携帯電話ゲームの「神」は
ソーシャルゲームという名前にまぎれがちなので、ここではあえて「携帯電話ゲーム」というカテゴライズをさせてもらいます。スマートフォンも、入ります。ここでは、ゲームの中身・・つまり課金やゲーム性についてはあまり考えません。
2011-09-12 21:35:03かつて、山内相談役は言いました。「お客様はソフトが欲しくてしかたなくハードを買う」と。それは、間違いではありません。今も、そうな場合がほとんどです。流行の雰囲気が欲しい人もたいがいはソフトを選ぶんですね、持ってるだけは居ない。しかしそれは、「携帯電話ゲーム」だと変わってきます。
2011-09-12 21:36:20人は、お金を使ってそのソフト(とハード)を購入した後に「このソフト(とハード)を買った自分は正しかったのだ」と思いたいのです。これは、どんなハードでも、例えばiPodやビデオなどのソフトのために動くハードなら皆そうです。
2011-09-12 21:37:18だから、無駄金を使ったと思いたくなくて次の面白そうなソフトを探しだすんですね。それが少ないと文句を言い、自分の持ってるソフト(とハード)をくさされると不愉快になる。(逆に他人のソフト(とハード)をくさすのに快感になると、行き着く先は某ブログとかになっちまいますけどね)
2011-09-12 21:38:09自分の買った物を崇高に思い、それを高めるのに労力を使う、これをわたくしは「金の子牛現象」と名付けます。 昔、モーゼさんが十戒をもらいに山の上に昇った時、あまりにも帰ってこないもんだから残った人たちが自分たちのアクセサリを溶かして金の子牛を作り、それをあがめる話から。
2011-09-12 21:39:38あの人達は、子牛が自分たちのアクセサリから出来た事を十分知ってたのに、それをあがめる訳です。(そしてそれを知ったモーゼさんは全員をXXしてしまいモーゼさんパネェっすなエピソードなんですが)
2011-09-12 21:40:11しかし携帯電話に関しては、ソフトが欲しくて携帯電話を買った訳ではないんですよね。「携帯電話は生活必需品である」という幻想を皆がもう共有して持っているので、ソフトで金の子牛を作る必要がないんです。(わたくし持ってますけど忘れても日常生活ちっとも困らないので幻想だと断言します)
2011-09-12 21:41:51携帯電話は、携帯ゲーム機より遥かに高い物です。日々、維持費が必要です。ここに対して、金の子牛現象が働くんですよね。ソフトは全然金の子牛にはなりえない。
2011-09-12 21:43:37彼らに取ってゲームとは彼を飾るために、ソフトを利用し十分活用してるよ、という「お祈り」をしているのではないか、と最近思うのです。それを維持するために課金もやむなしです。なんせ「神様」なんですから。他人から見たらただの物体でも。
2011-09-12 21:45:07ソフトは携帯電話ゲームにとっては神様では無い。普通の専用ゲーム機にとっては神様である。この辺の立ち位置を考えて色々ソーシャル脅威論とかは語って欲しいなあと思う訳です。こういう風に考えると財布の中身以外はあまりバッティングしないと思うんですけどね。
2011-09-12 21:45:41