アイヌの豪傑たちが松前藩の蝦夷討伐隊二千人を蹴散らす「ゴールデンカムイ」みたいな話を幸田露伴が書いていた件

幸田露伴もかなり剣呑だった。かなり明確な日本批判もあり、よくぞ出版されたなという感じ。
17
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

アイヌの豪傑たちが松前藩の蝦夷討伐隊二千人を蹴散らす「ゴールデンカムイ」みたいな話を幸田露伴が書いていた件|小林十之助 @mokuhyokabuka #note note.com/kobachou/n/n61… pic.twitter.com/BuXNRhBoCi

2022-07-12 09:42:56
拡大
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

『雪紛々』は明治二十一年に読売新聞に連載していたところ政府に忌諱され、発行停止処分を受け、中断したものを幸田露伴と堀内新泉が話し合って書き継いだものである。従って第十四章までが幸田露伴の作、第十五章以降は幸田露伴の腹案を堀内新泉が作品に仕上げたと考えてよいだろう。

2022-07-12 09:18:31
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“そして「語らうか蝦夷のむかし、語れば恨みに聲も立たぬなるべし、書うか其恨み、書かば悲しみに筆も凍るべし」という、明確にアイヌ寄りの立場から書かれた作品である。靜雁村の山奥、朱魔珊の川の畔から物語は始まる。” dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…

2022-07-12 09:20:24
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“汝と我とは仕合せに呑空様に從つていろはも習へば大概の物の道理も覚へた者、道理の違つた事に屈するわけは無い、どう考へても彼等はアイヌを苦しめる馬鹿役人、無理非道に夫役を當て、我儘勝手に人を使ふ似非役人は仮令汝の貧に逼るも繁々夫役を當らるるからの事、忌々しうて腹が立つ。(『雪紛々』)”

2022-07-12 09:21:09
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

今でもこんなことを書けば公安警察にマークされかねないが、明治二十一年はさらに剣呑だっただろう。明治宮殿が出来た年、大日本帝国憲法発布の前年である。西南の役が明治十年。この最後の内乱を片付け、日本という国が漸くできかかっていた時期である。北海道および樺太の開拓は、重要な国策だった。

2022-07-12 09:21:37
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

恩菱の病気の母知來麻志は薬をくれた日本人を「畜生役人」と罵る。畜生のくれた薬は飲まぬと意地を張る。この作品では日本人は畜生で、母の看病をする恩菱の妹伊良武のところへやってきた役人の村塚軍藏の使い六助は、旦那に抱かれりゃ兄の夫役も御免になり、手当も貰えると下種な話をしにやってくる。

2022-07-12 09:22:48
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“そこへ母親知來麻志が起きて出て来て「人の皮を被れば少しは恩と義理を知れ、七年前お前が大熊に襲われた時、わが夫がお前を助けてやったではないか」と罵る。日本人の神とて非道は憎もう、と完全に日本人が悪者の世界が描かれる。”dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…

2022-07-12 09:25:10
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“ この後伊良武の口に手拭いをかませ、抱え上げて連れ去ろうとする六助を沙具沙允が助け、……といろいろなことは起きるが十四章は沙具沙允と伊良武の結婚式で無事終わる。”dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…

2022-07-12 09:26:33
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“ そしていよいよ堀内新泉が受け持ったとされる第十五章以降で、話はなんだか「ゴールデンカムイ」のようなことになる。” アイヌの豪傑たちが松前藩の蝦夷討伐隊二千人を蹴散らす「ゴールデンカムイ」みたいな話を幸田露伴が書いていた件|小林十之助 @mokuhyokabuka #note note.com/kobachou/n/n61…

2022-07-12 09:27:01
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“恩菱が家の後ろの山のドロの木の根元を掘っていると妹が何をしているのかと問いかける。実は母の遺言で四代前の知古茂多允が残した黄金の鍬先を探していたのだ。何日も探したが見つからない。掘り返したところから日本人の火打袋がでてくる。さては日本人が掘り出したのか?”lab.ndl.go.jp/dl/book/888708…

2022-07-12 09:31:24
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“……結局伊良武をさらって手籠めにしようとした村塚と沙毛六は、屋敷に駆け付けた沙具沙允に頭を杵で叩き潰されてしまう。沙具沙允は伊良武を助け出し、黄金の鍬先を取り戻すも、流石に日本人の報復を恐れて仲間たちと村を焼き払い、旅に出る…。”

2022-07-12 09:34:32
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“ 幸田露伴の構想はどこまで張り巡らされていたのか解らないが、話は松前藩二千人、アイヌ軍五千人の大戦争に至る。史実としてはシャクシャインの戦いを下敷きとしている。”ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7…

2022-07-12 09:35:18
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“寛文十年というから1671年、将軍は徳川家綱の代である。蝦夷征伐とは言いながら、堀内新泉の書きようは

2022-07-12 09:36:11
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“俊苦は例の山彎刀を揮つて、佛登鬼と先を爭ひ、深山の粗朶を走せ潜る狼の勢ひ爲して當先に進み出で、敵の首早四五十も擊碎きしが、一ト息吐きて首を廻らし大將は如何にと打見る沙良泉は光朗晃々たる寶刀を揮つて、瓜なんどをば截るが如く物の見重に敵の首をいとも容易げに切り落とせり。(『雪紛々』)”

2022-07-12 09:38:05
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“……とアイヌの豪傑をいかにも勇ましく描いている。結局二千の兵の内、わずかに十人のみ命からがら逃げかえる始末。  この如何にも剣呑な小説は明治三十四年一月に出版された。”

2022-07-12 09:38:42
حملة الأسهم في الشرك @mokuhyokabuka

“その前年義和団の乱が勃発し、日本帝国軍は鎮圧に乗り出す。結果、日本とロシアとの対立が顕在化していった。日英同盟が結ばれるのは明治三十五年である。この時代に日本人とアイヌの戦争を描くことはかなり剣呑である。幸田露伴の意図に政治的なものが含まれていないと考えることは難しかろう。”

2022-07-12 09:39:55