騎士とガンマンとバイク乗りと宇宙船長は親戚

大衆向けフィクションにおける、中世の騎士物語―西部劇―現代のバイク乗り―スペースオペラなどのSFを一つの脈として眺めてみる。 騎士や西部開拓者が歴史の事実としてどうだったかではなくて、フィクションの中でどうイメージされてきたのかに重心を置いてご覧ください。
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槍から銃へ

みやも(大阪府) @miyamo_7

米国のフィクションのフロンティアイメージの流れとしては、ヨーロッパの騎士物語(馬に槍)西部物語(馬に銃)スペオペの宇宙物語(ロケットに光線銃)が一本の線につながっててそれらに出てくるロマンスの話型も底を通じてる。ただスペオペからは海洋冒険物語が合流しててちと整理を要する

2011-07-06 04:17:06
みやも(大阪府) @miyamo_7

あ、そうだった。じっさい用語としても西部劇のホースオペラがあってSFのスペースオペラなんだよな。そして時代はいま探偵オペラ……(笑) > 探偵オペラの意味 http://eternalsisters.blog60.fc2.com/blog-entry-809.html

2010-11-17 14:56:49
みやも(大阪府) @miyamo_7

フロンティアフィクションの系譜は騎士物語→西部物語→スペオペ宇宙開拓譚という血筋から、近年のSFはさらに仮想現実ジャンルで「大きな土地」が発見されて新たな、かつ回帰的でもある開拓物語が出てきた流れを見ることもできる。その場合はゲーム的ハイファンタジー世界とつながることもしばしば

2011-10-03 02:41:42
みやも(大阪府) @miyamo_7

ああ、あと平行世界や異世界に渡航する話もつながるか。まあ異なる土地での秩序の確立を描くものだったら何でもあてはまるからキリがないけども

2011-10-03 02:55:53

ヨーロッパ騎士物語の翻案としての西部劇

みやも(大阪府) @miyamo_7

『サーカスが来た! アメリカ大衆文化覚書』は西部小説の起こりのあたりまで読み進めた。ここでもまた「道徳と娯楽」の合成現象がいろんなところにつながってて超面白い。

2010-06-03 21:02:05
みやも(大阪府) @miyamo_7

中世騎士物語の翻案としての西部ガンファイター神話というのはわりと知られた見方だと思うけど、どうなんだろな。

2010-06-03 21:04:53
みやも(大阪府) @miyamo_7

騎士物語における騎士の二大要件は「武芸」と「礼儀正しさ」(女性への献身;貴婦人の愛の僕たること)であり、西部フィクションにおいて武芸は鉄砲の腕に、貴婦人は牧場の娘・地主の娘へと引き継がれた。/で、そういう「遊歴の騎士と貴婦人」の話型は19、20、21世紀通して脈が続いてる。

2010-06-03 21:39:08
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)もちろんそれはストレートな脈ではなくて、西部が発展するさいの侵略、殺戮、悪徳ぶりといった暗部が実際にはあったじゃろうがという批判・告発が、最近でいえば1960年代あたりで生じたりもしていて、“アメリカ版騎士物語”はおりおりよろめいてもいる。

2010-06-03 21:44:56
みやも(大阪府) @miyamo_7

『真夜中のカウボーイ』という小説と映画があったけど、あれは西部からカウボーイ気取りの若者がニューヨークへやってくるという仕立てが、東部から西部へのヒロイズム輸送であった西部物語マインドをひっくりかえした逆説、皮肉になってるのね。

2010-06-03 21:48:44
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)でも、逆説はかえってひっくりかえした元を強調するという効果もあって、よろめくことはあっても“アメリカ版騎士物語”の血筋がかんぜんにへしおれることはいままで無かったし、たぶんこれからも無いんじゃないかなーという気はする。風土的な問題なんで、どうしてもそこへ戻っちゃうんだよね。

2010-06-03 21:51:27
みやも(大阪府) @miyamo_7

西部フィクションの幕開けとなった19世紀の安物小説群におけるヒーロー像を一言でいうと「高貴な自然人」。東部的モラルをもって西部のフロンティアを拓く人間の楽天的な理想像。文明人の家庭道徳や社会利益に一致しながら荒野を力で制する物語で、当時の大衆を二重に満足させた。

