10周年のSPコンテンツ!
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ほんのこ @shbttsy74
ETV特集「シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論」福島第一原発の記録映画。1964年建設用地検査から運転開始までの6年間。もともと敷地は海抜35mの台地。その高台を海面から10mの高さまで削る。建設・運転の費用をおさえるため、が理由の一つ。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。3.11震災。高さ13mの津波が福島第一原発を襲う。ディーゼル発電機が津波にのまれ故障。元通産省・伊原義徳氏、非公開の「原子力政策研究会」の録音テープを所有。100時間の肉声。最優先にされるべき原発の安全性が置き去りにされるさまが赤裸々に描かれる。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。伊原氏、研究会の会合に参加していた。都内の雑居ビルの会議室で。「10数人のメンバーが集まって月に1回、勉強会をやっていた」日本の原子力政策を担った人々。1985〜94年。主催者、元通産省・島村武久。当事者のみが知る事実・本音を後世に残そうとした。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。1985年7月初会合。東大名誉教授・茅誠司。核物理学の第一人者。テーマ「原子力事始め」黎明期を振り返る。「昭和27年に講和条約、核分裂の研究をしてもいいとなって。私は日本学術会議にいて、自然科学の分野だから、責任が私にかかってきた」 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。茅、研究再開の申し入れをしようと、大阪大学教授・伏見康治とともに、仲間に呼びかけ。再開に強く反対する物理学者、広島大学三村教授。同僚や教え子を原爆で亡くす。原子力研究が軍事利用されることを危惧していた。茅、三村と意見が真っ二つにわかれたと語る。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。茅「(三村は)爆心の近くにいた。彼が言うには、三途の川とはこれかと。みんな裸でいた。皮がむけて血がいっぱいでていた。米ソが仲良くなってから研究はすべき、それ以前にすべきでないと。それからいろいろ議論がおこって、茅の意見は取り下げろとなった」 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。茅の研究再開提案は却下、継続議論に。島村原子力政策研究会では、後藤文夫を取り上げている。東条内閣国務大臣。巣鴨拘置所に勾留されていた。戦後日本の主力エネルギーとして原子力にいち早く注目。1952年、電力経済研究所を設立、原子力の調査を開始。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。中央公論社・森一久、後藤に抗議。「財界の人が原子力をもうけのためにするなどとんでもないと。行ってみたら、後藤さんが論語か孟子か読んでいる。『俺達は戦犯で日本をめちゃくちゃにしたので、原子力が日本の復興に役立つならと』ミイラ取りがミイラになったわけ」 #etv
arupaka @komakusaryama
森:湯川の弟子RT @shbttsy74 中央公論社・森一久、後藤に抗議「財界人が原子力をもうけのためにするなどとんでもないと。行てみたら後藤さんが論語か孟子か読んでいる。『俺達は戦犯で日本をめちゃくちゃにしたので原子力が日本の復興に役立つならと』ミイラ取りがミイラ… #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。森、後藤のもとで研究者と政財界のパイプ役を果たしていくことに。1950年代はじめ、日本は深刻な電力不足。計画停電が度々実施。伸び続ける電力需要に発電量が追いつかない。一刻も早く安定した電力を、それが国民の願いだった。米から最新鋭の火力発電所を輸入。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。発電の主力は水力、しかし渇水時には落ち込み、ダムを作る場所も限られる。水力火力にかわる発電源として、原子力への期待が高まる。ソ連、1951年大型原発の開発に着手。東側陣営の拡大を図る。米、国連でアイゼンハワー演説。「平和のための原子力」提案。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。日本の政治家たちが反応。1954年2月、改進党・齋藤憲三を中心に、超党派で原子力予算案を作成。メンバーのひとり、自由党・前田正男。「昭和29年の予算の補正でやることになって、中曽根(康弘)さん齋藤さんが中心となって」2億6000万円の予算案提出。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。大阪大の伏見でさえ、政治主導の予算案にショック。「新聞を見たら中曽根案が出ている。もうびっくりして。原子物理学者がイニシアティブをもたないとうまくいかないと思っていた。全段階に学者に責任があってという前提だったから、中曽根予算案がショックだった」 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。4月、中曽根予算案が成立。初めての原子力予算の使い道を通産省の官僚たちが考える。伊原氏、予算配分の決定に携わった。ほとんどの職員が専門知識をもっておらず、慌てて勉強を始めた。「突如として天からお金が降ってきたから、驚いた」 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。研究会録音「準備段階で大半の金を余らせてしまった。あとはキャリーオーバー(持ち越し)してしまった」その後原子力予算が急増。昭和36年度には77億円。使い道がはっきりしないまま、額だけが増えていった。1954年3月、ビキニ環礁、第五福竜丸事件#etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。事件の半年後、乗組員・久保山愛吉さん死去。太平洋のマグロから放射能検出。全国的な反核運動へ。米に対し反感が高まる。経済界から、その後の原子力政策に大きな影響を与える一人の人物が現れる。正力松太郎。読売新聞の経営者・日本テレビ社長。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。「反核運動が共産主義につながるのでは?」正力は、原子力平和利用の一大キャンペーンを張る。秘書の柴田が米に極秘文書。両名による具体的な提案が。「原子力の著名な科学者を来日させる。正力は新聞とテレビネットワークを通じて啓蒙プロパガンダを行う用意がある#etv
... @NN5N5NN
@shbttsy74 現在も続く反共プロパガンダはこの正力の活動の流れを汲む
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。日比谷公会堂で平和利用使節団の講演会。講演したホプキンス、実はゼネラル・ダイナミクス社の社長。読売新聞では、原発で電気料金が格段に安くなるとの記事。正力、原子力平和利用博覧会を共催。東京から1年間で全国11箇所で、およそ300万人が訪れる。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。広島、平和記念資料館が会場。被爆者の遺品や写真を撤去して、原子炉の模型などを展示。研究会「反核運動が広がり始めているころに、昭和31年にあれだけ華々しく原子力研究がスタートできたのは、(正力のキャンペーンが)実質的に役立っているという気がした」 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。被爆者・森瀧市郎。はじめは展示に抗議。しかし、原子力平和利用を支持すると発表。次女・春子さん「米の文化センターが広島に設置されて、ソフトな形で広島市民に新しい文化をもたらし浸透していた時期。悲惨な目にあっているからこそ、平和利用への期待があった」 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。春子さん「そういう意識を洗脳されたという言い方が正しいのかも」三村、キャンペーンのあと沈黙。研究者の間では、積極的に研究を進めるべきという考えが主流に。政財界の動きに研究者が合流、原子力導入の動きが加速。正力、政治家に転身。原子力担当大臣に就任。 #etv
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。正力「5年以内に実用的な原子力発電を始める」宣言。原子力委員会委員長に就任。湯川秀樹を委員に招く。が、就任早々両者が正面から対立。湯川、まずは基礎研究から始めるべき。正力、早期実現を急ぎ、外国から輸入すべきとして湯川の意見を退ける。 #etv
上西尚登 @obckbs1102
@shbttsy74 正力さんは確かCIAのエージェントでした。コードネームはポダム。
ほんのこ @shbttsy74
ETV特集。森、湯川から呼び出し。「もう辞めると。いくら何でもとなだめてね」湯川、1年で委員会を辞任。「学者らしい生活と相容れなかったのでは。毎日来てはイヤになった、心配事が多すぎて。原子炉についてはいいか悪いかご存じない。責任が重いのにわからないと心配された」 #etv
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コメント

ほんのこ @shbttsy74 2011年9月19日
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