三角比と三角関数を必ずしも区別しない立場のまとめ

数理科学のPhDのみ集めた
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鴨浩靖

計算可能トポロジー

Hiroyasu Kamo @kamo_hiroyasu

三角比と三角関数の区別はどうでもいい。

2022-05-23 02:41:11
Hiroyasu Kamo @kamo_hiroyasu

等速円運動の射影としての一般角での三角関数を直角三角形の辺の長さの比としての鋭角での三角関数よりも先に理解した実例と思われる方をお見かけしました。twitter.com/cerclumina/sta…

2022-05-24 22:50:15
そうめんくらげ @cerclumina

三角関数は、小学校の時MSXBASICで使ってた。円を表現するとき、CIRCLE命令じゃなくて、SIN・COSを使えば座標が得られるので便利だった。正確な意味は高校数学で学んだが、自分の場合は実用が先だった。

2022-05-24 22:11:04
Hiroyasu Kamo @kamo_hiroyasu

三角関数と三角比の区別なんて、増加と合併の区別だとか量分数と割合分数の区別とかの同類にしかなりません。

2022-05-26 14:02:00

このあたりは「超算数」の問題として知られる.教育学の算数・数学教育の世界では,教育上の便宜のための仮の取り決めを数学的ルールと勘違いしたり,そうした謎ルールを大量に生み出すことで問題となっている.

Hiroyasu Kamo @kamo_hiroyasu

角度を使わずに三角関数を定義することも可能です。微分方程式 x″+x=0, x(0)=0, x′(0)=1 の解として sin t を定義することもできます。これは、単振動として正弦関数を定義する発想です。 twitter.com/kamo_hiroyasu/…

2022-05-26 19:25:12
Hiroyasu Kamo @kamo_hiroyasu

三角関数については、直角三角形の辺の長さの比として導入しておいて一般角に拡張するのが現状の一般的なカリキュラムですが、等速円運動の射影としていきなり一般角で定義しておいて数ある応用例の一つとして三角法も扱うカリキュラムも可能です。(可能である≠好ましい)

2022-05-22 15:43:57
Hiroyasu Kamo @kamo_hiroyasu

微分方程式による正弦関数の定義は中等教育での三角関数の導入で使うにはつらいですが、それは発想の自然さとは無関係です。

2022-05-26 19:25:13

嘉田勝

集合論的トポロジー

嘉田 勝 @kadamasaru

「三角関数」というワードにむやみに執着するのは、揶揄にはなるけど、議論の本筋からは外れていると言わざるを得ない。 私たちの社会において、教養を学ぶ意義は何か という根本的な問いにまで遡る必要がある。

2022-05-20 08:14:07
嘉田 勝 @kadamasaru

三角関数おじさんをネタに盛り上がるのも一興だけど、三角比と三角関数の違い云々を突っつくのは揶揄としてもスジが悪いと思うぞ。 twitter.com/kadamasaru/sta…

2022-05-22 07:52:43

渡邉究

代数幾何

渡邉究/数学科准教授/YouTube @Kiwamu_Watanabe

小学生のとき、父が大きな木を指差し、「あの木の高さをどうやったら測れるか分かるか?」と問われ、私は見当もつかなかった。自分のいる地点から木までの距離を測り、分度器 で角度を測り、、、というのが私と三角関数との出会いだった。三角関数が話題なので思い出した。

2022-05-20 09:54:15
藤巻健太 衆議院議員 @Kenta_Fujimaki

世の中は分業し、お互いの知識を信用し合い、成り立っている。 木の高さを測る人、木を切る人、木の安全を管理する人、木の役割を研究する人、木から髪を作る人、その紙を流通させる人、販売する人、それぞれに専門知識がある。 三角関数はその専門知識の一つ。 全ての専門知識を学ぶ時間はない。 twitter.com/kenta_fujimaki…

2022-05-21 15:24:29
藤巻健太 衆議院議員 @Kenta_Fujimaki

三角関数は例えば木の高さを測るのに使われる。 1人が木の高さを測ればいい。 残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい。 99人にとっては、安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくかの方が遥かに大事だ。 twitter.com/Kenta_Fujimaki…