2010-06-03 22:05:51
みやも(大阪府) @miyamo_7

ただ、その満足のさせ方もだんだんと重心が変わっていく。基本的には東部のモラルを押し出しながらも、「西部は野卑だが素朴な人間の生きる場であり、それは東部の虚飾に満ちた生活よりすばらしいのだ」という、むしろ西部の優越を描くようになり、貧しい庶民の夢を西部の物語に託すようなっていった。

2010-06-03 22:14:36
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)そこで忘れてはならないのは、それら西部物語の黎明期の作家たちはほとんど東部で暮らしていてナマの西部を知らない、イメージとしての西部を売り物にしていたという点。勝手なイメージ、非現実の模型だから、かえって願望充足的な西部を描いて大衆受けを取れたともいえる。

2010-06-03 22:17:13

米国フロンティア観念の追加

みやも(大阪府) @miyamo_7

“モラルある開拓者”の結像たる西部ヒーローが中世の騎士と異なる独自性は、彼らが開拓者であるという点。フロンティア、秩序なき土地に秩序を確立することを要求されていたという事ですな。騎士物語は退廃的なロマンスがありだったけど、西部の騎士はもっと厳密に正義であることが“必要”だったのね

2010-06-03 22:25:38
みやも(大阪府) @miyamo_7

当時、作家をたくさん抱えて安物小説(50セント、ダイム硬貨ひとつで買えたのでダイムノベルという)を出版してた会社のひとつビードル&アダムズ社が作家たちに課した規則は二点。「表現と事件に、よき趣味に反するものを禁じる」「非道徳的色合いを持つ主題や人物を禁じる」 これはとても示唆深い

2010-06-03 22:29:36
みやも(大阪府) @miyamo_7

んで、ここで初期の西部物語は深刻な矛盾にぶちあたる。西部劇の主人公は勝手きままなカウボーイや、ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェームズみたいな無法者ばかりなのにどうして秩序や正義たりえるのん、という問題ね。それに対する作家たちのアンサーは「だってこいつら未来に生きてるもん」(笑)

2010-06-03 22:36:19
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)具体的には、たとえば無法者の主人公がいったん縛り首になったり、民衆からのリンチを受けたりして社会的制裁に甘んじて「一度死んで」から、あらためて息を吹き返し、過去への清算をした身で現在から未来へ向けて活躍するという筋がみられる。(『レッドヴィルのデッドウッド・ディック』)

2010-06-03 22:40:55
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)そういう「善き悪人」がダイムノベル時代の西部小説には多い。自分の能力を自由に発揮するうえで目先の法律を破ってしまう犯罪者だけど、本当の正義を目指して人間の可能性を拓いてくれる真の善人だ、という造型。これが批判と告を受けつつもいまなお続いてるのは先述の通りである。

2010-06-03 22:47:48
みやも(大阪府) @miyamo_7

長々書いてしまったのでこれで最後にするけど、西部物語(黎明期から、後の西部劇に至るまで)のポイントは、西部の荒っぽい活劇が描かれながらも、そこで守られるべきものとされる価値観、人間観は極めて保守的だったという事。大衆…少なくとも大衆娯楽の消費者は、いつも保守的でセンチメンタルだ。

2010-06-03 22:59:31
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)東部のピューリタン的モラルを西部のフロンティアへもちこすヒーロー像、「高貴な自然人」「デモクラティックな野性人」にアメリカの大衆の夢が託されてきたが、20世紀にさしかかると国内の都市化が進み、フロンティアは消失する。そこでSFや、海外を舞台に“それ”が抽出・結晶されていく。

2010-06-04 22:28:45

[補足] 現代劇の“騎士と馬”

みやも(大阪府) @miyamo_7

あと、映画『ゴーストライダー』で前世代のカウボーイ型ゴーストライダーと現代のバイク乗り型ゴーストライダーが並走するシーンがあったように、西部劇主人公と現代劇のバイク乗りキャラクターも図像上の親戚関係をみてとれる面がある。暴走族ものなら「善き悪人」ドラマの問題にもかかりますね

2011-10-03 03:14:46