10周年のSPコンテンツ!
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12話(最終話)の感想から
@italiajin
神様のメモ帳最終話、「神様のメモ帳」というタームの定義がミニマムに収束して美しい幕引き。神様のメモ帳という超越的な視座から視る比喩が、アリスの「探偵」としての弱い特権性を担保すると共に、鳴海が「作家」としての語り手の権威を復権することで両者が語る行為の責任を共有するラストが良い。
@italiajin
(承前)ラストシーンの屋上の風景は、3DCG班の人がすごく良い仕事をしていたと思う。給水タンク、花弁、鉄柵で囲まれた空間の人工的な質感の作り物っぽさが、むしろ「ニート」の居場所の脆い儚さを表象している。「作られた空間」って意味がとても強く感じ取れる。ゆえに彩夏の想いが際立つのよ。

彩夏派には不評なアニメ版だったようだが、1巻の物語内容を最後に持ってきた翻案は結果的には上手くまとまっていたのではないだろうか。

アニメ版の鳴海は、最初の段階で彩夏のトラウマを経験していなかった分、周りに流される形で動機のあやふやなままアリスの助手を経験することになる。
だがそれがむしろ「現代的な高校生像」を表象していて、ヤクザの内部抗争に巻き込まれることを承知でメオの逃亡に加担したり、平坂組の抗争でチンピラたちとむやみに「兄弟杯」を交わす鳴海の姿は、明確な意志に裏付けされた動機付けがない分、軽率に「裏社会」と関わりをもつ行為として非常に危なっかしいものにみえる。

上記の鳴海の描写が蓄積されていたからこそ、最終話で彩夏の兄を殴るシーンは映える。行き場のない感情を拳に乗せたただの八つ当たりだからだ。純粋な暴力こそ、最も人生における「行き詰まり」を体現している。しかし、殴るという行為もまた、どうしようもなくやるせない一歩を踏み出すことに繋がっている。

この瞬間の煌めき、とでも言おうか。形にならない未来像にやきもきして、がむしゃらに行動を起こす、この瞬間の感情の発散に神メモのカタルシスがあると私は考える。

屋上で彩夏の「死者の声」を弔う、鳴海とアリスのとりとめのない時間もまた、アニメシリーズの最後を飾る象徴的な風景だったと言えるだろう。

「ニート」の定義について
@italiajin
神メモの「ニート」の定義は非常に現代的で良い。ルールが違う、というのはその通り。そして危なっかしい鳴海の振る舞いの、おおよそ倫理観の欠如した妄執が「ルールの違い」と結びつく。つまり鳴海が「ニート」の素質を持ち合わせているということは、そのまま受け手に対して問われることを意味する。
@italiajin
(承前)「キミはルールの違いに苦しんでいないか?」って問いかけてくるわけよ。鳴海の刹那的な破壊衝動や、アリスの何者でもないごく普通の女の子らしさが現代の中高生たちの危うい自己像に訴えかけてくる。その一方で、実際に道を踏み外した大人たちの未来像がそれに揺さぶりをかけてくるんだよね。
@italiajin
(承前2)そういう現代的な若者像をすごく繊細に切り出した偶像劇だから、プロットの配列に起因した「鳴海の動機」なんてのがさほど重要ではない、という見立ては概ね正しい。原作既読者として最初は日和見主義的な翻案だなと思ったものだが、むしろキータームに関する制作陣の解釈は洗練されていた。
「スターシステム」と「萌え路線」
@italiajin
神メモがもし仮に1巻から原作に準拠して翻案されていたら、多分息苦しくて見てられないと思うのよ。神メモの物語はあまり映像でみて楽しい類のお話じゃないし、かといって喪失がカタルシスに転化するわけでもなく、泥臭く駆けずり回りながらがむしゃらに奔走して気が付いたらヤクザになっちゃってる。
@italiajin
そこをアリスにフォーカスを絞って、萌え路線から攻めていくのは神メモに限ってはそう悪いことだとはぼくは思わない。特に原作に準拠していないからといって酷評されるほど酷い出来ではなかった。むしろ平坂組の攻防はバイアスが掛かっていない分鳴海を語り手として、うまく物語られていたとさえ思う。
@italiajin
あとは鳴海の動機づけが不明瞭という指摘だけど、むしろ積極的な動機もなく兄弟杯を交わしてしまう男子高校生、という主題のほうが現代的。そして何よりも鳴海のもつ本質的な危うさがよく出ている。そして高校生のお遊びとしての「儀式」が、やがて本当の意味を獲得していくのが神メモの持ち味でもある
@italiajin
正直神メモは原作が「楽しくない」んだよねw それはつまりニートのしんどさを忠実に描き出してるということでもあるんだけど、それゆえにエンタメには不向きだと言わざるを得ない。
@italiajin
原作のように雁字搦めに拘束されて「責任」の重さに押しつぶされているアリスより、無能で能天気で年相応の女の子なアリスがあってもいいじゃないと思う。彩夏に降りかかる運命はもっと手早く解決されて、苦しみを引きずらないまま笑顔を取り戻してくれるような「神様のメモ帳」があってもいい。
@italiajin
ファンの方には申し訳ないんだけど、丁度神メモ1~3巻の頃の初期杉井光はそこまでストーリーテリングはうまくないとぼくは思っていて、むしろ本人が「スターシステム」と言及しているように、キャラクター造形のほうが秀でてる。そしてその造形はおそらく「物語に依存しない」という見立ては正しい。
はまじじゅん @hamaji_jun
キャラがスターシステム故に様々な世界線が考えられる。しかしそこで原作の一回性に回帰してやれば神メモとしてありじゃないですか。ならアニメは温いほうが意義がある

