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パニッシャー(@punisher_D)さんのまどマギ試論-主にまどほむについて、バトロワとかエヴァとか成熟とかウテナとか-

今のところ自分用。内容はタイトルのような感じで。 ……と、コメントにもありますが、議論追加込みのご本人様によるまとめが出ました。 「ゼロ想」風に語る まどか☆マギカ論 ~まどマギは、2010年代の新しい想像力足り得たか?~ (http://togetter.com/li/191051) こちらをご参照いただくほうが適切かもしれません。
アニメ 魔法少女まどか☆マギカ
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パニッシャー @punisher_D
ここまでの自説・まどマギ論を再整理してツイートします。
パニッシャー @punisher_D
まどか☆マギカが面白いのは、この物語が「願いが叶えられた後の物語である」といった点だ。
パニッシャー @punisher_D
まどマギとの類似点を挙げられる作品として頻繁に登場する、「仮面ライダー龍騎」や「Fate/stay night」といった作品群は、いずれも「願いを叶える為に戦う」物語であった。しかし、まどか☆マギカは「願いを叶えた代償として戦いを強要される」物語である。
パニッシャー @punisher_D
魔法少女たちは自分の意思で目的のために戦っているのではない。契約に基づき、代償を支払うために強要されて戦っているのだ。そこには未来がない。だからこそ、彼女たちは死人なのだ。魂の在り処などは何の関係もない。
パニッシャー @punisher_D
ちなみに龍騎にしてもFateにしても、願いを叶えてくれるとされる存在は、実は不完全なもので万能にはほど遠い存在である。そもそも本当は叶える意思やその力が無かったりする。 対してキュウべえとの契約は、(契約者の資質に左右されるにしても)万能の力を備えた願望器だ。
パニッシャー @punisher_D
だが、龍騎やFateではまだ「願いが叶いさえすれば幸福になれる」という希望は残されていた。それが叶えられないのは、願望器が不完全な所為であり、願いの成就=幸福という方程式は否定されてはいなかった。 しかし、まどマギではどうだろうか。
パニッシャー @punisher_D
キュウべえとの契約は完璧な願望器である。にも関わらず、願いを成就させた瞬間に対象者はより残酷な現実に突き落とされる。最終回で概念となってしまったまどかの存在もそうだ。まどマギという自己犠牲の物語の中にあって最大の自己犠牲そのものではないか。
パニッシャー @punisher_D
龍騎・Fate~まどマギへの変遷には「願いが叶いさえすれば幸福になれる」から「願いは叶わない」という諦観、「もし叶ってもそこには代償を伴う」という現実、そして更に「願いが叶っても幸せにはなれない」という絶望がある。
パニッシャー @punisher_D
それは人間を永遠に幸福にしてくれるような、都合の良い願いは(フィクションでさえ)成就し得ないというリアリティである。 その想像力の変遷を僕は非常に面白いと感じる。
パニッシャー @punisher_D
もちろん、今までにも願いの成就が必ずしも人間を幸福にはしないという、物語はあった。しかし、そういった作品の大半は因果応報的な教訓めいた結末のものが殆んどであったように思う。
パニッシャー @punisher_D
まどか☆マギカという、(局所的であれ)ムーブメントを起こしている作品内で、それが描かれているという現実に、時代的な背景をおぼろげながらに感じるのだ。
パニッシャー @punisher_D
「戦わなければ生き残れない!」これは仮面ライダー龍騎のキャッチコピーであるが、このコピーは決断主義的なバトルロワイヤル的な作品全体に共通するテーマであると言えるだろう。
パニッシャー @punisher_D
しかし、このコピーはまどか☆マギカという作品には当て嵌まらない。何故なら魔法少女は既に「死んでいる存在」だからだ。生き残る以前に、生きてすらいない。
パニッシャー @punisher_D
彼女たちは生き残る為に戦うのではなく、死んだ後に戦いを強要される存在である。そこにあるのは、死んだ後でも戦い続けなければならないという、シビアな現実だ。
パニッシャー @punisher_D
西尾維新が戯言シリーズの中で主人公・いーちゃんに語らせたように、人生はゲームではない。どんなに致命的な出来事に見舞われても=ゲームオーバーになっても、人生は命が尽きるまで続くのだ。
パニッシャー @punisher_D
それまでの決断主義的な作品ではバトルロワイヤルに勝利さえすれば=願いを成就させさえすれば、(その座から蹴落とされない限り)幸福になれるという在り方が支配的であったように思う。
パニッシャー @punisher_D
その結末のほとんどは、夜神月のように道半ばで敗北するか、ルルーシュのように成就の果てに自らの死によって幕を閉じる。あるいは別の存在に取って変わられる。そこには、願いが成就された後の物語がない。なかには蹴落とされた後に再起を誓い、その可能性を感じさせて終わる作品もある。
パニッシャー @punisher_D
だが、まどか☆マギカの魔法少女たちにはその可能性すら用意されてはいないのだ。再起とは、新たな願い=目的を得るというコトである。それを指向する限り人は生き続ける。しかし、基本的に魔法少女たちにその傾向は見られない。
パニッシャー @punisher_D
巴マミは半ば義務感(あるいは正義感)で、佐倉杏子は諦観の末に割り切って、美樹さやかはマミのそれをトレースする形で、後半はヤケになって戦い続ける。それは新たな願いを獲得出来なかった、獲得出来るような環境にいない、その所為で「死んでしまった」少女たちの物語だ。
パニッシャー @punisher_D
しかし、そんな魔法少女の中にあって異質なキャラクターが存在する。そう、暁美ほむらである。
パニッシャー @punisher_D
劇中に登場する魔法少女の中で、唯一彼女だけは願い=目的とはしない。彼女にとってキュウべえとの契約(願い)は手段に過ぎない。彼女の真の願い=まどかを救うための過程でしかないのである。
パニッシャー @punisher_D
暁美ほむらだけは、願いを叶えた後もその目的を見失わなかった。幾度もループを繰り返しながら、彼女が絶望しないだけの強度を保っていられたのはその為である。まどかを救う為に=生き残る為に戦っていたのは、ほむらただ一人だ。
パニッシャー @punisher_D
魔法少女達の中で、彼女だけが唯一どの世界線でも「死んでいない」というのは、在り方として、ある意味で必然である。
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コメント

パニッシャー @punisher_D 2011年9月20日
その後、ウテナを超えるまどか☆マギカの可能性に思い至ったので、後日追加します。。。
天一号艦これACおじさん@チェキ空 @ten1gou 2011年9月21日
最近ウテナを見たんですけど、その先へ行こうとしてたという感じはしましたね。
パニッシャー @punisher_D 2011年9月23日
追記したものを新たにまとめてみました。 「ゼロ想」風に語る まどか☆マギカ論 ~まどマギは、2010年代の新しい想像力足り得たか?~ (http://togetter.com/li/191051
ええな@豚バラ🐽ばらまくニャ @WATERMAN1996 2012年10月27日
ウテナは多少見はしたんだが、どうしても水が合わなかった。今見れば違うのかもしれないが、あの作品の閉鎖性が気持ち悪くて気持ち悪くて…。もともと学園モノは好きではないのだ。
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