最終講義 官僚政治から政治主導政治への転換

2011年3月退職
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べっぷ @sleepingnoisy

三月で退職される先生の最終講義が面白かったので復習がてら自分なりに要約してみる。テーマは、官僚政治から政治主導政治への転換。どのくらいの人が覚えてるかわからないけど、民主党が政権交代時にスローガンとして掲げたものの一つです。

2011-03-06 19:56:08
べっぷ @sleepingnoisy

でもその前にまず、官僚とは何かについて。官僚っていうのは各省庁等に務める国家公務員のこと。日本では、国会において、政治家が「国の在り方」を決める法律をつくります。それを実際に実行して、国民の生活や、国の在り方に反映させるのが行政たる内閣と、その下にある各省庁です。

2011-03-06 20:05:04
べっぷ @sleepingnoisy

官僚ってのはこの各省庁に務めている人たちなんですね。ちなみに各省庁ってのは文部科学省だとかのアレです。つまり法律という名のルールをつくるのは政治家によって国会で行われるけど、それを実行するのは官僚達に任せられる部分が大きいんですね。法律の持つ影響は官僚達のやり方によってるんです。

2011-03-06 20:13:48
べっぷ @sleepingnoisy

これをテキトーな具体例であらわしましょう。国会で「パラパラを義務教育で教える法律」が成立したとします。法律が成立したわけですから、内閣総理大臣を中心とする内閣ではその法律を実行に移すためにその業務を担当するにふさわしい省庁に法律の実行を命令します。この場合は文部科学省です

2011-03-06 20:16:50
べっぷ @sleepingnoisy

ところが文部科学省の官僚たちはみんなパラパラが大っ嫌いでブレイクダンスの熱狂的なファンだったのです。なので彼らは各小中学校に本来パラパラを教える体制を作らせるべきであるところ、ブレイクダンスを教える体制をつくってしまったのです。当然各小中学校ではブレイクダンスが教えられます

2011-03-06 20:19:23
べっぷ @sleepingnoisy

なんと、官僚たちの勝手な行動によって、法律で決まったのとは違う教育が実際には行われることになってしまったのです。これは余りにテキトーな上極端な例ですが、官僚というのはこのようなことを行える可能性を持った存在だということを知ってもらえれば十分です。

2011-03-06 20:24:02
べっぷ @sleepingnoisy

日本が民主主義を採用し、実際に法律をつくる国会と、法律の実行にあたる行政のトップたる内閣を、前者は直接的、後者は間接的に日本国民による普通選挙で選び、国家を支配するのは国民であるという原理に従っている以上、前に出したようなことは許されることではありません。

2011-03-06 20:27:38
べっぷ @sleepingnoisy

官僚というのは国家公務員試験(Ⅰ種とかⅡ種とかのアレ)に合格して勤務している、「ただの優秀な人」でしかないからです。彼らは民主主義を実現する手段である選挙により選ばれた存在ではないからです。彼らの仕事は国民の意思の反映である法律を忠実にその趣旨に沿うように実行することなのです

2011-03-06 20:32:38
べっぷ @sleepingnoisy

だから法律の形が官僚に歪められちゃまずかろう、国民の意思により選ばれた政治家たちと、そこから選ばれた(←間接的にであれ国民に選ばれた)内閣が法律の実行、すなわち政治を主導して支配していけるようでなければまずかろう。それが、「政治家主導の政治」というスローガンの根本である理念です

2011-03-06 20:36:43
べっぷ @sleepingnoisy

(本筋とは違う話)あ、やべ。内閣に関してですが間接的に選ばれるのは内閣総理大臣と国務大臣の一部に限られています。ただし、国務大臣は全員内閣総理大臣の指名によって決められること、罷免されることが比較的容易であることを断っておきますね。

2011-03-06 20:44:12
べっぷ @sleepingnoisy

さて、ここでようやく先生の授業の要約に入ります。まず、前出のようなスローガンが出たこと自体、「日本の政治は官僚主導だ」と叫ばれ続けてきたことによるものです。去年ドラマ化された「官僚たちの夏」(城山三郎)には高い職業倫理と自己規律を持って社会を動かしている官僚の姿が描かれています。

2011-03-06 20:48:39
べっぷ @sleepingnoisy

前述のように官僚とは極めて難関の国家公務員試験に合格した人々です。優秀である人は確かに多いんですね。戦前、また戦後の高度経済成長期前後まで、「国Ⅰに受かったなら優秀だろう、政治家が二流でも官僚が一流なら安心だ」なんて見方が強かったことが、官僚主導の政治をつくった背景としてあります

