情報の伝達とか教育のスタンスとか
割と多くの人間(優秀な人間もそうでない人間も)が「自分は能力的に普通」と考えていて、「自分にできたことは普通の人ならできるはず」と思ってる気がする。
2011-09-18 20:26:59まぁ個人的には「自分にできたことは他人にもできるだろう」は教育者としてはちとマズイんじゃないかと思うんだけどね。もちろんどんな人間の面倒でも見れるかといったら無理だけど。ただ少しずつ「自分にできることができない」人間にも知識や技術を伝達できるようにせねばとは。
2011-09-18 21:08:29でもたぶん大学の先生の場合、多くの人が「自分が自然にできるようになったことは教えなくてもできるようになってもらわねば」と思っているので、学生はそれを知っておくべきなのかなとは。高校までとは大きく違う。ある面で優秀な人と同等の能力・努力がないと適切なアドバイスはもらえない。
2011-09-18 21:16:32アメリカなんかは「バカでもできる」方法の開発に力を入れて、結果的に組織として強力になったんじゃないかって気がするのよね。単純に合理性を追求した結果なのかもしれんけど、多文化主義に根差しているとしたら面白い。
2011-09-18 21:37:12日本人の好きな「空気読め」とか「以心伝心」とかは能動的なコミュニケーションの放棄だよね。「他人が自分と違う」と仮定するところから、論理的な説明能力や伝達能力が磨かれるわけであって。
2011-09-18 21:43:27思考回路が同じで有している情報が若干違うだけなら情報の差分を埋めればいいだけだけど、普通は思考回路自体も違うので、自分とは異なる形式で理解させる方法をいくつも持たにゃなかなか伝わらない。
2011-09-18 21:45:06もちろん個人での試行錯誤を否定する気はないのですが。学ぶ側が努力することを前提に教える側も伝達力を高めるのが理想かなという話でして。一方にのみ負担を強いるのはナンセンスですよね。
2011-09-18 21:48:57能力のある人が自分で試行錯誤してプロフェッショナルとしての能力を身に付けたのならそれはそれでハッピーなんですが、集団としては同じレベルの人材が同じくらいの数だけ輩出されることになって、めざましい向上はないのではないか、と思うわけです。
2011-09-18 21:53:11もちろん「懇切丁寧に教える→教わる側が試行錯誤を怠ける」という危険性はあるので、少々面倒なんだけど。ただ丁寧に教える能力があっても、相手の能力に応じて指導を省く、ということは可能なわけなんで、私はそういう指導者が理想かな~。まぁめったにいないので期待しないほうが安全なんですがw
2011-09-18 21:56:45まぁ結果的に師を越えるような人間は、そもそも懇切丁寧な指導は必要としないんでしょうがw ただ師より能力的に劣る(あるいはタイプが違う)人間がそこそこの能力を身に付けられればそれは価値があると思うし、自力でどうにかできる人間も適切なサポートがあればその分先へ進めるんじゃないかと。
2011-09-18 22:07:46「飲み込みの悪い人間」を手間掛けて教えるのは短期的には報われないんですけどね。替わりに優秀なやつがいれば手間掛けなくても同等の成果が出るわけだし。ただ「飲み込みの悪い人間を理解させる」技術は蓄積されるし、長期的には組織のパフォーマンスをかなり上げるんじゃないかな。
2011-09-18 22:12:15