自責文化と他責文化、ジャーナリストのアーチスト要素は今どうなっているのか
- tiltintninontun
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演出家がリアリティと演出の関係に付いて「リアルって当人の心情はともかく見た目は結構しょぼいんですけど、みなさんそういうの見たい?」と書いていて、あぁ他責文化かと。
2022-10-24 07:10:44歌手が「アーチスト」と呼ばれるようになったとき「歌手が(artist→アーティスト→)アーチストってなんだよw」と思ったんだけど、よくよく考えてみたら「売れようが売れまいが関係ねぇ!俺はこれを歌うんだ!」という姿勢か、と気がついた。
2022-10-24 07:11:021970年代、フォークソングが世に広まってテレビが出演依頼して、一曲の演奏時間が長いんでちょっと縮めてと頼んだら「この歌はこれで最大限魅力を発揮するんだ、縮めるなんて無理」と断った人が多かった時期があって、ゼニカネの問題じゃないんだ、という時期があった。
2022-10-24 07:12:58エンタメ業界はともかくマスメディアが利益を追求する→売れないと判断した物を他責、読者や視聴者、買う人を引き合いに出すのはおかしいだろ、芸能人とか記者が「○○の存在理由は権力批判だ」とか言うけど、歴史的に権力批判する人は権力に殺されることを覚悟してやっていたわけで、
2022-10-24 07:13:14権力が殺さないように、殺してはいけない世の中に変わってマスメディアも利益追求の姿になっているのに安易な歴史的過去を持ち出すことを自己矛盾と思っていないのはヤバイ。
2022-10-24 07:13:53いや思うこと自体はいいし、おかしいだろと指摘する人は大勢いるんだけど、その判断が他責であって「最終的に売れなかったことに、上役からの責任追求が発生する」ってのは、売れる売れないという基準と「誰が何と言ったってこれは報じるんだ」気概の否定だ。
2022-10-24 07:14:08それって歌手だったら売れなくても自分やスタッフという範囲だからまぁまぁ責任を背負えるのだけど、報道が会社になって、金銭的な責任が自分一人では追い切れなくなって
2022-10-24 07:14:27「みんなで責任を分かち合おう」「記事を持ってくること意外の仕事の人大勢にも給料を払わないといけない」という現実があるんだけど、テレビに出てくる経済学者も経営者もそこを言わない。
2022-10-24 07:14:34ジャーナリズムがアーチスト性を持ち出したら、〝偏向報道〟というのはあり得るのだろうか?「誰が何と言おうが俺はこれを世に発信する!」という姿勢を〝偏向〟というなら、世の藝術家はみんな偏向者だけどそうは言われない。言われるまでもない大前提だからだろうか?
2022-10-24 07:14:46今の時代は藝術であっても差別:女権侵害、他国民・他民族差別、歴史改竄、その世界では尊敬されている人を貶めることは〝(許されない、ではなく)許してはいけないこと〟とされている。
テレビだったら「公共の電波を私物化してはいけない」という要素があるけど、考えて見ればテレビ番組が偏向したという場合、自分の主張に偏りすぎていて他人の意見を聞かない偏向で、
2022-10-24 07:15:07別に左右とは限らない、視聴率ありきに偏りすぎているというベクトルもあるし、現在の常識/過去の常識、日本/外国のバランスもある。
2022-10-24 07:15:14高橋ジョージさんがインタビューで「若い頃企業から仕事が来たんだけど、条件が「バンドの名前がトラブルってのは拙い、なんとかしてくれないか」で、
2022-10-24 07:15:34今だったら「いいですよ、この仕事の間のときはバンド名変えましょう」って言えるけど、当時は若かったら「バンド名込みの俺たちだ!」って断っちゃった。惜しいことした」と言ってたのを聞いたり、
2022-10-24 07:15:47男前豆腐が生まれた経緯は、スーパーが卸している業者に安値を強要し「高いと客は買ってくれない!売れない物を置いてる余裕はない!」と言われ続けて頭に来て「だったら自分で店を作って売ってやる!」と始まって、今では男前豆腐がスーパーに置かれるようになったとかあるんだけど、
2022-10-24 07:15:58ジャーナリズムって案外「ジャーナリズムとは何なのか?」という、定義を問い直す、顧みる作業ってあんまりないね。「ジャーナリズムの存在理由は権力批判だ」で思考停止している輩があまりにも多すぎる。
2022-10-24 07:16:09