2011-03-06 20:53:40
べっぷ @sleepingnoisy

でもその背景がリクルート事件(大蔵官僚の接待問題。ググれば出てきます)などで、現実を反映していない考えだと露呈してしまうんですね。ですが、実際に一度慣習としてつくられた官僚主導の体制は簡単には変わりませんでした。それが、今でも続いているといわれているのです

2011-03-06 20:56:59
べっぷ @sleepingnoisy

さて、実際にどのような形で官僚主導なる政治が行われていたかを見ていきます。そのキーワードの一つが自民党政権下で行われていた与党事前審査制です。これは何なのかというと、立法について話し合いが国会でなされる前、国会への法律案提出前に、与党内ではすでに議論がなされている、という制度です

2011-03-06 21:04:40
べっぷ @sleepingnoisy

この与党事前審査は、担当する各省庁ごと、また政務調査会ごとにつくられた「部会」という枠組み(あくまで与党内部の組織です)の中での議論によって実現されます。その部会に、各省庁からの官僚が事業の説明を名目にやってきます。ここで、与党の政治家と官僚がなれあうことで両者の癒着が作られます

2011-03-06 21:10:07
べっぷ @sleepingnoisy

ここから見るに、先生のご意見では、官僚主導の正体は官僚による政治の支配ではなく政治家と官僚の意思の非民主的手段による統一、融合だったんですね。では、なぜこのような融合関係が生じ、また消滅することがなかったのかの要約に入っていきたいと思います

2011-03-06 21:13:18
べっぷ @sleepingnoisy

まず、融合関係が消滅しない理由の一つとして、内閣の下に属する行政機関である官僚の組織が極めて安定しており、基本的に人事の大幅な変更や組織構造の改変が行われないことにあります。これは他国と比較する形で見ましょう。英や仏の行政組織は首長(行政組織のトップ)の任命権が非常に強い為、

2011-03-06 21:17:33
べっぷ @sleepingnoisy

首長が変わると行政組織が混乱したり、大幅な変革を余儀なくされることがよく起こるのです。一概には言えませんが米の政治組織もこの傾向をもちます。これに対し日本の首長の組織構築の権限はこれらの国に比べ低いため、選挙によって選ばれた首長が行政組織に追随するという構図になってしまうのです

2011-03-06 21:20:19
べっぷ @sleepingnoisy

このような極めて安定して、揺るぎのない組織では、腐敗が起こりやすくなります。自分たちを統制し、場合によっては解体できる「天敵」がいないからです。さらにこの安定した組織の源泉について要約を進めます。次にあげられるのは、権限と責任を誰がもつのかと、その範囲とが不明確だという点です

2011-03-06 21:25:23
べっぷ @sleepingnoisy

これはどういうことなのか。日本の官僚達には、所掌事務規定という形で担当する業務が一括して与えられています。つまり、「これお前らの仕事。これをやってくれればやり方は任せる」と言わんばかりに委託をされているのです。つまり、部長さんはここまでのことをやってよくて、こういうとき責任をとる

2011-03-06 21:29:18
べっぷ @sleepingnoisy

課長さんはここまで(ry、平官僚はここま(ry、というような、明確な権限と責任の割り振りがなされていないのです。これによって、官僚の犯した罪の所在は不明確になり、関係が明らかに薄い人が責任をとらされるということが起こりうるのです。その例が、エイズ薬害事件でした。

2011-03-06 21:31:23
べっぷ @sleepingnoisy

責任をいいように押し付けたり切り捨てたりしてしまえるから、組織の安定性は高まります。これが、もうひとつの行政組織の安定性の源泉です。

2011-03-06 21:35:08
べっぷ @sleepingnoisy

ここまで官僚組織の腐敗を招く安定性についての話をしてきました。次に、「法律による行政」が強く安定した官僚組織によってないがしろにされてきた、という先生の主張について要約します。減反政策、というものが十数年前にありました。これをしないと各農家には処分がくだされていたんですね

2011-03-06 21:37:49
べっぷ @sleepingnoisy

これを政治としてできる法律的根拠がなかったというのです。行政と言うのは、国の政治を行い、国民に強制的に働き掛けることができる力を持ちます。行政によって私たちの自由は制限されうるし、場合によっては殺されうるんですね。それだけ絶大な力が行政にはあるのです。

2011-03-06 21:43:33
べっぷ @sleepingnoisy

だからこそ、そんな力をふるうことには制限をかけなきゃいけない。その方法として「法律で『こうしなさい』という根拠がなきゃ行政は何もしちゃいけない」という大原則があるんですね。これを法律の留保と言います。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」‐なんて言葉がスパイダーマンにありましたね

2011-03-06 21:46:01