doitakaのストーリー、語りの話

「ストーリー」「語り」について思うところを書いてみた。
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doitaka @doitaka

この記事の(5)「誰もストーリーを気にしない」(6)語りのデザイン というのを見て「ストーリー」「語り」について思うところがあったのでつらつら書いてみる。 / 日本のゲーム業界が改善すべき10のポイントとは? http://t.co/wtO8COQ

2011-09-10 02:32:57
doitaka @doitaka

「ストーリー」と「語り」はどう違うのか、みたいな定義的なことを整理してみるつもり。まとまるかは不明。 特に参考文献なし。 こういう定義にすると考え方としてすっきりするんじゃないか、程度のつもり。正確性とかは特に気にしない。

2011-09-10 02:35:02
doitaka @doitaka

まず、極小の、原義的な、一番コアになるストーリーの定義を考えてみたい。これを、「何らかの軸上(時間軸、空間軸、etc...)で連続して現れる事象」としてみる。言語には限らない。「音楽にもストーリーはある」「川の流れにもストーリーはある」みたいなイメージ。

2011-09-10 02:37:45
doitaka @doitaka

この場合、ストーリーが成立するには、その連続的事象と観測者がいればよい。連続性の観測=ストーリー みたいになる(語り部はまだいない)。例えば、家を出て会社に行くまでの、時間的・空間的移動体験をストーリーと言ってしまえる。

2011-09-10 02:40:28
doitaka @doitaka

「それだったら何でもストーリーじゃん」ということになるが、そうなる。実際あらゆる事物に見出せる。問題は、それが観測者の意識に上がるか、感情を動かすか、ということになってくる。 …で、これはちょっとプリミティブ過ぎて扱いづらいので、「連続体」と呼ぶことにする。

2011-09-10 02:43:25
doitaka @doitaka

連続体=実際に連続性をもって存在するもの。 くらい。一応、誰からでも観測できる可能性を持っているもの。 で、もうちょっと粒度を上げて一段上の層を考えてみる。観測という行為にフォーカスすると、「実際には連続していないが、観測者が連続していると認識したもの」も連続していると言える

2011-09-10 02:45:51
doitaka @doitaka

個々の連続体同士が、空間的、時間的に隔絶していたとしても、また、客観的に見て因果関係をもっていなかったとしても、観測者が連想による結びつけを行えば、それらがひとつながりのもの・こととして認識される。 実際に個人が体験するのは、この「つながり」としてのストーリーになる

2011-09-10 02:48:09
doitaka @doitaka

例えば、子供が観測者として。手を叩いたら遠方で花火が上がった、とする。客観的には因果関係はないが、手を叩く度に花火が上がったらそれは子供にとってひとつながりの体験で、そういう奇跡を起こしたような気持ちが呼び起こされる、はず。

2011-09-10 02:51:15
doitaka @doitaka

このような、観測者の主観的結びつけによる連続的体験=ストーリー が実際に論ずるべき粒度のものと思われる。平たく言えば「ユーザー体験」になってしまうのかもしれないが。 この時点では媒体は言葉に限らない。また、語り部はまだ出てこない。

2011-09-10 02:54:23
doitaka @doitaka

このストーリーは多分に主観的であり、客観性も再現性もない。 よって、観測者の体験、気持ち等々を他人と共有することができない。ここで、行為としての「語り」が出てくる。 「語り」は語り手によって起こされる物理的現象である。観測者は、その「語り」という現象にストーリーを見出す。

2011-09-10 02:57:10
doitaka @doitaka

観測者がその「語り」から、語り部が体験した出来事や、語り部の感情へのつながりを見出すかどうか、は保証されない。この辺の話は、『知恵の樹』で言われていたもの。

2011-09-10 03:00:15
doitaka @doitaka

「語り」は、語り部が体験した、ストーリー(語り部の主観ではつながっている連続体の集合)へのリンクを、一つの時間的・空間的スペースに埋め込む行為となる。 が、その「語り」という現象もまた、観測者にとっては、他の事象と連続して存在するものである。

2011-09-10 03:04:10
doitaka @doitaka

「TV見てたら画面に自分の顔が映りこんだ」とか「怪談を話していたらロウソクの火が消えた」というような「語り」の外=メタの連続性も、観測者のストーリーを構成する要素となる。

2011-09-10 03:05:47
doitaka @doitaka

…というくらいで言葉の定義終わり。 で、元記事の「誰もストーリーを気にしない」と「語りのデザイン」。 「語りのデザイン」の方は、元記事の語の用法と、今自分が言った語の用法で特にブレはないと思われる。非言語的語りへの言及というところ。

2011-09-10 03:09:21
doitaka @doitaka

問題は「誰もストーリーを気にしない」の方だが、こっちは結構ブレる。意図としては、「お話」としてのストーリーを、ムービー等の非インタラクティブパートに任せすぎて、インタラクティブなゲームプレイ中での「語り」が弱くなり、ちぐはぐになってしまうこと、を指摘していると思われる。

2011-09-10 03:12:46
doitaka @doitaka

さっきの自分の定義だと、プレイヤーがゲームプレイという行為を体験・観測することでストーリーは生まれるので、「ストーリーは気になるよ!」ということになる。 なのでこちらの語法的には、「誰もストーリーを気にしない」→「体験がつながってない」 という言い換えでいいかと思う。

2011-09-10 03:16:02
doitaka @doitaka

記事について思ったことはこれくらい。 指摘内容については…特定のジャンル・タイトル想定なのかなぁと思うところ。 「ダンガンロンパ」はストーリーがよくつながっていたと思う。 ダンガン - 銃のモチーフ - 議論へのツッコミ行為 みたいなイメージ的つながりとか。

2011-09-10 03:21:51
doitaka @doitaka

序盤〜中盤では論理的なツッコミが要求される進行で、終盤のラストの場面で感情的なツッコミを、まさに撃ち込む、というような緩急のつけ方・ドンデン返しとか。 体験によるストーリーテリング。

2011-09-10 03:24:04
doitaka @doitaka

まあ、そんなんで、「サービスを提供する人はユーザー体験に気を配ろう」みたいな普通のオチになりそうだけど。 言語・非言語、受動・能動、の多種多軸での語りを実践しましょうとか、色々まあ難しいとこではある。けど、やる人はやっている…と。 終了。

2011-09-10 03:27:34
doitaka @doitaka

似たようなことを前もつぶやいてたので自分で読み返してみたが…結構ごちゃごちゃ、というか飛ばしまくっててなんだろうな… / doitaka のゲーム、システム、物語まわりの話 http://t.co/YfqfN6L

2011-09-10 03:34:21