@hitsujiwool @shimishim 論理がひとを傷つけるかどうかについては、腕や足のように「傷つけるような使い方もできる」だけなのか「本質的に人を傷つけるような使い方しかできないようなものだ」ということなのかが問題ではないか
2010-05-07 14:56:34@shimshim @at_akada 論理的な議論をしている(すべき)ときに怒り出す人はいるのはどうして? というのが気になっているのです。
2010-05-07 15:12:22「あなたの批判は論理的にはもっともだ。しかしその言い方はひどい」という場合、相手を怒らせたのは論理なのか口調なのか。
2010-05-07 15:16:27その言葉をそのまま受けとるならば、穏やかに話していれば傷つくことはなかったはずだけれど、一方で、批判が真っ当でなければ相手は論理的に反論するだけで傷つかなかったはず。
2010-05-07 15:21:35@ceekz 「受け入れるもんか」という感情を引き起こしたのは論理的な正しさであるので、そのときに論理は責任の一端を担うのだろうか、というのが疑問なのです。
2010-05-07 15:29:54@hitsujiwool 「責任」が何に対しての責任なのかわからないのですが、論理は対話上でやり取りされたものであり、コンテンツそのものと考えられるので、コミュニケーション手段に埋め込まれる限りは、責任が生じるんではないでしょうか。
2010-05-07 15:40:52「論理的だけどひどい」のパラドックスはこういう感じかなー。(1)論理的に正しい意見であれば、信じる。(2)信じていることであればひどくない。(3)あなたの意見は論理的に正しいが、ひどい。(続く)
2010-05-07 16:01:14しかしこれは(2)に無理があるので、それを否定するだけで終わってしまう気がする。事実として受け入れるようなことであっても、言われたくないことはあるのだから。
2010-05-07 16:03:17ただ「論理的だけどひどい」でおもしろいと思ったのは、「正しいことを丁寧な口調で」言われてもあまり傷つかないし「間違ったことをひどい口調で」言われてもあまり傷つかないので、人が傷つくのは「正しいことをひどい口調で」言われた場合なのではないかということ。
2010-05-07 16:05:35@at_akada 私の貧弱な生活体験に照らしてもそういうことはよくありますな…やったこともやられたこともありますな。>人が傷つくのは「正しいことをひどい口調で」言われた場合なのではないかということ。
2010-05-07 16:14:39.@at_akada 「論理性以外の点で信頼を置いている人に/誤った事実・誤った論理展開で/ひどい口調で言われる」なら、誤っててかつひどい口調でも傷つきますね。
2010-05-07 16:14:00.@tricken その場合は、「友人にひどいことを言われた」時点で傷ついているんだと思いますが、正しい場合と間違っている場合、どっちが傷つくでしょうね。微妙なところだと思いますが、やはり前者なのではないかと
2010-05-07 16:18:14@at_akada んー、僕は後者かなあ。意見を貰って、そのあと論理的に意見調整した場合(という時点で仮定が増えてしまってますが)「私の好意を受け取らないで反論とかヤな奴」というのが、誤っててひどい口調の場合の方が傾向として生じやすいように思えて。あっ、スルーすりゃいいのか。
2010-05-07 16:21:24ある命題では傷つかないのに、論理的推論を重ねると傷つく命題になる状況がありうることが示されれば、論理は人を傷つけることになる。
2010-05-07 16:22:43@at_akada 僕の場合、正しかったら(少なくとも、正しいと思ったら)口調がひどかろうがわりとすんなり反論せず受け入れてしまうので、そこでは傷つかないんですよね。正しい限りに置いて口調はスルーしてしまう。
2010-05-07 16:23:28