歴史系雑語り・九戸政実討伐は前年には既定方針となっていた――南部信直宛て豊臣秀吉朱印状 第五条の意味(東北歴史文化講座より)
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聞き直している。やはり天正18年7月27日付け南部信直宛て豊臣秀吉朱印状の第五条は三戸南部氏の死命を決したなぁと思ったり。 東北歴史文化講座 九戸政実、覇王・秀吉に挑んだ男 ~天下平定の仕上げ「奥羽仕置」と九戸一揆の真実〜 jreast.co.jp/tohokurekishi/… jreast.co.jp/tohokurekishi/…
2022-04-10 23:15:25この朱印状、南部領の確定や妻子の在京、城の破却や家臣たちの三戸集住を命じたのち、最後の第五条で『右の四条で異儀に及ぶ者があれば豊臣政権が成敗する』と確約するものなのだけれども、このような厳しい文言は南部信直書状でしか見つかっておらず、恐らく信直限定の文言である事を指摘してるの。
2022-04-10 23:15:25すなわち、この文言によって南部信直は中央政権の庇護と助力を確約され、九戸政実などの反対勢力が抵抗すれば“豊臣政権によって“成敗されるのは既定路線になった、ということでもある。三戸南部氏にとってはこれ以上ないほどの好条件。
2022-04-10 23:15:26豊臣政権による南部氏の庇護確約、その後も秀吉は何度か浅野長吉(長政)宛て書状で指示してて、いわゆる『撫で斬り令』を指示した8月12日付け書状も、奥羽全体ではなく南部領を対象としたものである、という指摘も含めていて、その説は南部史的にも注目していいと思う。
2022-04-10 23:30:4810月7日の長吉宛て秀吉書状の『南部に対して愚意を申す輩は申し付けよ』なども、政権による南部庇護が空約束ではない、実態を伴ったものであるという秀吉による表明であったとみるべき。
2022-04-10 23:30:48浅野長吉もその指示に合わせて行動をしていて、南部氏の重鎮である八戸政栄とそして九戸政実を、駐屯地となった花巻城(鳥屋ヶ崎城)に呼び出して信直に従うよう命じているのね。これも同一の動きとみていいと思う。
2022-04-10 23:30:49従来、『なんで南部信直は自力討伐が出来ていないのに改易もされずに存続したんだ』という疑問があるのですが、何のことはない、既にそうなった場合の討伐の確約を秀吉から得ていた、という話です。信直が恐ろしいというなら自分はそこが恐ろしい。
2022-01-28 22:07:50信直、ああこのひと怖い人だなって改めて思ったっすよ、ワシ。いや、あの朱印状の条文が南部の意向で入れられたものであれば、なんですが。
2021-08-27 21:01:08南部信直宛て豊臣秀吉朱印状の第5条、南部側からの要望で差し込んだものなのかしら。だとしたら南部信直、先々読んでたって事になるよなぁ。逆に暴発を止める抑止力として機能させたかったという見立ても出来るか(失敗したわけだけど)
2021-08-21 19:00:05