美術批評家と目利き

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heisodekker 大嶋浩 @heisodekker

現在の美術批評家(とりあえず)は一つのアート作品に対して、どのような価値判断を行っているのか、あるいは行っていないのか。例えば、目利きと呼ばれる鑑定家や“アート通”と呼ばれる人たちにはおそらく明確な価値判断の基準を持っている。「これはいい、これはだめ」と。(つづく)

2011-09-14 12:03:30
heisodekker 大嶋浩 @heisodekker

ただし彼らはその理由を述べることはしないし、述べることはできない。できないがゆえに、その価値判断には圧倒的な力(権威)も備わっていると言えるかもしれない。現在の美術批評家はおそらく(またおそらくだ)作品の「いい、悪い」の価値判断をしない。(つづく)

2011-09-14 12:05:43
heisodekker 大嶋浩 @heisodekker

なぜ、しないのか、あるいはできないのか。まあ、簡単に言えば、共通の価値基準が存在しないことを理解しているからだ。じゃ、彼らの判断とは何か。おそらく(三度おそらくだ)価値判断よりも、個々の作品がどのような問題を提起しているかを分析することにあるだろう。(つづき)

2011-09-14 12:08:40
heisodekker 大嶋浩 @heisodekker

その問題提起が現在の社会・時代とどのようにか関わっているのか。その関わりの強弱によって一つの作品の価値(?)を判断するとも言える。しかしそれは従来のような美的価値判断でも、経済的価値判断でもない。(つづき)

2011-09-14 12:11:14
heisodekker 大嶋浩 @heisodekker

個々のアート作品がどのような問題提起をしているのか(その答えも含めて)、その動機は?そしてわれわれ鑑賞者にどのような効果をもたらすのか。それを見極めることが現在の批評と呼べるべきものだろう。「褒めること、貶すこと」が批評ではないことは自明のことだ。(つづき)

2011-09-14 12:15:04
heisodekker 大嶋浩 @heisodekker

だが目利きや“アート通”のような鑑賞者になれたらどれほど幸せなことだろう。経験(見ることの、体験すること)の蓄積によって養われた直感的判断による鑑賞の幸せ。「いいものはいいのだ」「だめなものはだめなのだ」。ああ、なんと健康的なことか!しかしわれわれは批評の病を引き受けるしかない。

2011-09-14 12:19:48