小竜景光 来歴まとめ 新情報あり!~Twitter集合知がやってくれました
- sayonosuke
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2017年8月に刀剣乱舞-online-に登場した「太刀・小竜景光」。
【新しい刀剣男士公開 小竜景光(こりゅうかげみつ)】(1/2) 備前長船派の刀工、景光作の太刀。名は、樋中に倶利伽羅竜が浮彫されていることからついたとされる。その他にも「楠公景光」や「覗き竜景光」など異名も多い。真の主を探して延々と旅する風来坊。 #刀剣乱舞 #とうらぶ
2017-08-07 12:00:35【新しい刀剣男士公開 小竜景光(こりゅうかげみつ)】(2/2) 「俺は小竜景光。主を探しさすらう流浪の旅人……。キミが、今度の主かな?」(cv.立花慎之介) #刀剣乱舞 #とうらぶ pic.twitter.com/0RlELifZZg
2017-08-07 12:01:022021年11月には、ミュージカル刀剣乱舞の新作「江水散花雪」への登場も発表され、注目を集めました。
【情報解禁】 ミュージカル『刀剣乱舞』 2022年新作公演のタイトルが「江水散花雪(こうすいさんかのゆき)」に決定! メインビジュアル、出演者、公演日程、チケット情報と、キャラクターページを公開しました。 ▼公演特設ページはこちら musical-toukenranbu.jp/pages/spring20… #刀ミュ pic.twitter.com/r7bkFsm4gc
2021-11-16 18:00:14【公式サイト】「江水散花雪」開幕まであと7日! 本日の公式サイトトップページカウントダウンは小竜景光です!皆様ぜひご覧ください。 #刀ミュ musical-toukenranbu.jp pic.twitter.com/25UAxTJo5Y
2022-01-23 11:30:00小竜景光の来歴のソースはわりとふわふわ
ネットに流れる小竜景光の来歴は、(例によって)福永酔剣「日本刀大百科事典」(雄山閣1993)をソースとするものです。
しかし、「日本刀大百科事典」の小竜景光の来歴の多くは、「伝えられる」話(福永酔剣「首斬り浅右衛門刀剣押形 下」82頁(雄山閣1970))、つまりは昭和期の伝聞で、信憑性はいまひとつです。
(福永酔剣「日本刀大百科事典」抜粋 [※ ]内はまとめ人)
こりゅうかげみつ【小竜景光】
楠木正成の佩刀と伝えられる備前長船景光作の太刀。[中略]
万理小路藤房が楠木正成に贈ったとか、豊臣秀吉が徳川家康に贈ったとかいう伝説があるが、信じがたい。
天保(1830)のころ、大坂の刀屋が、河内(大阪府)の百姓家にあった楠木正成の佩刀、という触れ込みで、江戸の本阿弥家に折紙もらいに来たが、本阿弥家では信じ難いとして、折紙を出さなかった。刀屋が落胆して大坂に担いで帰るところを、幕府の代官・中村八太夫(覚太夫)が、三島(静岡県三島市)まで追いかけていって、買い取った。[※伝聞]
八太夫死去後の弘化3年(1846)、網屋という刀屋がそれを買って、長州の毛利家に売っていたが、毛利家では本阿弥家が折紙を出さなかった話を聞くと、返却してきた。[※伝聞]
網屋はそれをさらに首斬り役の山田浅右衛門吉昌に売った。弘化四年(1847)、浅右衛門の義兄弟・三輪徳蔵を召し抱える交換条件として、景光は時の大老・井伊直亮に召し上げられた。[※ソースあり、「刀剣押形」。ただし、1847年には井伊直亮は大老ではなく、また、三輪徳蔵は浅右衛門の養子の子。]
その子直弼が横死すると、徳蔵は解雇され、刀も山田家に帰された。[※伝聞。ただし、小竜景光の写しが作られた時期から裏付けを試みている。]
明治6年、時の東京都知事・大久保一翁の手を経て、宮内省に献上された。[※伝聞]
山岡鉄舟が買って献上したとか、明治天皇が軍刀にされたとかの話は誤伝である。
伝聞が多い!!
伝えられる小竜景光の来歴は、どこまで本当なのか?
令和の世に検索可能な資料を駆使して、Twitter上で、審神者(刀剣乱舞プレイヤー)が、小竜景光の来歴の実体に迫りました!
