初めて観たときの感想
週末『仮面ライダーBLACK SUN』に一気に体力を削られた。「みんなごまかしてるけど、悪を倒す(暴力)って、こういう事だよね」「改人を恐れるのって、こういう事だよね」「永遠に戦いつづけるって、こういう事だよね」と顔に息がかかる距離まで迫ってくる。綺麗事に後退したくて仕方ない。
2022-11-02 01:32:09白石監督の政治的立ち位置への憶測も散見されるが、左も右も、政治的な人ほど本作を嫌うだろう。本作はそれぞれが目を背ける「暗部」を描こうとしてる。だから、物語の出発点と終着点を比べれば、大半が幸せになっていない。でも、大半がより深く真実(自分)と向き合う事になってる。嫌いじゃない。
2022-11-02 01:32:09一方で、そうした物語の重厚さと、コスプレ感満載な「〇〇怪人」やら「変身ポーズ」やら、特撮のお約束とのギャップが凄まじく、何より体力を削られた。距離のとり方次第で、心を抉られる場面にも、笑える場面にも見える。そもそも人生もそんなものかもしれない。あえてやってるなら、これもヤバい。
2022-11-02 01:32:09カイジンと人間
(Ⅰ)人間はカイジンだ
仮面ライダーは「『人間』を改造人間から守る改造人間」である。では、彼が守る「人間」とは何だろう。《われわれが「自然的」とよぶのは、きまってひと昔前のテクノロジーである。その意味で、われわれが「人間的」とよぶものも、ひと昔前のテクノロジーにすぎない》と柄谷行人はいう。
2022-11-12 10:50:29仮面ライダーの怪人は、改造された人間、改人である。それはサイボーグ化や電脳化と何も変わらない。人間は自らの身体・思惟をもテクノロジーによって改良・拡張していく。このホモ・ファベルとして当然の営為を、恐怖や不安の目から捉えた「影」が怪人だといってもよい。即ち、人間は怪人である。
2022-11-13 09:21:57「人間を改人から守る」。この意味で、仮面ライダーは保守的な存在だ。だが、仮面ライダーが描くヒーロー像は、「○○は人間じゃないんですよ」と安全圏で嘲る「人間」達とは大きく異なる。
2022-11-12 10:50:32仮面ライダーは、自分自身も改人であることを知っている。もはや「人間」には戻れない。改造された事を恨みながらも、彼が改人を倒せるのは、改人として得られた力(テクノロジー)によってだ。彼はそれら全てを知っている。石ノ森章太郎によれば、ライダーは仮面の下で苦しみ、泣いている存在だ。
2022-11-12 10:50:32『BLACK SUN』の南光太郎像はこうした原点に忠実だと思う。叶わぬ過去への郷愁を抱え、呪いのように刻まれた「他者の意志」に従い、戦う。自分と同じ悲劇を繰り返させないために。正しいかどうかは別として、そうとしか生きられない人間は、いる。
2022-11-12 10:50:32無知に居直った連中はさておき、たとえば三島由紀夫や江藤淳は、こうしたみずから(保守)の悲劇性に自覚的だったと思う。本作の光太郎に心動かされる人は、今どれだけ残っているんだろう。
2022-11-12 10:50:33(Ⅱ)カイジンは人間だ
改めて『仮面ライダーBLACK SUN』の感想。人間は怪人だ。同時に、光太郎はいう。「怪人は人間だ」と。「誰かと出会って恋もする。子供だって作る。それで生きて、いつか死ぬ。何も特別なことはない」と。
2022-11-12 17:37:40たとえば信彦が信彦であるのは、揺るがぬ出自や思想をもっているからではない。王たる宿命を埋めこまれる前から信彦は信彦だった。暴力に反対していたときも、王殺しに執着しているときも、さらに180度転向して、みずから王になろうと決意してからも、信彦だった。
2022-11-12 17:37:41同様に、光太郎がいかに老いて、落ちぶれ、肉体や生活が枯れていっても、光太郎は光太郎だ。彼らの思想や肉体がいかに変化しようとも、否、彼らの「アイデンティティ」なるものが転変してゆくからこそ、私達はそこに「人間」を見る。彼らが出会いの中で主体化してゆく姿に「人間」を感じる。
2022-11-12 17:37:41信彦が女によって変わっていったように、50年間死んだように生きていた光太郎は、葵と出会い、光太郎を取り戻す。秋月信彦と南光太郎。同じように人間臭い彼らだが、主体化の形式が正反対なのが面白い。
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