぐれば、薄鈍の裳、唐衣、同じ色の単襲、紅の袴どもを着て、登り立ちたるは、...(3/7片渕監督トーク関連メモ:喪服について)原文はちくま学芸文庫(島内裕子校訂・訳)の『枕草子』より

2021-03-07 15:59:29
襲色目bot @dongein

『枕草子』の「故殿の御服の頃」の段より女房らの装束。 中宮定子の父・藤原道隆の服喪中、数人の女房が皆この衣装で鐘楼に上がっているのを、まるで天女が空から降りてきたようだと清少納言は眺めています。 唐衣、五衣、裳:全て薄鈍 pic.twitter.com/06kPWkWU46

2016-04-18 12:28:04
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襲色目bot @dongein

『枕草子』「故殿の御服の頃」より定子付女房の装束。 「時司などは唯かたはらにて、鼓の音も例のには似ずぞ聞ゆるをゆかしがりて、若き人々二十人ばかり、そなたに行きて階より高き屋に登りたるをこれより見上ぐれば、ある限り薄鈍の裳、唐衣、同じ色の単襲、紅の袴どもを着て登りたるは→ pic.twitter.com/kdcHTEpRK2

2022-01-12 13:31:06
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