江戸時代の小竜景光
井伊家→山田浅右衛門家の返却は、桜田門外の変の前
小竜景光の来歴について 三輪徳蔵(山田浅右衛門の孫)が井伊直亮に召し抱えられたのが弘化4年(1847)7月13日、 直亮が没して直弼の意向により暇を出されたのが嘉永4年(1851)、 それにより小竜も山田家に返還された記録が彦根藩井伊家文書にあります。 画像は「彦根城博物館だより118号」から pic.twitter.com/Qntar8v27x
2021-11-23 21:14:06ファイルが貼れなかったので彦根城博物館のリンクをぺたり。ここからまるっと読めます。一部文書の画像あり! hikone-castle-museum.jp/letter/page/2
2021-11-23 21:18:07現在編集刊行されている『侍中由緒帳 第1〜16巻』にはこちらの記事は収録されていません。年代的に活字として刊行されるのはまだ先になると思われます、ご注意ください
2021-11-26 20:29:32小竜景光、回想で井伊家にいたときのことを話していますが、小竜が井伊家→山田浅右衛門家に返却された日時を史料で特定できました。1851年4月15日です。 一般に言われている、「井伊直弼の死亡後に返却された」というのは、誤伝です。実際には井伊直弼が藩主になった翌年の返却です。 pic.twitter.com/52mBuuMbHp
2022-06-23 17:49:14小竜景光は、山田浅右衛門吉昌が、孫の三輪徳蔵(6歳)を藩士に取り立ててもらうのと引き換えに、刀剣好きだった井伊直亮に献上しました。仕官を太刀で買ったわけです。 で、井伊直弼は代替わり後、この人事は問題ありだと思ったのか、三輪徳蔵クビにして、小竜景光を山田家に返しました。
2022-06-23 17:54:31井伊直弼は藩主就任直後の1851年に、藩の人事に手を入れているので、三輪徳蔵もリストラ対象になったのでしょう。クビと同時に小竜景光も返すあたり、筋は通っています。 井伊直弼も小竜景光は見たでしょうし、名刀に惹かれる気持ちはあったかもしれませんが、それより人事の適正さを取ったわけです。
2022-06-23 18:06:43山田浅右衛門→井伊家へ 浅右衛門、来歴を盛る
え、嘘……? 小竜景光の楠木正成所持説を、山田浅右衛門が捏造レベルで盛っていた との内容が、彦根藩の史料にありました。 もしや楠木正成所持説自体、幕末に山田浅右衛門が作った可能性がある……? あと、桜田門外の変の当時は、小竜景光は井伊家から山田家に戻っていた可能性が高そうです。 pic.twitter.com/oNF6Z5QNff
2021-11-27 21:19:23(資料) ・彦根城博物館だより118号 hikone-castle-museum.jp/letter/page/2 ・刀剣押形 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… ・福永酔剣「日本刀大百科事典」「首斬り浅右衛門刀剣押形」
2021-11-27 21:23:58小竜景光の楠木正成所持説が、幕末に山田浅右衛門に盛られたとか、そんなん初耳だけどマジで!?私誤読してない!?と目を疑ったので、調査班の皆様、できれば審議よろしくお願いいたします。 小竜景光と言えば、の未夏雨翠さん @372_usui いかがでしょう……?(こわごわ)
2021-11-27 21:31:16福永先生は、 天保の頃、百姓家にあったという小竜景光が本阿弥家に持ち込まれたが、折紙を出さなかった。落胆した刀屋が持ち帰るのを、中村八太夫が三島まで追いかけて買った。その後、網屋が買い取って毛利家に売ったが返却された 等と述べますが、ソースは不明です。 網屋か山田家から聞いたのか?
2021-11-27 21:38:19福永酔剣「首斬り浅右衛門刀剣押形 下」に、「伝えるままに紹介」した話だと書いてありました。
やっぱり伝聞か~~~。
刀剣界の伝聞は、けっこうウソがあります。具体例:「山姥切国広が関東大震災で焼失した」(焼けてない)、「山姥切国広は井伊家の物だった」(井伊家に仕えた藩士の物)など。
山田浅右衛門は、最初から井伊家に献上するために小竜景光を買ったようです。 「藤岡屋日記」に当たりましたが、「弘化3年3月下旬」には江戸で「浅右衛門が小龍の太刀を井伊家に献上した」と噂になっています。3月10日に浅右衛門が小竜を購入、3月下旬に献上。右から左です。 syun0214.at.webry.info/202005/article…
2022-01-29 20:52:38彦根城博物館だより118号によると、三輪徳蔵の士官は翌年の弘化4(1847)年7月13日なので、あくまで3月下旬は話合いまでで、献上はその時まで先送りだったのではないかと私は読んでいます
2022-01-29 21:29:11