古代ギリシャ史・古代インド史・古代中国史 小まとめ

私的な試験対策です。
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みんちぇ(ぶろっこりー) @horse_mingchieh

@kakataisho BC9C~8Cに貴族中心にアクロポリスの麓で集住(シュノイキスモス)、アゴラを中心に多数のポリスを形成。ポリスでは私有地(クレーロス)を与えられた成人男性のみが市民。小アジアや黒海沿岸に植民市建設。自らをヘレネス、異民族をバルバロイと呼び区別。【ギリシア】

2011-09-07 17:35:26
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@kakataisho イオニア人で陸軍中心のアテネとドーリア人で海軍中心のスパルタが2大勢力。スパルタでは先住民をヘイロータイ、降伏した人々をペリオイコイとして支配下において、厳格な軍事国家を創り上げる。対してアテネは王政から民主制に徐々に移行していく。【ギリシア】

2011-09-07 17:40:31
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@kakataisho アテネはBC8Cに貴族政に移行。BC7C末にドラコンによる慣習法の成文化(ドラコンの立法)により貴族の法独占を破壊、BC6Cにソロンがアルコン(最高職)として改革に着手、市民を財産で4級に分け権利などを規定する財産政治、身体を抵当とした借財の禁止を定めた。

2011-09-07 17:48:10
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@kakataisho ソロンの改革では財産の少ない平民には参政権がなかった(その代わりに債務は帳消し)。その不満が徐々に募り、それを利用して非合法的に独裁権力を握る僭主が出現し、ペイシストラトスは農業を保護し平民の経済力を強めた。僭主政が終わるとアテネは徐々に民主化へ向かう。

2011-09-07 17:54:48
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@kakataisho BC6C末のクレイステネスの改革では、新しい部族を編成し貴族の力を減じて、陶片追放(オストラキスモス)により僭主の出現を防ごうとした。平民の政治意識は高まり、民主制への道ができた。また市民は武具を自弁し重装歩兵となり密集戦法(ファランクス)が採用された。

2011-09-07 18:05:08
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@kakataisho ペルシア帝国はギリシア植民市への支配権を強化。アテネは植民市を支援し対立。BC490年マラトンの戦いで重装歩兵軍でペルシア軍を撃退、BC480年のサラミスの海戦ではテミストクレスの作戦でアテネ海軍が勝利、BC479年プラタイアイの戦いでもアテネは勝利。

2011-09-07 18:12:17
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@kakataisho BC449年にアテネとペルシアは和約。しかしペルシアはポリス間の対立を利用しギリシアに介入。アテネは対抗してエーゲ海諸ポリスでデロス島を本拠地としたデロス同盟を成立させた。そして圧倒的な力を背景にアテネ帝国体制を築いた。

2011-09-07 18:41:42
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@kakataisho ペルシア戦争後は、戦争で活躍した下層無産市民の発言力は増加し、さらなる民主制の実現を求めた。そこでペリクレスによる民会重視の政策が行われ徹底した民主政が行われた。しかし市民権法により外に対しては閉鎖的となった。

2011-09-07 19:49:11
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@kakataisho アテネにスパルタやコリントは対抗しペロポネソス同盟を結ぶ。BC5C後半にはギリシアを2分するペロポネソス戦争となった。当初はアテネが優勢だったがペリクレスの死や煽動政治家(デマゴゴス)による衆愚政治により劣勢に。ペルシアと協力したペロポネソス同盟が勝利。

2011-09-07 19:54:09
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@kakataisho しかし、戦争の結果ポリスの地盤は衰えた。結局スパルタもヘイロータイの反乱などで長続きせず、テーバイがギリシア全体の支配権を握ることになった。混乱したギリシアは全体として衰退していった。

2011-09-07 19:56:07
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@kakataisho ギリシア北方のマケドニア王国でBC359から王位についたフィリッポス2世は軍制改革などで体制を整えギリシア征服を目指した。カイロネイアの戦いでアテネなどのポリス連合軍を破り、コリントでスパルタをのぞくギリシア都市を集めてヘラス同盟(コリント同盟)を結成。

2011-09-07 20:07:52
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@kakataisho フィリッポスの子アレクサンドロス大王は東方遠征。ペルシアのダレイオス3世をイッソスの戦いで破り、シリアエジプトを占領。ナイル川河口にアレクサンドリア市を建設。アルベラの戦いでペルシアを滅ぼし西北インドに進出。ギリシアからインダス川流域までの大帝国誕生。

