茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【プライドとは、メタな概念である】についての連続ツイート。
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「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! 今朝は、人生を支えるあるものについて。
2011-09-09 07:37:34ぷめ(1)「プライドのないところに成長はない」。このところ、つくづくそう思う。日本は停滞しているし、グローバル化に適応できていない。しかし、日本としてのプライドなしでは成長することはできない。ひともまた同じ。自負するところがなければ、高みを目指すことはできぬ。
2011-09-09 07:38:57ぷめ(2)ところが、「プライド」をしばしば「現状肯定」としてとらえてしまうことがある。今のままでいいんだ、変わる必要はないんだ。そのような偏狭さと、ぼくが「成長のためにはプライドが必要」という時の「プライド」は、違うものだと感じる。どう整理すればよいか。
2011-09-09 07:39:56ぷめ(3)そこで思い出されるのが「科学」である。「科学」は変わることでこそ自らを定義づける。どんな理論や仮説も、絶対的ではない。「反証可能性」、つまり、それが間違っていると証明できる仮説でなければ、科学的仮説ではない。結果として、科学はどんどん変わっていく!
2011-09-09 07:40:59ぷめ(4)同じ「科学」と言っても、ニュートンの頃の力学と、量子力学、相対性理論を経た現代の科学は、まったく違ったものである。それが、経験主義とか、論理的整合性などの「手続き」によって結びつけられている。変わることこそが、「科学」の「プライド」なのだ。
2011-09-09 07:42:16ぷめ(5)「宗教」は、変わらないことを価値とするというところがある。一度教義が決まってしまうと、それがずっと固定化される傾向がある。変わらないことが、宗教のプライド。一方、科学は、パラダイム変化こそを 誇りとする。変わることこそが、科学のプライド。
2011-09-09 07:43:07パラダイム(paradigm)…ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のこと。
『三省堂辞書サイト』より
ぷめ(6)「プライド」という時に、変わらないことを誇るのか、変わることを誇るのか。ぼくは後者に託したいと思う。自分でも驚くほど、変わって見せる。今の自分から、這いつくばって、未来の自分を見上げて見せる。それが、ぼくのプライド。明日は今日とは異なるというのが、誇り。
2011-09-09 07:44:11ぷめ(7)つまり、「プライド」の下での「自己」の概念は、「メタ」である。ある特定の状態を「自己」と言っているのではなく、変わりつつある、変わりうる「自己」の虹のスペクトラムを、「自分」と呼んでいるのだ。虹のように移ろいつつ、貫くプリンシプルこそが「自分」なのだ。
2011-09-09 07:45:27メタ(meta-)…「高次な-」「超-」「-間の」「-を含んだ」「-の後ろの」等の意味の接頭語。ギリシャ語から。
『Wikipedia』より
ぷめ(8)生きる上でいちばん楽しいのは、変化しつつ、流れつつ、そこにずっとつながっている「自分」を見いだすことだろう。5歳の時に、子ども会で潮干狩りに行った時の「自分」と、「今、ここ」の自分はこんなにも違う。その違うことを思い出せるということが、私の「プライド」。
2011-09-09 07:46:32ぷめ(9)日本を愛するというと、守旧派がそうだと言われがちだが、本当は明治維新の志士たちが最高の愛国者だったはずだ。そして、志士たちは、完膚無きまでに変わることを目指した。変わることが、私たちの「プライド」。「一身にして二世を経る」ことが、私たちの「誇り」。
2011-09-09 07:47:50ブログ『茂木健一郎 クオリア日記』
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http://p.tl/UKs8