『コロノス芸術叢書 アートポリティクス』書評 平沢剛:映画研究者・明治学院大学非常勤講師・『VOL』(以文社)編集委員・1975年神奈川県生まれ http://ow.ly/1cDAV (書評空間:紀伊國屋書店 プロの読み手による書評ブログ)
2010-03-01 15:56:19「都市統治」の変容とポリス=警察の誕生について。『パリ 都市統治の近代』(喜安朗)書評「ポリス的なものの近代的概念」(評者:森一郎) http://ow.ly/1hRuT
2010-03-12 18:43:43共働きなのに妻が夫を「主人」とか呼んでるのを聞くと、絶望的な気分になる。ぼくは結婚しているが働いてないから、今日から妻のことを「主人」と呼んでみようかな、なんて考える。
2010-03-13 07:38:04世の中にはいろいろな「ツアー」があるのだった。「大学生等サマーツアー」 http://ow.ly/1kYF1 「パセリちゃんツアー」 http://ow.ly/1kYGO 「パセリちゃん」というのは自衛隊のキャラクターで、「ピクルスくん」とペアなのである。
2010-03-15 20:16:384月から一年間、これまで同様研究を続けるだけで毎月お給料をいただけることになりました。たいへんありがたいことです。しかし税金ですから、それにふさわしい仕事をすることが重要だと思います。そのためにも一層精進していきたいと思います。
2010-03-18 00:54:16ところで、ぼく自身を含め、PortBの作品が初めてでない人は、『赤い靴クロニクル』に「録音された声」(朗読、インタビュー等)がなかったことをあらためて考えてもいいと思う。劇場外では『ディクテ・フォーラム』と『赤い靴』だけなはずだ。ドキュメントにも影響しそう。#akai_kutsu
2010-03-21 15:12:35「重要なのは、共同体の内部でふるわれている暴力と抑圧の諸形式を明るみに出そうとするプロセス/裁判のみでなく、最終的には演劇の観客という共同体についての問いも投げかけるようなプロセス/裁判である。」(Patrick Primavesi "Vom Werk zum Prozess")
2010-03-22 07:35:59「この映画(『労働者たち、農民たち』)が人物を性格としてよりもむしろ審理におけるもろもろの立場(Positionen)として提示しているということは、台本から一歩踏み出して、教材劇へと近づいていることを示している。」("Vom Werk zum Prozess")
2010-03-22 07:40:35演劇公演から最もはなれたものになるはずの「演劇公演」、山手線を使ったプロジェクトのタイトル候補が出た。『東京2ちゃんねる』だって。実際に2つチャンネルがあるものになるからそうなのだが、いろんな意味でいいんじゃないかと。とても気に入った。
2010-04-24 06:59:02山手線29駅すべてでツアー・パフォーマンスを作ろうかと思っていたが、それだと量的な拡大にしかならず、「労のみ多くて功少ない狂気の沙汰」になりかねないから、決定的に構造が変わるようなことをミニマムな装置でと考え、ある種のシステム設計をやることにした。『東京2ちゃんねる(仮)』。
2010-04-24 07:28:34宮下公園での映画上映会、凍えた。途中で雨も降ってきた。ドカコさんに会えてよかったな。元気そうだった。また何か一緒にやろうということになった。できるかもしれません。
2010-04-25 00:36:26宮下公園でいろんなヒントを得た。公園という場所について、特にその制度的側面についてよく考えておかないと、行政にやられるな。パブリックな場所=みんなの土地=行政が管理すべきもの。
2010-04-25 05:13:33じゃあ管理されていない隙間がどこにあるかというとほとんどない。パブリックな場所と言った時点でみんなのために管理されるべき共有物となる。そうした論理を免れた隙間を見つけたり、発明したり、あるいは公園という制度をずらして隙間として機能させたりするウルトラC的な工夫が必要と感じた。
2010-04-25 05:22:45ドイツにいた最初の3年間はパソコンがなかった。その時の生活に戻りたいとは全く思わないけれど、劇場と独房のような部屋を行き来するだけの「地獄」は、ひょっとしたら「天国」だったのかも知れない。
2010-04-26 05:55:49一時帰国した時にノートパソコンを買った。それからの2年間はだいぶ楽になったもんな。7マルクもする日本の新聞をたまに買って舐めるように読んだり、郵便ポストを開けるのが最大の楽しみだったり、つい日本と長電話してしまい莫大な電話代を取られたりといったことがなくなった。
2010-04-26 06:02:24けれども、フライブルクの古本屋で買ったブレヒト演劇論集20巻ほどをノートの類まで読み耽り、演劇についてひたすら考えるような暇で孤独な時間はすっかり消えてしまった。今思えばおそろしい贅沢だったのかも知れず、あの頃の感覚をちょっとだけでいいから取り戻せないものか。
2010-04-26 06:14:10公衆便所の落書きがずいぶん減ってきたな。ネットのせいもあるんだろう。便所の壁やツイッターみたいなプラットフォームを作るメディアってすごいと思う。「アゴラ」などという言葉をつい使ってしまう演劇人は、自分を含め、このすごさにもっと震撼すべきだな。まるで追っついてないんだから。
2010-04-26 07:16:39ゴキブリは一匹になると生きられないらしい。いや体が何かに触れていないとダメなんだったかな。たまにだけど、パソコンを続けていると自分がゴキブリ化していく感じになる。今日は朝までパソ禁止と思ったのに無理だった。なんか狭いところに入りたくなるというか、何かに触れていたいという感じ。
2010-04-27 06:38:15体感がすごく狭い感じになっていくのはなんでだろ。一人で居るときの冷たさや周囲にあるスペースのゆったり感が消えて、適度に隙間のあいた窮屈さのなかに自分も時間も分散していくよう。今やそのなかに「世界」があって、「世界」に触れてるなとつい感じてしまうことのリアリティ。
2010-04-27 06:53:02楽なんだか、そうでないんだか。しかしいずれにせよその先にあるんだろうな、形にしていかなきゃならないものは。古いがいいものよりダメだけれど新しいものに自分を結びつけろ。みたいなことをブレヒトが言っていたな。そのブレヒトも古き良きものなんだから、とにかく自分の今に照準を合わせよう。
2010-04-27 07:06:53