世間でよくある悲劇の話
- koukaku0811
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「私に反発してくるような奴が欲しい。」 そんな目上の言葉を信じて本当に異論を唱えたら、なぜか急に干されるというのはよくある話。 こんなことがなぜ起こるのか、わかった気がするので書いてみる。 鍵は「反発」という言葉にある。 この言葉を使う時点ですでに、上下関係が意識されている。
2022-02-11 01:00:49その言葉を発する自分はあくまで上の立場で、それを受け取る者は下の立場である。 どんなところにも上下の区別があるが、しかし相手を本当に対話相手と見ているなら「反発」という言葉が出てくるはずはない。 その言葉を使う時点ですでに、相手を「自分の言うことを聞くべき者」と見ているのだ。
2022-02-11 01:00:50だからこそ、いざ相手が異論を唱えたら、「なぬ!?」と思うのは当然である。 彼が欲しいのはあくまでも、自分以外の者に反発する勢いのある奴であり、しかも自分に対しては従順である者なのだ。 そんな勢いのあるじゃじゃ馬が自分に従順でいることは、その者の自己肯定感を高めてくれる。
2022-02-11 01:00:50結局彼は自己肯定がしたいのであり、その素材を集めているにすぎない。 そんな素材にならないような本当に威勢のある奴は、最初から願い下げなのである。 それに、そのような発言をする時点で、その者には日頃から対話の姿勢がないことが、間接的に証明されているとも思う。
2022-02-11 01:00:50聴く耳を持っている人の周りには、自然と対話相手が集まり、様々な意見が持ち寄られる。 だからそもそも「反発してくるような奴が欲しい」と言う必要がないのである。 そのような者はみんなの中央に位置していても、みんなの上に君臨してはいないであろう。
2022-02-11 01:00:51以上が私の考察です。 上記発想は、#パウロフレイレ の #被抑圧者の教育学 を読んでいる時に得たものです。 対話についての彼の省察を読んでいて、ハッとさせられたのでした。 これだから読書はやめられない。
2022-02-11 01:00:51