2011-09-07 20:39:46
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@kakataisho しかしバビロンでアレクサンドリア大王は急死し帝国は多くの王国に分裂した。プトレマイオス朝エジプトは首都アレクサンドリアが通商・文化の中心として栄えたが、セレウコス朝シリアは衰退しマカベア戦争でユダヤ人は独立。これらの王国はBC1Cまでにローマに占領された。

2011-09-07 20:43:36
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@kakataisho アレクサンドロス大王の遠征によりギリシア文化が東方に広まった。各王国ではマケドニア・ギリシア系の人々が支配層となり、オリエント文化とギリシア文化が融合したヘレニズム世界が形成され、共通語のコイネーが用いられた。

2011-09-07 20:45:37
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@kakataisho ヘレニズム文化の特徴としては世界市民主義と個性の主張が挙げられる。哲学では禁欲をとくストア派、快楽を善であり心の平静であるとするエピクロス派が著名。アレクサンドロスの学園ムセイオンを中心に自然科学も発達。美術では「ラオコーン」やコリント式建築。

2011-09-07 20:50:02
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@kakataisho まずエルトリア人が都市国家を形成。その後ラテン人がティベル河畔にローマを建設。市民は貴族(パトリキ)と平民(プレブス)から構成。貴族中心の共和制で任期1年で2人の執政官(コンスル)が政治・軍事を統括。公職経験者の貴族による元老院が大きな力を保持。【ローマ】

2011-09-07 20:56:44
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@kakataisho ローマは重装歩兵を整え領土拡大したが、その中で平民の政治的要求が増大(身分闘争)。BC5Cに平民の利益を守る護民官や平民会を設置。十二表法で権利を規定。BC367にはリキニウス=セクステウス法を制定、コンスルの1名を平民とし、有力者の公有地占有を制限した。

2011-09-07 21:07:02
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@kakataisho BC3C初頭にはホルテンシウス法により平民会決議も国法として認めるようになったが、現実は新しい貴族(ノビレス)による支配(寡頭政)であった。やがてローマはイタリア全土を支配下におき、植民地の建設や自治市・同盟市などに巧みな分割統治を行った。

2011-09-07 21:11:58
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@kakataisho BC264からは3次に渡るフェニキア植民市カルタゴとのポエニ戦争を戦い、ハンニバルを大スキピオがザマの戦いで破りローマが勝利した。その後シチリア・ヒスパニア・アフリカを属州とし、地中海全域をほぼ手中とした。元老院議員・騎士たちは属州を利用して搾取した。

2011-09-07 21:32:34
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@kakataisho 彼らは搾取した富で大土地所有制(ラティフンディア)による経営を発展させた。しかし、中小土地所有農民は没落しローマへ流入、有力者は彼らから「パンとサーカス」(食料と娯楽)で支持を取り付け、私兵として用いることもあった。ローマ共和制は危機的状況となった。

2011-09-07 21:35:57
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@kakataisho グラックス兄弟は公有地占有制限と無産市民への土地再配分を試みた。しかし元老院派の反対で殺害され、不平等はさらに拡大した。軍は平民派と閥族派に分かれて争い内乱状態になった。平民派のマリウスは軍制を改め無産市民を私兵として育成して用い、閥族派のスラと対立した。

2011-09-07 21:48:10
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@kakataisho 対立の間にイタリア同盟市は、ローマ市民権を求めBC91に同盟市戦争を起こした。その結果イタリアの全市民に市民権が与えられた。また、BC73には奴隷の大反乱(スパルタクスの反乱)も発生したが、これはポンペイウスによって鎮圧された。

2011-09-07 21:52:04
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@kakataisho ポンペイウス・カエサル・クラッススは盟約を結び、第1回三頭政治を行い国政を握った。ケルト人とのガリア戦争を勝利に導いたカエサルが有力に。カエサルがポンペイウスや元老院派を倒し独裁官(ディクタトル)になったが、専制君主化を恐れたブルートゥスら共和派が暗殺。

2011-09-07 21:56:51
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@kakataisho カエサル死後、養子のオクタウィアヌスはアントニウス・レピドゥスと第2次三頭政治を行う。しかしアントニウスはエジプト女王クレオパトラと結び、オクタウィアヌスと対立。オクタウィアヌスはエジプトをアクティウムの海戦で破り、ローマはエジプトを併合した。

2011-09-07 22:07:05
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@kakataisho オクタウィアヌスは元老院からアウグストゥスの称号を与えられ、属州の統治や護民官の地位・最高軍司令官(インペラトール)の地位を得た。その後プリンケプスとして元首制を創始(実質上の帝政)し、地位は世襲により強化された。

2011-09-07 22:11:54
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