2022年6月14日

荒川洋治『文学は実学である』読書メモ

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やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

荒川洋治さんの「白い夜」という文章に「長談義の心得」が①~⑤までまとめてあって「長談義」好きとしては共感するばかり。特に③ 「本でもなんでもいいからときどき「物」を出し、さわったり、めくったりすると、たしかなものになって、話が締まる」

2022-06-12 16:28:42
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

その人が相手だから、この顔になる、というものではない。そこが美しいと思う。心を通ったのではない。通っていないのだ。通っていないほどにすばやい。それが慈愛の顔なのであろう。そういう笑顔にふれると、一日がずっと先まであたたまったように感じる。 (荒川洋治『文学は実学である』21)

2022-06-12 16:31:29
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

「機械」は反リアリズムの神気漂う作品だけに、都会の密室で書かれたものと思っていた。実は海を見ながらだったのだ。部屋からは海が見えたのだ。 (荒川洋治『文学は実学である』40)

2022-06-12 16:35:44
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

荒川洋治「横光利一の村」、いい文章だなあ。横光の「夜の靴」を絶対近いうちに読もう。

2022-06-12 16:39:11
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

「朗読会に出れば人は集まる拍手(義理なのに)は返ってくるで、単なる「反応」と自己の「存在感」をはきちがえ読者とのコミュニケーションがとれたものと錯覚。いっぱしの社会参加でもした満足感を味わい(ボランティア愛好者と同じ笑顔)やみつきに。人前に出ると

2022-06-12 16:41:45
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

「なまの身体をさらけだす」よろこびがあるそうだ。詩人のからだなど見たくもない。舞台に立つと、「他者」が見えるそうだ。客席が見えるだけなのに」 (荒川洋治『文学は実学である』70)

2022-06-12 16:56:28
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

加藤典洋『言語表現法講義』読みたい。メモ。

2022-06-14 18:37:53
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

主題は、主人公は、とそればかり思う。知らない地名が出ても軽くみる。通りすぎる。そのため作品の世界が身近にならない。作品の印象も希薄な、漠然としたものになる。それは読書の損失である。本来、読書は実体的なものだ。 (荒川洋治『文学は実学である』191,192)

2022-06-14 19:07:04
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

でも人はこんなふうに、好きな人たいせつな人の前では、よろこんで単純になれるのである。単純さのなかへ身を沈めることで、その人への観察も深化する。 (荒川洋治『文学は実学である』195)

2022-06-14 19:10:03
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

尊敬、畏敬には観察がつきものだ。そのひとときには、はりがある。はりがあるから、うれしいのだ。ここにあるのは、観察だけ。他には何もないのに、人間の幸福がきらめく。 (荒川洋治『文学は実学である』195)

2022-06-14 19:10:09
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

尾崎紅葉『多情多恨』、結城信一『文化祭』、田中小実昌『ぽろぽろ』、宇野浩二「一と踊」、マラマッド「湖上の貴婦人」…… 読みたい本・作品のメモがたまっていく……

2022-06-14 19:24:24
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

というわけで、どんな文章もしっかり読んでいけば行間は存在しないのだ。しっかり読まないから、わからない。あたりは行間だらけになる。 (荒川洋治『文学は実学である』247)

2022-06-14 19:26:44
やまぐちかんた @0sak1_m1d0r1

荒川洋治「美しい砂」、尾崎翠キター pic.twitter.com/ZRxtW31wjT

2022-06-14 19:31:09
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