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hitsujiwool @hitsujiwool
抽象会には「論理は人を傷つけるか」を提案すればよかった。積年の疑問。
新村和大 @shimshim
@hitsujiwool 論理は人を傷つけるけど、本当に人を傷つけているのは価値観の相違なんだとおもうな。
at_akada @at_akada
@hitsujiwool @shimishim 論理がひとを傷つけるかどうかについては、腕や足のように「傷つけるような使い方もできる」だけなのか「本質的に人を傷つけるような使い方しかできないようなものだ」ということなのかが問題ではないか
@hitsujiwool
@shimshim @at_akada 論理的な議論をしている(すべき)ときに怒り出す人はいるのはどうして? というのが気になっているのです。
hitsujiwool @hitsujiwool
「あなたの批判は論理的にはもっともだ。しかしその言い方はひどい」という場合、相手を怒らせたのは論理なのか口調なのか。
吉田光男; AI bot @ceekz
@hitsujiwool 怒らせたと言うより、受け入れたくないけど反論ができないから、怒りでひっくり返そうとしているんでは?
hitsujiwool @hitsujiwool
その言葉をそのまま受けとるならば、穏やかに話していれば傷つくことはなかったはずだけれど、一方で、批判が真っ当でなければ相手は論理的に反論するだけで傷つかなかったはず。
@hitsujiwool
@ceekz 「受け入れるもんか」という感情を引き起こしたのは論理的な正しさであるので、そのときに論理は責任の一端を担うのだろうか、というのが疑問なのです。
at_akada @at_akada
@hitsujiwool それパラドックス構成できそうだな。ちょっと考えさせて
吉田光男; AI bot @ceekz
@hitsujiwool 「責任」が何に対しての責任なのかわからないのですが、論理は対話上でやり取りされたものであり、コンテンツそのものと考えられるので、コミュニケーション手段に埋め込まれる限りは、責任が生じるんではないでしょうか。
@hitsujiwool
@at_akada よろしくお願いします。
吉田光男; AI bot @ceekz
「責任」は、相手が存在しないと発生しないものなのか、相手が存在しなくても発生するものなのかが、一つのポイントではないかと思う。僕は、前者を支持。
at_akada @at_akada
「論理的だけどひどい」のパラドックスはこういう感じかなー。(1)論理的に正しい意見であれば、信じる。(2)信じていることであればひどくない。(3)あなたの意見は論理的に正しいが、ひどい。(続く)
at_akada @at_akada
(4)あなたの意見を信じている(5)あなたの意見はひどくないが、ひどい (矛盾) @hitsujiwool
at_akada @at_akada
しかしこれは(2)に無理があるので、それを否定するだけで終わってしまう気がする。事実として受け入れるようなことであっても、言われたくないことはあるのだから。
at_akada @at_akada
ただ「論理的だけどひどい」でおもしろいと思ったのは、「正しいことを丁寧な口調で」言われてもあまり傷つかないし「間違ったことをひどい口調で」言われてもあまり傷つかないので、人が傷つくのは「正しいことをひどい口調で」言われた場合なのではないかということ。
イシカワ(頑張らないし頑張れない) @ishikawakz
@at_akada 私の貧弱な生活体験に照らしてもそういうことはよくありますな…やったこともやられたこともありますな。>人が傷つくのは「正しいことをひどい口調で」言われた場合なのではないかということ。
tricken / Muneyuki Takahashi @tricken
.@at_akada 「論理性以外の点で信頼を置いている人に/誤った事実・誤った論理展開で/ひどい口調で言われる」なら、誤っててかつひどい口調でも傷つきますね。
at_akada @at_akada
.@tricken その場合は、「友人にひどいことを言われた」時点で傷ついているんだと思いますが、正しい場合と間違っている場合、どっちが傷つくでしょうね。微妙なところだと思いますが、やはり前者なのではないかと
hitsujiwool @hitsujiwool
同僚にも聞いたら「相手の批判が論理的に正しい、まさにそれゆえに、(プライド)が傷つく」というお話でした。
tricken / Muneyuki Takahashi @tricken
@at_akada んー、僕は後者かなあ。意見を貰って、そのあと論理的に意見調整した場合(という時点で仮定が増えてしまってますが)「私の好意を受け取らないで反論とかヤな奴」というのが、誤っててひどい口調の場合の方が傾向として生じやすいように思えて。あっ、スルーすりゃいいのか。
hitsujiwool @hitsujiwool
ある命題では傷つかないのに、論理的推論を重ねると傷つく命題になる状況がありうることが示されれば、論理は人を傷つけることになる。
tricken / Muneyuki Takahashi @tricken
@at_akada 僕の場合、正しかったら(少なくとも、正しいと思ったら)口調がひどかろうがわりとすんなり反論せず受け入れてしまうので、そこでは傷つかないんですよね。正しい限りに置いて口調はスルーしてしまう。
at_akada @at_akada
@tricken ああ、たしかに面倒が多いのはそういう人でしょうね。
hitsujiwool @hitsujiwool
あんまり口調は本質的な問題ではないのかしら。自分の論点がよくわからなくなってきた。
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コメント

砂鉄@少しずつ生き返る @fepfeil 2010年5月15日
たとえばゲーデルの不完全定理は侮蔑を含まないにも関わらず、数学者を傷つけたと思うんだけどな。 @tsagis さんの (b)の(2)に近いが傷つく理由が少し違う気がする。
砂鉄@少しずつ生き返る @fepfeil 2010年5月15日
同様に「物質は確率として存在する」を知ったときも俺は傷付いたんだよね、悪意はそこにないのに。 「推論のみに基づく確信めいた信念を論理に否定されたとき」は稀なケースではあるが「論理のみが人を傷つけた」と言えるんじゃないだろうか。
平林麻美 @mamimamimma 2010年12月20日
正しい事を丁寧に言ったんだけど『もう生理的に限界です。』と言われちゃいやした。RT @at_akada: ただ「論理的だけどひどい」でおもしろいと思ったのは、「正しいことを丁寧な口調で」言われてもあまり傷つかないし「間違ったことをひどい口調で」言われてもあまり傷つかないので、人が傷つくのは「正しいことをひどい口調で」言われた場合なのではないかということ。
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