2022-05-21 14:04:20
渡邉究/数学科准教授/YouTube @Kiwamu_Watanabe

三角関数だけでなく、数学を勉強する時間の一部を生活に役立つ勉強の時間に振り替えろということなんですかね? 大学から三角関数レベル(高2?)の勉強を始めるとなると、大学卒業時までに身に付く数学の知識は学科関係なく今の学部2、3年くらいになっちゃうのでは? twitter.com/Kenta_Fujimaki…

2022-05-21 16:23:56

「三角関数ではなく三角比」みたいな反応をしていないことに注目

はむかず

機械学習,代数幾何,計算幾何学

加藤公一(はむかず) @hamukazu

例の三角関数の話、それは三角関数じゃなくて三角比!みたいなツッコミが入ってるのを見たけど、僕も三角関数と三角比の違いよくわかってなかった。っていうかそこはどうでもよくない?

2022-05-22 10:08:48
加藤公一(はむかず) @hamukazu

一度身についてしまうと三角比と三角関数を区別して考えたりしないし、三角関数で躓いたっていう人はほぼ間違いなく三角比もできないのでは。

2022-05-22 10:12:05

Conclusion

数理科学者集団の中でも,三角比と三角関数という言葉を同じように使うことは必ずしも問題とされず,またそもそもそれらの区別が言語実践に組み込まれていない場合がある,ということが分かるかと思う.

ソリッドに区別する一貫した流儀もあるのだろうが,そうではない(それも数理科学業界ではかなり一般的な)流儀も存在するのであるから,「三角比と三角関数を交換可能な言葉として用いるのは絶対的な誤り」という主張が誤りであることで決着している.これ以上なにか言葉を付け加える必要はないと信ずる.

Disclosure

編纂者は「敢えて区別したいなら勝手にどうぞ」「そういう言葉遣いの流儀もあっていい」という立場です.重要なことは,これは言葉遣いの流儀の問題であって,数学の問題ではない,ということです.

例えば,数学では「指数関数」という言葉で「(x, y)→x^y や x→c^x や exp だけでなく cos や sin をも含めたものを指す」と宣言しておけば,(マイナーだとか筋の悪い用語法だとかいう批判はありえても)間違いではない.

もっとも,個人の言葉遣いの流儀を他者に強制したり,その流儀に基づいて他の流儀に従う他者の言語使用を間違いと断定したり,ましてやそれをもとに無学と嘲笑することが,きわめて問題ある振る舞いであることは今更言うまでもないだろう.

行列計算を使って初歩的な統計処理を行うことを「線形代数の応用」と言ったひとがいたとして,それに「それは行列論だ」「(抽象線形空間を扱う)線形代数とは違う」などとツッコミを入れるのが的外れであるのと同様です.

数学で他人にマウントを取りたいなら言葉遊びではなく数学をしましょう(何であれ他人にマウントを取るべきでない)

Addendum

全く読めてないひとがいるので「勝手にどうぞ」の具体例を幾つか挙げておく.

sin, cos, tan を [0, π) に制限した関数の各々を三角比と呼び,sin, cos, tan を R 上で定義した関数の各々を三角関数と呼びたいなら勝手にどうぞ.その用語法を採用している文脈の中では「三角比と三角関数は異なる」は真な数学的言明である.

sin, cos, tan の応用のうち三角測量に関するトピックを「三角比」と呼び,そこから真に逸脱するトピックを「三角関数」と呼びたいなら勝手にどうぞ.その用語法を採用している文脈の中では「三角比と三角関数は異なる」は真な非-数学的言明である.

(tan だけ使った応用は「正接関数の応用であって三角関数の応用ではない」と言っているのと大差ないが.)

