「史実とフィクション」について~多くは司馬遼太郎、少し「ゴールデンカムイ」を題材に議論
…にかかっているわけです。なので、良し悪しを政府や権威によって杓子定規に判断させてはいけないし、自分達で考えるという歩みを止めてもならない。ただ、例えばセックスや性犯罪を論じなければいけないということもあるわけで、その場合はそういうことを論じられるだけの知識があるかどうか…
2022-05-03 22:03:50…ということはある程度考慮されるべきで、年齢によるゾーニングというのはその辺りのことを考えて行われる。「年齢だけじゃないだろう」というのはもちろんで、あくまで目安ではあるが、一方で例えば「義務教育を修了していれば、性と暴力性の関係について一定の理解があるだろう」ぐらいの目安が…
2022-05-03 22:03:50…立てられるような教育を、もうちょっと真剣に考えるべきではあると思う。現状では、そういう意味で実践的な教育はほぼ考慮されてないよね(まぁ、労働問題よりはマシ、ぐらいで…)。
2022-05-03 22:03:50>考証はあくまで考証でしか無いのよね。 そのフィクションで作者が何を表現しようとしたか、商業的な成功を目指したメソッドは何か、結果的にウケたかどうかが問題なのであって、リアルかどうか勉強になるかどうかは敢えて言うとどうでもいいのよ。
2022-05-05 15:23:32今日通りすがりにプロレス興行やっててボーっと見てたんだが、歴史創作がリアルかどうかという話、プロレスはリアルかどうかという話題に通じる様な気がする。 ストーリーは有るしショーでもあるがレスラー達が身体を鍛えてリスクを背負っているのはリアルなのね。その間合いを「言わぬが花」で見る。
2022-05-05 15:23:32『キンカム』は考証が正確で少数民族にも配慮した素晴らしい漫画だという持ち上げ方をして/されてしまったのが漫画にとってもアイヌにとってもアイヌ研究者にとっても不幸な筋違いだったんだわな。
2022-05-05 16:00:51漫画を大河に変えてもその筋違いは同様に繰り返されとるんだが、大河が取り上げるキャラは全て故人だからね。頓珍漢が表面化しないのよ。
2022-05-05 16:00:51当方は『キンカム』未履修だが、それなりに長いストーリーと並走してそれがグランドフィナーレを迎えたという読者特有のカタルシスというのはあるのかもしれん。それは、この終わり方は問題が有るという指摘批判を煩わしく感じさせる感情なのではないかとも思う。
2022-05-05 17:31:05