東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ――阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか 本文全文 独断で抜粋

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遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

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2011-09-12 23:36:17
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ――阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか 本文全文 http://t.co/xeyMND8

2011-09-13 01:34:41
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

テレビで国民が戦闘場面をみる戦争を「テレヴァイズド・ウォー」というのは、『タイム』で知っていた。ベトナム戦争はアメリカの、チェチェン戦争はロシアの、最初のテレヴァイズド・ウォーだという具合である。この表現に倣えば、阪神大震災は、日本最初の「テレヴァイズド・カタストロフ」である。

2011-09-12 23:45:27
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

全国的規模において多量の救援物資と多数のボランティアとを動員させたパワーは、テレビ画面であった。首相官邸でさえ、大幅にテレビに依存していたという。後のことになるが、今回の震災において、活躍したのは電話とともにコピー機とファックスとワードプロセッサーとであった。

2011-09-12 23:45:47
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

ファックスは電話よりもはるかによく通じた。ワープロは「ひとが読める」情報紙面を叩き出し、コピー機がそれを何十倍何百倍と複製して流布させた。これらなしにはわれわれの活動ははるかに非能率であったろう。われわれの対災害キャンペーンは「電子化された震災キャンペーン」であった。

2011-09-12 23:45:55
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

残念なのはファックスのある「医局」と大学精神科の指揮所になっていた精神病棟研修医室とが敷地の南北両端にあって、その間を徒歩連絡せざるを得なかったことである。回線が割当てられなかったためらしいが、両者にファックスがあればどれだけマンパワーを節約できたことであろうか。

2011-09-12 23:47:07
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

私はひそかに1920年代の英国巡洋艦の設計思想をモデルとしていた。将来の改造に備えてすべてを広くとることと職員の居住性を非常によくすることと。病室階を通らずに直接外から入ることのできる2階の広い研修医控室が、戦闘指揮所、会議室、仮寝室、食堂となった。精神科医は常に一堂に会しえた。

2011-09-12 23:54:25
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

ひろびろとした病棟は疲労して帰ってくる職員に非常な精神的安定を与えた。..応援精神科医を寝袋一つ持参の条件で何人も受け入れることができた。..私は設計段階から職員のアメニティーを良くすることが実効性のある何事かをなすための基本的前提であると確信していた。

2011-09-12 23:57:32
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。一つの問題を解決すれば、次の問題がみえてきた。

2011-09-13 00:13:00
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

「状況がすべてである」というドゴールの言葉どおりであった。彼らは旧陸軍の言葉でいう「独断専行」を行った。おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。

2011-09-13 00:13:13
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。

2011-09-13 00:13:24
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば半分解決されたようなものである。

2011-09-13 00:13:29
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

一般にボランティアの申し出に対して「存在してくれること」「その場にいてくれること」がボランティアの第一の意義であると私は言いつづけた。..予備軍がいてくれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる..われわれの頭はやはり動員可能な人員をベースにした発想..

2011-09-13 00:26:37
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

人が増えればそれだけ分、あたかも高地に移ったかのように見えてくる問題の水平線が広大となる。新しく問題が見えてくる。新しい問題が発生した時にも対応できるようになる。そして実際、日々、問題は新しくなる。..発生する問題をとにもかくにも解決して行っている場合に特にそうなるのである。

2011-09-13 00:27:24
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

来る途中、神戸の地図を頭にたたき込み、神戸について書いた本を何でもいいから読んできてくれることも重要である。聞きなれぬ地名が次々に耳に飛び込んでくるはずだからである。これは九大チームの経験からだ。 加害患者が一人もいなかったことは精神科患者の名誉のためにぜひ言っておかねばならない

2011-09-13 00:31:34
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

おとなしすぎるために色々なことで後まわしになってしまう傾向があったと避難所を廻る医師は語った(これは決して周囲の作為的な差別ではない。この街が私の過した他のいかなる街よりも奇人に寛容であるとは私の体験である)...体育館や講堂の避難所で零度の寒さに耐えた。

2011-09-13 00:56:06
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

かつての精神病院について、私は、患者だからこそこの過密に耐えられるのであって、患者でなければ修羅場になるであろうと書いたが、そのとおり、多くの患者は困苦欠乏と過密とに耐えた。薬物の服用も進んでいった。後には避難所から通院した。

2011-09-13 00:57:03
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

しかし神戸のホームレスは市民との間に暗黙の交感がある。働かない者を排除する気風はない。かつてある盛り場の「ホームレスを取り締まれ」という投書に対して「そういう人が少しはおられるのが街というものではないでしょうか」という市側の返事を新聞か広報で読んで感嘆したことがある。

2011-09-13 00:35:27
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

われわれの医学が、ガス、水道、電気の存在を空気のように前提としていたことであった。かつて、冗談まじりに「医師国家試験には電気のない条件でかくかくの疾病を治療せよといった問題を出すべきだ」と(もっとも、日本医師のそのような条件下での行動力は十年前に比べてかなり向上していると私は思う

2011-09-13 00:41:58
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

相対的にいえば、時とともに貧富の差が次第にその顔を見せはじめた。第一日にはひとしなみに運動場の避難民であった被災者も、豊かな人、遠くに親戚のある人、大企業に勤めて寮や社宅に入れる人から、櫛の歯を引くように避難所を去っていった。

2011-09-13 00:47:14
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

軍旗日章旗軍靴ラッパキャタピラ騒々しかった旧陸軍とまったく対照的な印象を与えた。暗い小道にひっそりと停まっているジープはたいへん安心感を与えた.多くの人が輸送艦の名を冠した仮設浴場に通い、黙々と汚れ仕事を遂行する隊員に好感を持った。車輛に日の丸がついていないのがむしろ意外であった

2011-09-13 00:52:28
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

・・地上の苦悩を知らぬげに飛び回るマスコミのヘリコプターの姿は憎悪の対象になった・・若い記者たちは被災地を被う「共同体感情」とでもいうべきものに巻き込まれ、気づかぬうちにボランティアになって精神科医の苦手とする校長先生のよい聴き手となってくれたことは特筆すべきであろう。

2011-09-13 00:58:46
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

氏は・・多量の花を背負い子にかついでやってこられた・・チューリップなどの花々は19箇所の一般科ナース・ステーション前に漏れなくくばられ、患者にもナースにも好評であった。暖房のない病棟を物理的にあたためることは誰にもできない相談である。花は心理的にあたためる工夫の一つであった。

2011-09-13 01:03:37
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

突然、避難民をあずかる羽目になった校長先生と教員たちの精神衛生は盲点であった。校長先生たちはある意味ではもっとも孤立無援である。避難民には突き上げられ、市にはいっさいの人員援助を断られ、そして授業再開への圧力がある。災害精神医学というものを曲りなりにも知っていた精神科医とちがって

2011-09-13 01:05:41
遠山太郎(TOKYO) @touyama_t

校長先生たちは災害においてこのような役割を担おうとは夢にも思っておられなかったはずである。そして精神科医に対して偏見がある方も少なくなかった精神科医にも校長先生や学校に対して偏見があるであろう。精神科医たちが一堂に会した時、いかにいじめられっ子出身者が多かったかに驚いたことがある

2011-09-13 01:07:11