通常の sin, cos, tan やそれの自然な拡張や制限はなんであれ「三角関数」と呼ぶ.たとえば sin の定義域を [0, ∞) や [0, 2π) に制限したものも,R 上の sin を C 上に解析接続したものも,どれも「三角関数」と呼ぶし,何なら全て同じ記号「sin」で表す.さらにまた三角関数の理論一般(トピック)のことも「三角関数」と呼ぶ.三角関数という関数族やトピックの直角三角形の比という点を強調したいとき「三角比」と呼んだり,sin や cos の波形の関数モデルとしての性質を強調したいときに「正弦波」と呼んだりもする.そうしたいならご勝手に.いちいち明示することはないだろうが,実際にはこれが数学者に最もお馴染みの流儀だろう.この流儀では「三角比と三角関数は異なる」は偽な非-数学的言明である.単にアクセントが違うだけであって指示対象は同じであるから.

もちろん数理科学者のマジョリティの流儀に従う必要は(他の流儀に従う必要がないのと同様)ない.数理科学者とコミュニケーションを取る場合は従っておいたほうがスムースだろうが.教育学者や教員が三角比と三角関数を何らかの基準で区別する流儀を使っていても全く構わない.異なる流儀に従う者(とりわけ児童や生徒)に不利益を与えない限り.

追記:ここでいう「数学的」と「非-数学的」の区別は,数学内の主張であるか,数学外の主張であるか,というものである.「非-数学的」とは「数学外の話だ」という意味であって「数学に反する(数学的に間違いだ)」という意味ではない.

定義域云々

三角関数族のうち sin と cos は R 上で定義されたそれのみを表すという流儀を考えてみよう.(そして tan は R-cos^{-1}(0) で定義されているものだけを表すのだろう.)この流儀では C 上に解析接続された sin や cos は「三角関数」と呼ばないということになる.そのような流儀で書かれた複素解析の教科書を私は知らないが,もちろんそういう流儀を採用しても結構.

ところで sin と cos (であって定義域が R であるもの)は周期 2π の関数だった.このような関数は商 R/2πZ 上の関数を一意的に誘導する.この関数も「三角関数」と呼ぶことができない.数学業界ではこれも「三角関数」と呼ぶのが普通だが,もちろんそういう流儀を採用しても結構.(R→R と R/2πZ→R を完全に同じものと見做すという話ではなく,単に同じ言葉で呼び表すという話である.)

追記:シュワルツ超関数空間,コロンボ超関数環,ミクシンスキ演算子の体などに埋め込まれた三角関数たちは(単に三角関数の値を対応付ける関数という意味では)もはや関数でさえない.それぞれテスト空間上の連続線形作用素,関数族の同値類,畳み込み代数上の形式的な分数となるのだった.これらも「三角関数」と呼びたいことがある.これはもはや定義域云々ではどうにもならない.もちろんそのような「三角関数」をいちいち別の名前で呼ぶ流儀を採用するのも自由である.

追記:数学内部における写像の定義上,定義域が異なる写像は数学的なequalityの意味で異なる.これは数学内部において真な命題である.(集合論などのFoundation of Mathの上で)普通に定義された写像について語っている限り,定義域の異なる写像は数学的なequalityの意味で異なるということは,どの立場であっても真である.(写像の定義域の話とは違うが,同型な対象がequalityの意味でも等しくなってしまうような型理論的なFoMも存在する.この理論について語っている場合には,どの立場であっても,isoな対象はequalである,ということは真な数学的命題である.)このことと,定義域がどんなものであれ,あるいは(値の食い違いがあるような)一意的でない色々な拡張であれ,どれも「三角関数」と呼ぶこととは,何ら矛盾しない.とくに私が「数学者にお馴染みの流儀」としているものと矛盾しない.

たとえば sin(2x) と sin(x) は定義域以前に値が食い違うので,数学的なequalityの意味で異なる対象だが,どちらも「三角関数」と呼ぶだろう.sin|R は「R 上定義された三角関数」であり「sin|[0,2π)」は「[0, 2π) 上定義された三角関数」である.どれも「三角関数」である.それらを言葉遣いの上で区別しないという意味で区別しない(というのがお馴染みの流儀である).このことは「数学の外の言葉遣い」の話である.延々と数学内部のequalityについて語っているひとはポイントを外している.

