(読み流し推奨)朝霞の公務員住宅建設用地は、そもそも戦時中の旧日本陸軍被服厰で、その敷地には東武線から輸送軌道が敷設されていた。その後大戦が終結し、この用地は米軍が接収し、後方基地としてベトナム戦争にも負傷兵の収容先として利用された。
2011-10-03 23:27:03その際に現在の用地近辺の整備も進み、旧川越街道を中心に歓楽街として栄え、また兵舎建設のため区画整理が成され、その名残は膝折町地区、仲町地区に今も色濃く残る。
2011-10-03 23:34:12その後米軍が朝霞から撤退していき、一部は自衛隊の駐屯地に、残りは有用な利方法を探るため風致された(風致地区指定にあらず)。なぜこういう事になったかというと、実は米軍が進駐した際にはあくまでも土地収容ではなかった。土地の所有権は日本に残したままだった。
2011-10-03 23:39:13あ、栄町地区の方がより歓楽街だったね。十年くらい前までストリップ劇場も残ってた。朝霞警察署もすぐそばにある。地元が基地に寄り添ってきた痕跡だ。
2011-10-03 23:45:59その土地の所有権名義は財務省や陸軍省など、存在しない組織のものだった。国が管理している土地のため登記簿上は兎も角、特に管理に支障が無かったため、そのままにされたらしい。(用地利用を即行う予定だったため、タイミングを合わせようとした説もあり)それ程ポテンシャルのある地域でもあった。
2011-10-03 23:55:07当分の間、国によって利用検討がされてきたが、近年になって国と地方との関係が見直され、それに伴い朝霞のような手付かずの国有地を地元に返し、地域活性化に有用していこうという流れになっていった。そして朝霞の米軍跡地の利用検討会が始まった。
2011-10-04 00:06:01検討会には、国と市(当時は町だったかな?)と住民が参加し一体となって様々な計画案が示されていった。しかし、やはり国の指し示す方針を地域が転換するのは容易ではなく、なかなか実行に移せない。まずは地域の公共の福祉という観点から絵が描かれ始めた。
2011-10-04 00:15:40ここで現在の朝霞の地図を見て欲しい。大きな長方形の手付かずの区画の周りに市役所、学校、税務署、保健所、福祉施設そして公園が取り囲んでいる。特に公園は二つあり都市計画決定された都市公園と位置付けされている。なぜこのような配置になったか?
2011-10-04 00:21:09ヒントは、都市公園は通常、ほぼ隣接といえる距離に2つ作ることはできない。認可要件にそぐわないのである。それなのに何故か?この辺りから公務員住宅の問題が絡んでくる。
2011-10-04 00:27:31周辺地域のGoogleMaps http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=200223438470606760708.00049f2928998b1a36ea2&msa=0&ll=35.793145,139.592392&spn=0.007719,0.013937
やはりポテンシャルのある朝霞の土地は地域よりも国民の(国政の)ために利用したいと考えた当時の国は、現行の土地の形態をひとまず確保し、縁の土地を地域に渡すこととした。もちろん税制上の優遇など多分に配慮が成された。しかし、地域の為の土地利用を望んでテーブルに着いた住民は納得しない。
2011-10-04 00:42:08しかしながら、自衛隊基地に隣接、国道、鉄道網にも面し都心まで30分のこの土地は確かに何かしらの大きな役目を果たすかも知れなかった。そこで国は住民に一時的に納得したいただくために、ある担保を示した。それが先の公園である。
2011-10-04 00:53:16公園は住民にとって、自由な利用が提供される場でありなくてはならない施設だ。その公園を二ヶ所、基地跡地を挟むように設置する計画が「特例認可」された。つまり、将来的に基地跡地を公共利用の為に整備し、2つの公園を繋いでひとつの大きな公園を設置するという具体的担保を住宅に示したことになる
2011-10-04 01:02:07残った基地跡地について、更に利用検討会が開かれた。数回重ねるうち、そこでなんと、国がこう言い始めた。「やはりこの跡地は地元に返さず国が有効利用したい。もちろん地域に不利な計画は行わない」寝耳に水である。公園が担保になっていない。2つの公園を認可した事事態に法的矛盾が生じるのである
2011-10-04 01:14:35そして、そのまま数年が過ぎて利用検討会は遥か先まで平行線、ほぼ凍結状態の空回りが続いた…。そののちにやっと国から示されたのが跡地の市売却とそれに伴う国家公務員宿舎の建設案である。
2011-10-04 01:23:11戦後長期間、市域のど真ん中に広大な未利用地が居座っていたわけだから、この提案にはコンサルタントを巻き込み現実的な検証が建設的に行われていったのである。そして、八割方設計図が描かれ、それを見込んだ商業資本が朝霞駅に価値を見出だし、栄え始めたその時に、「事業仕分け」が始まるのであった
2011-10-04 01:45:29公務員宿舎の建築計画そのものは規模の変更など、まま発生したが、それに伴う人口増加による税収のアップ、土地公示価格の上昇、朝霞のイメージチェンジ、そして何よりも基地跡地を公共利用できる(民間売却含む)チャンスが目の前に来ていたのである。
2011-10-04 01:51:31それが、仕分けられた。また、基地跡地利用計画は頓挫するのである…。あとは政権変わって二転三転、収まるものも収まらず今回の「今後五年間の建設の凍結」が決定されたのである。
2011-10-04 01:55:58しかし、報道を鵜呑みにしてはいけない。あくまでも今回の建設凍結対象は「公務員宿舎」のみの様子。基地跡地の中で建設予定地が占めるのは一部である。(NewSではそこに触れていない!!!)おそらく、それ以外の用地は当初の計画通りに地域に戻されるのではないだろうか?情報収集していきたい。
2011-10-04 02:01:07(今さらなんだけど、他にも多数の要因があったのです。今思い出したのがこれ、というわけなので、地元の方は指摘してくださいませ。)
2011-10-04 02:26:33余談ですが…