1.はーい、chimumuだよ。あー、俺も三幕構成がどうたらこうたらって話もあきたんで、今日は別の話をしよう。映画評論の話だ。
2010-05-04 23:39:432.映画が批評の対象になったのは、映画が生まれてしばらく経ったあとだ。それまでには映画を語るということはなかった。ピーナッツ頬張って、「うわー、ぐえー、ひょー」とか叫んでいればよかったんだ。
2010-05-04 23:39:593.内容も単純。いたずらっ子が水まきしているオジサンのホースを踏む。水が出ない。オジサンが?となってホースを覗き込んだところで、足を外す。水がピューと飛び出る。オジサンびしょ濡れ。いたずらっ子を追いかける、逃げる子供、みたいな感じだ。ま、笑ってればよかった。
2010-05-04 23:40:274.ところが、映画というものと文芸というものを結びつけようという運動が、20世紀にはいるとフランスで起こってくる。
2010-05-04 23:43:025.で、このへんをちゃちゃと割愛して、1920年になりましたっと。この年、リッチオット・カニュードが、映画は芸術であると宣言して、自らを映画批評家と名乗り出すんだな。この人は元々はイタリアの人なんだけどね。1920年は映画は芸術だと宣言された年だ。
2010-05-04 23:44:036.それで、この人は映画を七番目の芸術。第七芸術と表現した。大阪にあった「第七芸術劇場」はここを意識しているわけだ。命名者はシネカノンの李鳳宇。こいつはフランスに留学してさっぱり勉強しないでシネマテークで映画を観まくった不良だからこういう名前をつけるんだな。僕の友人であります。
2010-05-04 23:44:577.この頃は映画を芸術にするために演劇人が多数映画の世界に参加してきたが、リッチオット・カニュードは映画人を演劇人とは区別して「エクラニスト」と呼んだ。エクランとはフランス語でスクリーンのことだ。ただ、この言葉は長続きしなかった。
2010-05-04 23:48:028.次に出て生きた人はルイ・デリュックという人で、この人はアメリカ映画を積極的に観たフランスの批評家だ。この人は映画の演出家をやや特権的に(少しスノッブに)シネアスト( cine'aste )と呼んだ。これは、今では映画人全般に使われる言葉となった。聞いたことあるよね。
2010-05-04 23:49:059.ルイ・デリュックという人はシネクラブという上映会も組織した。そして次第に彼の周辺に映画の作り手たちが集まってくる。アベル・ガンス、マルセル・レルビエ、ジェルメーヌ・デュラック、ジャン・エプスタン。
2010-05-04 23:50:2410.映画批評家の周りに映画作家が集まるというのは珍しい。フランスの映画史家・サドゥールは彼らを“フランス印象派”と呼んだ。
2010-05-04 23:51:2211.けれど、これに似たような状況が日本でもあったんだ。一人の映画評論家の周辺に黒沢清、周防正行、万田邦敏、塩田明彦映画作家が集まって映画とは何かみたいなことを立教大学を中心に学ぼうとしていた。映画評論家の名前は蓮實重彦だ。
2010-05-04 23:52:2112.蓮實重彦が現れる前と後では映画の語られ方がまったく違ってしまう。Twitter上でも、もの凄い映画を観たという時に「映画の神が降りている」というような表現をするだろう。これは蓮實重彦の専売特許みたいな表現で、これはある種彼が暴論だと自覚しながら使っていた評論方法だ。
2010-05-04 23:52:5514.蓮實重彦が現れる前には、佐藤忠男という人が健筆を振るっていた。この人は、高校卒業後ブルーカラーとして働きながら映画雑誌の投稿から映画評論家になった叩き上げだ。自らを労働者階級の評論家と位置づけて、左翼的なイデオロギーをよりどころに評論を書いた。
2010-05-04 23:55:2815.60年代後半あるいは70年代までは、思想とイデオロギーがかなり近い位置にあった。映画の中にもそういった表現が溢れていた。ある意味で図式的だ。例えば大島渚の映画なんかがそうだ。但し、撮る方もイデオロギーを信じて本気で撮っているからある種の迫力がある。
2010-05-04 23:57:4416.その映画に伴走するようにイデオロギーを土台にした映画評論が書かれていく、その代表選手が佐藤忠男だった。「殺される側の論理」とか「差別されてきた者の視点」というような観点から映画の物語を読み解いていく方法だね。
2010-05-05 00:00:0517.しかし、こういう映画評論のあり方だと、ヴィスコンティのような貴族趣味は評論の対象にならない。逆に映画としてはつまんないけれど、左翼的なイデオロギーが入っていると「お、今いいこと言った!」という風に評価されてしまう。それって、どうよ。
2010-05-05 00:01:1418.そんな時に蓮實重彦が登場する。そしてこの人は、映画の表現というのはイデオロギーの伝達ではない、そんなものはくだらないと切って捨てる。そして、その戦略がものすごく過激だったわけです。
2010-05-05 00:01:5619.蓮實重彦は、そのような解釈が映画を豊かにするだろうか、と問いかける。映画というのは映像表現であり、イデオロギーを物差しにしたストーリーの解釈は映画をやせ細らせてしまう。映画は見るべきもので、見るものへと映画を解放しようとしたわけだ。その為に「映画的」という言葉を連呼する。
2010-05-05 00:03:5820.この蓮實重彦の映画的という言葉は、以後の映画評論において暗い呪文のようにのし掛かる。「あいつが撮ったあの青空は映画的である」「あの俳優の顔は映画的でない」という具合だ。では、映画的であることの定義はなにかというと、これは極めて恣意的なのだ。
2010-05-05 00:05:1821.そして、「○○は映画的」なんて下手に口走ろうもんなら、その映画的センスを鼻で笑われてしまうことになる。とにかく蓮實は滅茶苦茶なことを言っているのだが、どこか「言いえて妙」的な部分があり、しかもレトリックがかっこよかったので、若手の多くが蓮實の真似をし出すんだ。
2010-05-05 00:55:1522.そして「映画の神が降りている」というような表現が、サブカル雑誌で流布するようになる。俺はそれが嫌で嫌でたまらなかった。なんだこの「映画の神が降りている」って意味は?
2010-05-05 00:06:2023.僕の解釈では、蓮實はこう言ってるんだ。勉強して映画を撮る奴は、三流である。才能で撮る奴は二流。一流の監督は映画の神に撮らされているのである。 どお? これ信じられる?
2010-05-05 00:06:3324.このことについて、蓮實重彦と軽い食事をする機会があった時に僕は直接聞いたことがある。
2010-05-05 00:08:1925.「蓮實さん、しかじがかくかくのことを仰っていますよね」「はい」「でも蓮實さんは学校の先生でしょう(当時、東大副総長、後に総長になる)、学校の先生が勉強する奴はダメだなんて言っていいんですか」
2010-05-05 00:09:28