定義域をsensitiveに区別しておかないと変なことになる場面は当然いくらでもある.たとえば「N で定義された定数関数」は原始再帰的関数だが,「Halt で定義された定数関数」は原始再帰的ではない再帰的部分関数である.そして「Halt^Halt で定義された定数関数」は再帰的ですらない.(ここで「定数関数」という言葉は「N に値を取る定数関数たちの総称」として用いられている.別の場面では複素数値の意味で用いたり,特定の定数関数の意味で用いたりもするだろう.)よって計算可能性理論の文脈では定義域にsensitiveにならないと間違えやすい.しかしこうした場面をいくらあげたところで,そのことは「お馴染みの流儀」の欠陥の指摘になってはいない.

追記:その前に「三角比を sin|[0,π) の意味で用いる用法」自体が共有された流儀でないことに気付くべきである.「三角比と三角関数は同じか否か」という問いを「定義域の異なる三角関数を同一視するか」という意味に解釈すること自体が言葉の使い方に依存しているのである.

所謂「文系」に対する謂れのない非難について

数理科学者でなくても問題の切り分けができる人ならあのようなポイントを外した批判はしない.分析哲学者はこのあたりの問題の切り分けが比較的得意なはずである.相手の主張をできるだけ簡単に論駁できる形に歪めて解釈し批判することを禁じるのが「principle of charity」という作法だった.日本では「チャリタブル・リーディング」と呼ばれることもある.

件の議員の発言は,三角測量を三角関数の応用と見做す(おそらく大抵の数理科学者が同意するところの)言葉の流儀のもとでは,正しく三角関数の応用について語っているのであって,「三角比と三角関数を混同している」は適切な批判ではない.

「そんな初歩的な応用しか思いつかないのか」という揶揄を込めたレトリックとして「三角関数ではなく三角比の応用だろう」と言ったのだとしよう.しかし,一般大衆に離散フーリエ変換に基づく非可逆圧縮の原理だとかデジタルカメラの美肌フィルターの原理だとかを説明したところで通じないから,最も初歩的な例を挙げただけかもしれないのだから,本当に初歩的な例しか思いつかなかったとは限らない.したがってこれも適切な批判ではない.

使用頻度について

「お母さん」と「母」は同じ意味だがニュアンスだけが違う.しかし公の場で多くの成年者は「母」を使う.

行列の「積」も「乗法」も「掛け算」も同じ意味だがニュアンスだけが違う.例えば「乗法」や「掛け算」という語には,その結果 AB というよりも,関数(演算子)自体 M_nm(R)×M_mk(R)→M_nk(R) や,その計算・方法というニュアンスがなくはないが,AB のことを A と B の乗法や掛け算と呼んでも別に差し支えはない.しかし大抵の数学書では「積」という用語が採用される.

ある複数の語をソリッドに区別しないことが一般的であることと,それらのうち特定の語のみが頻繁に使用される/されないこととは,完全に両立的である.

また見かけ上(文字列として)同一な語が複数の意味で使われることもある.上の例では「積(乗法・掛け算)」という語が,積関数の意味でも,積の結果の意味でも用いられている.(さらにまた行列環以外の代数系における積の意味でも用いられるだろう.)このケースでは指示対象が数学的対象だが,数学の単元を指示対象とすることもあるだろうし,その単元で扱われるトピックを大雑把に指示対象とすることもあるだろう.

・語の使用には複数の流儀がある
・見かけ上同一な語が複数の異なる使用を持つ場合がある

追記:日本語における「三角比」と「三角関数」という言葉の使用を調べるために,その英語での直訳の使用(しかも頻度)を調べるという手法をとっているひとがいるが,これは言語学の調査手法としてきわめて問題である.

リンク www.jstor.org Hesperus and Phosphorus on JSTOR Leonard Linsky, Hesperus and Phosphorus, The Philosophical Review, Vol. 68, No. 4 (Oct., 1959), pp. 515-518

三角形と波

三角関数という数学的構造の三角形としての現れを「三角比」,波としての現れを「三角関数」と呼ぶという流儀もあるらしい.(冒頭に引用した鴨氏のTweetはこの流儀について語っている.)もちろんそうするのも自由ではある.ところで以下の定理に出てくるsinは「三角比」だろうか?それとも「三角関数」だろうか?