「現代科学だって一種の宗教!」と思ってる人に知ってほしい、「科学的」を司る「再現性・因果関係・反証可能性」の3要素
>現代科学だって一種の宗教ぐらいの気持ちでいるから、
>似非科学を声高に叫んでる人を見てもふーんとしか思わない
という質問箱について
あんまり基礎的な話が抜けすぎてて反証可能性とかいう言葉を出すのが恥ずかしいぐらい #Peing #質問箱 peing.net/ja/qs/11585576…
2022-07-12 21:53:02・一つ目
>ある事柄について考えたり調べたりする時、その方法が同じならば、いつ・どこで・誰であったとしても、同じ答えや結果にたどり着く
>これは再現性という性質
・二つ目
>原因と結果の関係がきちんとあるということ
>これは因果関係という性質
・三つ目
>カール・ポパーの反証可能性
>これは、ある仮説が実験や観察によって、反証される可能性があるかどうか
>つまり、反証する方法がない仮説は、科学ではないとしている
反証可能性っていう名前だとピンとこないと思うけど、要するに検証できるかどうかってこと。 立証も反証もどっちも出来ないものは仮説の域をでることができないの。 裁判みたいに判事にある程度裁量権があるわけじゃないから。
2022-07-07 11:03:04●反証可能性 カール・ポパーが論じた健全科学と疑似科学の境界条件で、ある仮説は反証される可能性がなければ科学的ではないというもの。当初これを必要十分条件としていた(と読み取れる)こともありポパーは多くの批判を浴びたが、現在でも重要な概念の一つである。
2022-07-07 21:38:47この「反証可能性を仮説の中に持つ必要がある」というイメージがなかなかに難解かと思われるが、例として
もちろん科学理論である以上、自然選択説には反証可能性がある(※カンブリア紀の地層からウサギの化石が見つかったら進化論を捨てるとドーキンスは書いている)。いずれ「より正しい理論」が見つかるかもしれない。それでも、文明発展の過程で「自然選択説」を必ず通るのではないか、と。 #ツイッタSF
2022-07-04 13:57:52この
>カンブリア紀の地層からウサギの化石が見つかったら進化論を捨てる
という表現が具体的で分かりやすいかと思われ
・東京都市大学
授業科目名:科学技術と社会
の「レポート課題」として以下リンク先
ガタ。。 科学は。。今ググってみた所 再現性と 反証可能性 科学は不変の真理ではなく、現状反証されていない暫定的真実まで内包している。 どれだけ論理が破綻していても信じ込む宗教とは相容れない。
2022-07-11 17:25:29観測事実に基づいた反証の試みなら常に受けて立つのが、物理と申しますか自然科学だと思いますのよ。科学を特徴づける性質の1つは反証可能性ですわ。反証の試みに耐えるのではなく、反証の試みを「物理的にありえないのが常識」という信念によって封じ込めるのは科学ではないと思いますわ。
2022-07-08 21:03:26コレ、人文科学や社会科学のみならず、自然科学にもちょこちょこ来る問題なんですけど。 反証可能性や実験が難しい分野についてまわるアレなんですよね。科学哲学をよんでくる案件 twitter.com/bomber_bookwor…
2022-07-07 17:11:43共産主義、社会主義ってさ。 「仮説として」世界はこの順番に変わっていくのではないか、ってのは(仮説に留めるなら)ひとつの興味深い仮説と思うのよ。 資本主義のターンはもう終わり。あるいは、人為的に過程を早めてよい。という主張の部分が未だに分からない。 この仮説は絶対だ、も分からない。
2022-07-07 16:56:42科学・学問の定義とは「客観的かつ反証可能な仮説の体系」だと思ってるんですが、世の中では「体系性」を無視して、ごく一部の知識を抜き出して学ぶ事が「雑学」「教養」として持て囃されているような気がするので、 「理解しやすい俯瞰的総論」を伝える事がしてみたいです。
2022-07-07 18:54:34追記その1:2022/07/16
以下、各位コメントで一部が消えているので、その補足情報として
(良い感じのコメ欄やりとりだったと思うのだけれど。
なお、まとめ主がコメントデザインしたのではない)
消えた元のコメントの内容(まとめ主のざっくり覚え)は
○「涙を流すマリア像」の話も科学的になりうるか
・世界各地で事例が報告されている(←多発性と再現性はまた別の話ではあるけれど)
・「どうぞ反論してください」というスタンス(←反証可能性を「仮説の中にあえて組み込む」という話なので、そういうスタンスというかお気持ちの話とはチト違うけれど)
○定説にならなかった仮説は科学的ではないのか
(←これについては別の人のコメ欄にて解説あり)