六衛府さんの日米戦争沖縄戦における沖縄捨て石論について

六衛府さんの日米戦争沖縄戦における沖縄捨て石論について
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六衛府 @yukin_done

「沖縄は捨て石にされた」というのは結果論で、正確には「大本営の失策により捨て石と化してしまった」と言ったところだろうか。南西諸島方面防衛強化のために第32軍が創設されたのは昭和19年3月であり、それまで南西諸島の地上兵力は皆無に近かった事実を前提に沖縄戦について述べてみたい。

2017-08-05 08:54:50
六衛府 @yukin_done

大本営は米軍の侵攻先を「台湾」と見ていた。事実、米側では台湾侵攻作戦が昭和19年初頭の段階で米統合参謀本部で決定済みであった。侵攻先が台湾から沖縄に作戦変更されたのは同年10月。言うまでもないが、台湾も沖縄も等しく皇土であり、絶対に敵に侵攻させないというのが大本営の考えであった。

2017-08-05 09:00:27
六衛府 @yukin_done

「捨て石」という言葉を最初に使ったのは第32軍の長勇参謀長とされているが、その思いに至った直接原因は第10方面軍内での第32軍主力の第9師団の台湾転出決定と見ていいだろう。大本営は台湾侵攻の備えとしたのだが、本土からの代替師団の増備要請も却下されたことに失望したのかも知れない。

2017-08-05 09:08:00
六衛府 @yukin_done

第9師団の台湾転出命令は昭和19年11月17日、転出は年末に行われた。この時点で米軍は「台湾は通過、沖縄に上陸」と作戦を変更決定していた。この頃の日本南方海域周辺の制空、制海権は確保できておらず、本土からの増援部隊送出ができなかったことは常識として踏まえておきたい。

2017-08-05 09:15:35
六衛府 @yukin_done

第9師団は現役兵だけで構成された精鋭部隊で沖縄戦の主力になっていたかも知れないが、米側総兵力は54万人、上陸部隊は18万3000人、艦艇1500隻であり、第9師団が残置され、参戦していても2週間程度持久戦闘期間が伸びた程度であっただろうという戦史家もいるが実際の所はわからない。

2017-08-05 09:27:00
六衛府 @yukin_done

この陸軍精鋭の第9師団なのだが、皮肉なことに大戦中を通じて一度も敵と交戦していないのだ。長勇参謀長が「捨て石となる覚悟を決めて」発した言葉が戦後に左に悪用されて、あたかも当初から政府が捨て石としようと企図したような誤解を生んでいるのだが、自分は違うと考えている。

2017-08-05 09:34:42
六衛府 @yukin_done

敗戦が誰の目からも濃厚となった昭和20年に1月「皇土、特に帝国本土の確保」を最重要視するように帝国陸海軍作戦大綱が出される。左は「ほら見てみろ」とこれを援用するのだが、この時点では日本全土の各都市は各地で焼け野原になっており、敗戦濃厚のこの時点ではあたり前の大綱内容である。

2017-08-05 09:45:22
六衛府 @yukin_done

時系列を追えば何もおかしくないのだが、そこをはぐらかす左の論調は何度も見てきた。「沖縄戦について所感を述べよ」と言われれば不本意だが以上に述べたことになるのだが、何度も言うが自分は沖縄で戦ったすべての先達日本国民への感謝の気持ちと哀悼の念だけを大切にしたい。

2017-08-05 09:56:22
Nathan(ねーさん) @Nathankirinoha

@yukin_done 航空機特攻について ❶軍事戦略の視点からは外道 ❷戦果も3000人以上の犠牲に対して小型船の損壊がほとんどであり戦略としては失敗 ❸ただし米軍人、後の占領政策への影響は大きい ❹特攻隊員の勇姿は無形の財産を日本にもたらし米軍の敬意の対象にすらなった こうした受けとめをしてます。

2017-08-06 00:33:15
六衛府 @yukin_done

@Nathankirinoha 自分は特攻の是非については語らないようにしています。ご了承ください。

2017-08-06 00:41:57