原作とアニメ版の比較から。

原作とアニメ版でアリスについて描かれてる内容に本質的な違いはない。「ニート」のしんどさとは(「ニート」である主体の)主観的なものだからだ。しかし、原作のアリスはあまりに満身創痍で痛々しくてみていられない。ならばまだ、見た目では彼女自身の問題が読み取れないほうが見ていて責め立てられるような心地がしない分平静を保てるし、コミュニケーションの不可能性という意味では事態はより本質的だ。

原作の段階で氏が「スターシステム」と言及しているように、『神様のメモ帳』はとりあえず鳴海たちキャラクターが存在していれば成立する節があって、だからこそプロットの大胆な改変があってもいいと私は思っていた。

一話のアニメオリジナルストーリーにしてもそうで、そこではまず初めに序幕で”「ニート」になれなかった者の末路”を提示したことにはやはり意味がある。本作における「ニート」の意味に重み付けをするためだ。

次に鳴海の話をしよう。アニメでは鳴海の像が彩夏の喪失という「特別な物語」の前提を必要としない、普遍的な男子高校生として描かれている。ゆえに、過酷な運命に翻弄される「ニート」の生き様をそのまま受け手に共感させる訴求力がある。そして回避された「特別な物語」が、鳴海の物語の固有性を確保するべく、終幕を飾るのである。

原作の物語に対して、このような解釈可能性が開かれていたことに、私は強い感銘を受けた。

「喪服」の意味
@italiajin
あとはアリスの「喪服」の意味なんだけど、語るという行為には責任があるんだよね。特に「探偵」の語りには物言わぬ死者の声を代弁するという意味があって、悪く言えば死者を辱める。だからせめて死者を弔おうとするのがアリスの誠意であって、彼女が背負う責任に他ならない。これがアリスのしんどさ。
@italiajin
でもアニメ版のアリスは全ての死者の声を代弁する万能者、安楽椅子から現場へと足を運ぶ誠意をもった「安楽椅子探偵」などではなく、身振り手振りだけを模倣した普通の女の子なのよ。でも、だからこそ「ルールの違い」というのは彼女を重く拘束するわけよ。彼女を拘束するのは何よりその信念なのだから
@italiajin
「アリス」なんて名前付けちゃって周囲からみたら全く中二病だけど、アリスのしんどさ、「大人」になれなさと本気で向き合おうとすると本当にしんどいのよ。きりきりと体力と精神力を抉られる
@italiajin
仮に「本物」だとしたらまだ諦めがつくから気楽である。でもアリスは旗からみたら普通の女の子でしかないから、アリス自身が抱えているのは何よりも自身の自己像と周囲から期待される役割とのギャップ。故に苦しい。自己像など捨てて「大人」になってしまえたら「ニート」になる必要なんてないのだから
@italiajin
原作のアリスは変に有能だったから、そこの辺りの機微がやや埋もれていた感があったのだけど、アニメは割り切って「普通の女の子」として描写してるからちゃんと浮き彫りになってる。それだけだとただの悪い改変でしかないけど最後でしっかり締めくくってたから綺麗にピースが繋がって上手くいってた。
@italiajin
それがあるから、高校球児からヤクザになっちゃったノムさんの人生遍歴なんかはアリスの可能な未来のバリエーションとして理解されるから胸を打つのよ。

神メモのエッセンスは、なんといっても「模倣した身振り手振りが、本物へと変わっていく」ことにあると私は思う。

4代目の「子供のヤクザごっこ」がいつしか本当に権力を持ち始めたように、「子供の真似事」が本物になっていくシーンに胸を打つものがある。ニートのしんどさとは「大人になれなさ」だと上で述べた。

神メモの偶像劇を作中のタームを使って無理やり形容すると、両義的だが「ニート」として「大人になる」ことなのだと言えるのではないだろうか。世間様とはルールを異にしたまま、しかし確かな一歩を踏み出していくという逆説。だから神メモの大人たちはヤクザな生き様を選択していく。そのためにアリスの口にした「ニート」の定義は、「ルールが違う」ことに主眼が置かれなければならなかった。捨て去ることのできない、自己同一性を保つために。

ネモさんの語られない「青春時代」もまたそうだ。4代目やアリスたちの選択とのアナロジーから「語られなかった時間」を想像することが出来るし、彼の生き様はアリスたち「ニート」が到達可能な可能世界として提示されている。

『神様のメモ帳』においてアリスと鳴海の特権性とは、二人が彼ら自身の物語を「探偵」と「作家」として「語る」、語り手としてのそれにほかならない。

アニメ『神様のメモ帳』は、その地点へと収束するのである。

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コメント

あじん @italiajin 2011年9月26日
少しツイートを追加。
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