『フェアプレイの向こう側』と後期クイーン的問題
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速報/第22回「本格ミステリ大賞」受賞作決定! 〔小説部門〕 w受賞 『大鞠家殺人事件』芦辺 拓(東京創元社) 『黒牢城』米澤穂信(KADOKAWA) 〔評論・研究部門〕 『短編ミステリの二百年1~6』小森 収(編)(創元推理文庫)
2022-05-13 15:53:37一般に本格ミステリでは、リアリズムとフェアプレイが同じベクトルを持っているわけです。フェアであるとは読者の住まう「オーディナリ・ライフ」に寄せる事です。これを理論化したのが都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』。
2022-05-14 07:10:57ところが法月さんによると、ロスマク作品における一人称地の文においては、両者が逆のベクトルを持っていると言っている。主人公の主観的な認識であるはずの一人称視点に、本格ミステリのフェアプレイの制約がかけられているという。
2022-05-14 07:15:01作中人物は、自らの自由意志とは別に、「地の文で故意に虚偽の記述をしてはならない」という、本格ミステリの作法に拘束されてしまっているというわけです。フェアである事とリアリズムとが競合してしまっている。
2022-05-14 07:19:06ここまでは『複雑な殺人芸術』にある内容なのですが、『フェアプレイの向こう側』で法月さんはこの議論を「顔のない死体」トリックにまで拡張してみせています。
2022-05-14 07:21:15「顔のない死体」トリックが使われたとき、通常の本格ミステリだと、当然ですが、最初のうちは死体の「中の人」を誤認させられているわけです。だから一人称地の文には別人の名前が記される事になる。
2022-05-14 07:23:49ところがロスマク作品においては、一人称地の文にフェアプレイの呪いがかけられている。という事は主人公は、一方でリアリズムの規範から「顔のない死体」を別人と自覚させられているにもかかわらず、他方でフェアプレイの規範から、その事を地の文に書けないというジレンマに陥ってしまうわけです。
2022-05-14 07:26:55その結果この「顔のない死体」トリックを使ったロスマク作品においては、主人公が解決編に至っても尚、一人称地の文で犯人の名前を語れなくされていると法月さんは論証していきます。事件が解決したにもかかわらず、探偵は犯人に到達できないという、これぞ法月節というロジックを展開している。
2022-05-14 07:35:02法月さんはこの状態を「真偽の判定を無効化するフェアプレイの彼岸」と呼び、これを契機に「ロス・マクドナルドの小説世界は、徐々に内部崩壊への道を歩んでいくことになる」と書いています。この語り方は一見すると「初期クイーン論」のリフレインのようにも見えますが、当然ながら両者はぜんぜん違う
2022-05-14 07:41:13「初期クイーン論」は「世界」ないし「他者」に向けられた探偵エラリーの不安でした。自己が表象する世界が、実はニセモノかもしれないという陰謀論的不安が、いわゆる「後期クイーン的問題」の根底にあったわけです。対してリュウ・アーチャーがここで直面させられた不安は、「私」に向かっている。
2022-05-14 07:48:15アーチャーはここで、世界内に存在する自己と、作者に操作されている自己との二面性に直面させられたわけです。自らの語りはいったい、自由意志で発話しているのか、それとも作者に恣意的に語らさせられているだけなのか。虚構存在である作中人物が、「顔のない死体」を契機に「私」に目覚めてしまった
2022-05-14 07:52:45結果「私」は、「真実はいつもひとつ」という信念を放棄し、代わりに虚構世界の真理を深堀し始める。それが創られた事を自覚する虚構存在にとっての「探偵」行為に他ならないからです。実際のところ、ここまでくるとこれはまさに、拙論「ガウス平面の殺人」の主題であもあるわけですね。
2022-05-14 08:00:33法月さんの最近の評論を見ていると、『本格ミステリの本流』の辻真先論でも『まんが・アニメ的リアリズム」論を展開してくれていたりと、どうも機会をみて間接的にメフィスト評論をPRしてくれているように読める所がありますね。単に当事者の思い込みかもしれませんが、そうならとてもありがたい事です
2022-05-14 08:09:44ミステリ評論を活性化しようとメフィスト評論を立ち上げながら、それも一回で打ち切りとなり、コロナ禍も手伝って評論の場は縮小の一途をたどっている。最近の法月評論に滲んでいるものは、そうした現状に対する、当事者としての「疚しさ」の現れと邪推するのは、やはり考えすぎなのでしょうかね。
2022-05-14 08:18:07