SFの役割。ポストマンと小松左京。動員の物語。小説と作家自身の意見。小説と批評について。等
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このニュースに考え込んでしまって寝れなくなってしまった。「将来に希望ない」64% ワーキングプア急増 http://t.co/ENMAQh5
2011-09-10 04:51:26「1日7時間、週5日働いているのに生活が苦しく、64%は将来に希望が持てない-。連合が年収200万円以下の千人を対象にアンケートをしたところ、こんな結果が出た。連合は「正社員並みに働いているのに賃金に反映されていない」として、賃金底上げの必要性を訴えている。」
2011-09-10 04:51:46「現在の生活実感について聞くと、複数回答で「格差社会の中にいる」が80%、「収入アップは無理」が79%、「世の中の厳しさや薄情さを感じる」が74%、「将来に希望が持てない」が64%などとなった。」
2011-09-10 04:52:01我々が――いや、僕が、SFの人間として、希望や未来を語るならば、今後激増していくこのような層の未来をなんとか切り拓く事いていくことが必要で、SFは、エンターテイメントであり、実用性とは関係ない側面もあるが、それが可能なジャンルだと考えている。
2011-09-10 04:53:39SFが呼びかけることが出来るのは――どんなに暗い未来が見えていてもそれを回避するために必死になんとか動いて何度失敗しても繰り返せ――敗戦からも復活できたのだから、未来を諦めずに、全力を尽くすべく、励まし、そしてアイディアを出すことなのではないだろうか。
2011-09-10 04:55:11『魔法少女まどか☆マギカ』の、悲惨な結末の見えている未来に対する魔法少女たちの希望と絶望と物語は、端的にそういうことを言っているように感じる。どんなに悲惨な結末が見えていようと、悲観することなく、必死に知恵を振り絞って解決策を探り、動け、と。
2011-09-10 04:56:19小松左京が言い続けてきたことも、そういうことなのかもしれない。種族が破滅するかもしれなくても「楽観主義」で居続ける一方で、可能なかぎり全力で自身も動き、そして「全力で何かのために動いた人たち」を描き、(物語という形で)記録すること。それは、今、本当に必要なのかもしれない。
2011-09-10 04:57:59不安がっていたり絶望しているだけでは、良い思考ができないし、良いアイディアもうかばないから、時に笑いを用いて緩和させ、そしてアイディアを総合させていく力。どんなに暗い未来が待っていても楽観的な態度で居続け、そして全力でアイディアを絞って動けば、解決できると信じること。
2011-09-10 04:59:54それを信じることなく、何千万人の貴重な頭脳が、単に不安や絶望からの逃避に使われているのであれば、もったいない。
2011-09-10 05:00:52ふと、デヴィッド・ブリンの『ポストマン』のことを思い出す。ケヴィン・コスナーの映画版の方が有名だろうか。post manであり、災厄後の世界を生きる「郵便配達夫」を主人公にしたこの作品は、確か生きるために郵便配達夫を演じているうちにいつしか英雄の役割を担わされていく話だったはず
2011-09-10 05:18:49wikiにあらすじがある。「虚構の国家である復興アメリカ合衆国からやってきた郵便配達員になりすます。ただ生き延びるための欺瞞であったはずが、滅亡に瀕した集落群は思いも寄らぬ反応を見せる。」http://t.co/pa0W8Za
2011-09-10 05:21:19どうも最近この『ポストマン』のことを思い出すことが多い。品切れのようなので紙面などで紹介できないのが残念。
2011-09-10 05:23:07主人公ゴードン・クランツは、文明の退廃した大陸を横断しながら(…)オレゴンの地を進む道中で盗賊に身包みはがれるが、偶然にもかつてのアメリカ合衆国郵便公社郵便配達車を見つけ、そこにあった配達員の制服、未配のままの郵便物を頂戴して虚構の復興アメリカ合衆国郵政視察官になりすます。
2011-09-10 05:24:48「通信網が断たれて久しい集落にとって、郵便制度を復活させるというゴードンの狂言は期待以上の成果を収め、それと同時に途中で止むことができない大きな責任を負わされる。」そして郵便網を回復して現地のアナキスト集団を壊滅させるリーダーに「させられていく」ところが示唆的で。
2011-09-10 05:25:36でも、そいつはただ生きるために盗んで、嘘をついて、「虚構の復興アメリカ」という嘘をついて、演じただけだった。でも、そのことが、いつの間にか、本当に本人の役割になっていって、本物の英雄になって、実際に復興させていく。このことは、色々と示唆的だと思う。
2011-09-10 05:27:45希望は「ある」ものでも「持つ」ものでもなく、「作る」ものなのではないかと、僕は言いたいのだろうと思うが、「希望」そのものが齎す罠について警告する『まどか☆マギカ』の重要性もわかる。その上で、「虚構の復興日本」という「希望」を騙り、信じることを演じることが、必要なのではないだろうか
2011-09-10 05:39:44生きるために、嘘をつき、希望を騙り、信じているふりを演じるならば、希望を作り、騙した責任をとり、祭り上げられた役割を引き受け、そして、戦うことも引き受けなきゃならん。そこまでの覚悟を持って、嘘八百の虚構を、ありえない物語を、ばら撒かなきゃならん(と、『ポストマン』は言っている)
2011-09-10 05:46:20でも、その手の「物語」は、かなりうさんくさいと思います。何にでも利用できるし。ま、『ポストマン』は、ウニバーサル・スタジオ配給じゃないからな。 RT @naoya_fujita 生きるために、嘘をつき、希望を騙り、信じているふりを演じるなら//(と、『ポストマン』は言っている)
2011-09-10 06:14:43@naoya_fujita @yuusakukitano SFにいろいろ夢をもらったけれど、同時に子どもだった80年代に聞いた「未来」や「進歩」ということばは、おとなになるにつれて胡乱に聞こえました。そのうえで動員の物語がまだ有効なのかは、厳しく突き詰めないとと思います。
2011-09-10 06:36:33それは小松左京作品のある面にたいして感じる思いと似てるのかもしれない。ものすごく影響を受けてて、もちろん大好き、どころか、神様みたいな存在だったわけだけど、全面的に肯定はできない。でも、そういうものを、うさんくさいものとして笑い飛ばす部分も小松作品にはあった。
2011-09-10 06:38:59だから、この「小松左京への思い」とか「違和感」みたいなものも、やっぱり小松左京作品の影響下にあることは間違いないわけでね、いやほんと、ややこしいな。
2011-09-10 06:40:40若い世代へ向けて動員の物語を語ることは、我々今のおとな世代がまず動員されることを受け入れなければならないことでもある。で、我々はどこまで更なる動員を受け入れられる余地があるのかというと、相当厳しくはある。
2011-09-10 06:40:40