「(国家)神道は宗教ではない」と破壊的神社政策

日本的政教分離の捉え方と官僚、柳田・折口あたり
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金子良事 @ryojikaneko

島薗先生(@Shimazono)が仰るように国家神道は間違いなく天皇を中心とする宗教なのだが、文部官僚(および内務官僚を頂点とする全員)が宗教でないと断言したのは、自分たちが人工的に作り上げたという意識があったからだろう。だから、教育勅語は宗教教育ではなく、倫理教育の頂点だった。

2011-09-26 01:36:39
金子良事 @ryojikaneko

澤柳政太郎によれば、教育勅語が倫理の頂点として必要とされたのは、論語を使ったり、西洋の倫理の教科書を使っても、それが改訂されたり、新しいものが出てきて、混乱するので、不変の決定版が必要とされた。それで教育勅語が出来た、と。

2011-09-26 01:39:54
金子良事 @ryojikaneko

ちなみに、戦前、国定教科書が出来たのは、教科書事件のせいである。これは民間業者全部に横行する賄賂を取り締まろうと規則を厳しくしたら、いくつかは守るだろうという文部省とまさか取り締まらないだろうという業者の思惑がすれ違い、一時的に教科書を作る会社がなくなってしまったのである。

2011-09-26 01:42:28
島薗進 @Shimazono

儒教的な宗教観と19世紀のフランスのライシテ(政教分離思想)が組み合さり官僚意識を助けた。一部国学者や柳田・折口らは反発しました@ryojikaneko 国家神道は…文部官僚(および内務官僚を頂点とする全員)が宗教でないと断言したのは、自分たちが人工的に作り上げたという意識が…

2011-09-26 10:10:04
金子良事 @ryojikaneko

今、思い出したのですが、床次竹二郎が地方局長のとき(明治45年)に三教合同をやっていますが、そのときは神・仏・基ですから、神道が宗教というのは分かってたんですよね。にもかかわらず、神道は宗教ではない、と言い続ける必要があったのはなぜか?@Shimazono

2011-09-26 10:19:06
金子良事 @ryojikaneko

反対派でなくとも、やっぱり神社が神様のいるところであることは疑いなく、宗教ではないと思い込まなければ、あの狂気とも言える明治40年代の破壊的な神社政策は出来なかったのではないかと思います。神社統合の背景にはもちろん、合理化精神があったと思います。@Shimazono

2011-09-26 10:23:12
島薗進 @Shimazono

床次の「神道」は教派神道ですが、協力した姉崎の同輩の加藤玄智のような学者は神社=宗教論に奮闘。官界は法の建前に従うが、学界は法学・宗教学・教育学で立場がまちまち。@ryojikaneko 床次竹二郎が…三教合同をやっていますが…神・仏・基…にもかかわらず、神道は宗教ではない

2011-09-26 11:37:37
Kousyou @kousyou

ぼちぼち「フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史」を読んでいるけど、のちのち近代天皇制・国家神道まわりをおさえていく際に伏線になりそうだなと島薗先生と金子さんのやり取りを眺めながら思った。

2011-09-26 11:57:15
Kousyou @kousyou

明治維新後の日本社会のもろもろの流れは、日本に限らず、イスラーム世界、キリスト教保守、極東、東南アジア、中南米、アフリカなど「近代」に好むと好まざるとに関らず接することになった側の歴史や社会を細かく全体的に見ていくことでやっと浮かび上がってくるのではないか、と思っている。

2011-09-26 12:06:16
Kousyou @kousyou

@ryojikaneko http://t.co/os8hd362 こちらですー。なかなか細部まで突っ込んでて読みごたえあります。ちょっと当時のフランス社会の流れを良く理解してないので、そのあたりも同時に見ていきながら少しずつ読んでます。

2011-09-26 12:09:18
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