@Soviet_Usako 150年のは、ローマ地中海世界と言って、ローマ帝国が地中海全域を持っていた時代です。そのため、とても高い制度の地図を使い、地中海の各都市の交易が栄えました。 しかし、中世に入り、キリスト教が絶対となると、キリスト教ではない国のローマギリシャ文明の技術が失われ、アラビアからの再輸入にた
2022-02-06 21:24:35@Soviet_Usako よることになりました。なので、1度文明が退化したように思えますが、地図というのは、使用する為にあるのであって、中世なんかでは隣町と戦闘するような形ですので、わざわざ地図なんて必要ないわけですよ。(続く)
2022-02-06 21:25:51@Soviet_Usako しかし、中世も後期になると、次第に外界(ここでは異文明とする)との関係も重要になりました。 十字軍が派遣されるようになります。これまで、自分の脳だけで把握出来ていた場所どころではありません。そのため、地図が必要となります。 一定量の需要があれば供給は需要を追います。(続く)
2022-02-06 21:27:39@Soviet_Usako まとめ 地図は利益になる物がないと作らないってことです まぁなんでもそうですよね まとめるのが下手ですみません、
2022-02-06 21:31:29@Soviet_Usako こちらをみてください。紀元2世紀のローマでは、地中海の周りをぐるっと持っています。 ちなみに、この頃(2000年近く前)のアフリカは、農業に優れていました。 こう見ると、地図の技術が発達するのも当たり前ですよね。 アフリカから各地に食料を送る必要があるので、効率を重視すれば地図は必要です pic.twitter.com/Ds4qpi0hqG
2022-02-07 07:47:58@Soviet_Usako 1050年のは皆も大好きTOマップだ 宗教って怖いね! pic.twitter.com/yk5dM4Nt89
2022-02-06 19:38:55@Soviet_Usako 1050年に関してはベアトゥスの世界地図ですね。世界地図と言えばそうですがキリスト教の世界観がてんこ盛りなので東の方(↑)は「エデンの園」とか主要都市のエルサレムとか。現代的に言えば「世界地図」というより「キリスト教世界地図」の方がしっくりきますね。 pic.twitter.com/cbsZtgZ2DM
2022-02-06 23:52:34@Soviet_Usako 「キリスト教の世界地図」って表現したいもう一つの理由は聖書が引用元にあったりするからです。前述の通り東は「楽園(本当は中国なのに)」ですからわからない所は憶測か思想が絡みます。Red Sea(紅海)はその名の通り地図では紅色です。Redですから「あー赤いんかな」みたいなノリだったのかも
2022-02-07 00:01:251050年の世界観に関しては、当時は世界の中心は聖地イェルサレムだとされていました。 時期が飛びますが、ダンテの神曲では、イェルサレムの下に地獄が広がっていると解釈されています。 ちなみに、よく言われる「地球平面説」は中世を総じて存在せず、主流は「球体説」であったことにお気をつけを。 twitter.com/soviet_usako/s…
2022-02-06 19:41:19(もう一度言おう) 1050年の図は退化している訳ではなく、純粋な地図でもありません。 これはマッパ・ムンディと呼ばれる物で、正確性より、キリスト教世界を抽象的に描き、世界観を分かりやすく伝えるという形で作られたものです。 ですので、純粋な地図ではありません(大事な事なので2回言いました)。 twitter.com/Soviet_Usako/s… pic.twitter.com/1045so6dxO
2022-02-07 10:23:49また、この時代はアジアやアフリカまで達するほどの遠洋航海術が未熟で、頑張っても北アフリカや中東が限界でした。 ですが、十字軍運動を皮切りにヴェネツィアやジェノヴァなどの海洋都市国家が遠洋航海術を発達させ、ヨーロッパの人々は遠いアジアやアフリカの国々を知る事になるのです。
2022-02-07 10:27:51さらに、図の範囲が狭いのには、もう1つ理由があります。 それは、イスラームの膨張です。 ローマ崩壊後、地中海ではムスリムが大進出し、それを防ごうとするビザンツとの争いにより、地中海情勢は不安定でした。 このTO図は、イスラームの進撃によりヨーロッパ世界が縮小した事も表しているのです。
2022-02-07 10:59:57@Soviet_Usako おもろい。元ネタの説明文を読むと更にたのしめる。 きれいな文なのでDeepL余裕。 visualcapitalist.com/shape-of-the-w…
2022-02-07 13:43:06例;150ADの解説 天文観測に基づく緯度・経度の位置を初めて使用したプトレマイオスの著書『地理学』には、6345箇所の位置が記載され、おそらく地図も掲載されていただろう。 何世紀も前に失われていたが、14世紀に再発見され、座標の一覧表から復元されたもので、オリジナルの地図の正確な範囲(文字
2022-02-07 13:44:16…つまりAD150 のやつは文字情報から復元した地図で、本当の地図の範囲は分からんってわけなんだね。もっと広い範囲を承知してた可能性もあるのか。
2022-02-07 13:48:05@Soviet_Usako ここ何ゾーンなんwwwwwwwwwwww pic.twitter.com/mzV6bU0EyF
2022-02-06 21:24:35@gamegamegame115 @Soviet_Usako たしか最初に南極大陸を発見されたとされてるのが1820年頃で、しかも当時の人間からしたら「でっけえ氷の塊」なのか「氷の島」なのか「氷に覆われた大陸」なのかといった判別が難しいからですね。
2022-02-07 05:34:52