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o @ooo157
@goyou セイロンの密教について書かれた本出てきたhttp://t.co/D0TNkt1b金剛サッタ、ターラー、ダラニ、マントラについても載ってる。が、個人的に興味深いのが『三身讃』が書かれた碑文があると報告していること。最近の研究によると梵本は1~3偈のみ回収とのことで貴重
佐藤剛裕 @goyou
@ooo157 あがとうございます。スリランカについては入楞伽経から勉強したいと思っているところです。アヌ・ヨーガの起源とされるマラヤ山はアダムス・ピークなのか?とか。
慈永祐士 @jiei_yushi
横から失礼します。スリランカ密教というのはインド・チベット密教研究者の立場からどの程度研究が進んでいるのでしょうか?インド密教とスリランカ密教はほぼ違わないと見ていいのでしょうか?RT:@goyou スリランカについては入楞伽経から勉強したいと思っているところです。@ooo157
佐藤剛裕 @goyou
@jiei_yushi @ooo157 こんにちは。一般論ですが、現在上座部仏教と呼ばれる形態の東南アジア地域にも密教は広まっていましたよね。その地域から出てくる遺物などを観ていると、かなり発展段階のあとのインドのタントラが伝わっていたような印象を受けますね。
慈永祐士 @jiei_yushi
@goyou 漠然とした問いにも関わらずお答え下さりありがとうございます。私の手元にある資料は少し古いのですが、整理の意味でスリランカ密教について私の知っていることを少しつぶやきます。@ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
その中で、現在の通説等で改まったことがあればご教示いただきたいと思います。 @goyou @ooo157
佐藤剛裕 @goyou
@jiei_yushi @ooo157 いえ、こちらこそ、ご存知のことを教えてください。
慈永祐士 @jiei_yushi
スリランカ仏教の保守:大寺派(マハーヴィハーラ派)と革新:無畏山派(アバヤギリヴィハーラ派)の対立(2世紀)。3世紀、マハー・セーナ王が革新の無畏山派を支持、大寺派の僧侶の虐殺に及ぶが悔恨し祇陀林寺(ジェータワナ・ヴィハーラ)を建立。これで三派に。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
410年から412頃、法顕が来島。『法顕記』には無畏山派の繁栄が記されている。ブッダゴーサの来島はこれよりやや遅い。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
スリランカの上座部仏教教学はこのブッダゴーサによって成立したとするのが一般的な見方。このころに密教があったかどうかが興味深いが、インド本土での密教が7世紀頃なので、その可能性は恐らくない。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
密教は無いものの大乗仏教が伝わっていたことは間違いないようで、3世紀頃から大乗仏教の影響が見られるということで、法顕の来島時に大乗仏教に触れたことは想像がつく。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
638年頃玄奘三蔵が来印。スリランカの政情不安により来島はしないものの、1万人ほど僧侶がおり、大乗仏教が優勢であったという記述あり。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
一方、日本に伝わる真言宗の系譜、金剛智(ヴァジュラボーディ)-不空-恵果-空海を見ると、ヴァジュラボーディが西インド出身で中国に密教を伝えた(真言八祖の一人)。中国へ渡った後、スリランカへ来島し、無畏山寺に半年ほど滞在。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
不空については、スリランカの出身。スマトラでヴァジュラボーディに出会い中国で受戒。師僧遷化後はスリランカに戻り無畏山寺に住む。その後スリランカから密教関係の経論500余部を中国へ持ち帰ったらしい。 @goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
8世紀後半からはタミル人との対立が激化。首都だったアヌラーダプラを守り切れず遷都を何度か余儀なくされる。当時の国王セーナ一世(在位833-853)は密教に帰依したといわれる。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
その後はインド仏教の衰退とスリランカの政情不安により、スリランカ仏教は危機を迎える。11世紀には、大乗仏教もろとも上座部仏教も滅亡を迎える。@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
現在ではブドゥルワーガラというジャングルの中に密教遺跡を見ることができ、そこには釈迦像をはじめ観世音菩薩を中心として脇侍に2菩薩を備えた菩薩像が見られる。金剛杵をもつものもある。この遺跡は9世紀頃のものと推定。 @goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
今の話は前田惠学先生がまとめて朝日カルチャーセンターで1984年ころ講義した物。(仏教-流伝と変容-、大阪書籍)@goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
昨日スリランカの文化展示が開かれて見に行ったのですが、三鈷杵なども出土されていながら、昨今のタミル紛争などもあり、研究が進まず、あまりよくわからないところも大野だとか。 @goyou @ooo157
慈永祐士 @jiei_yushi
これで見ると、日本の真言宗はスリランカの影響が非常に強いと捉えられるように思います。チベット密教と真言宗の差は、チベット密教とスリランカ密教の差だと捉えることは早計ではありますが、こういう視点で見たことがなかったので、興味があります。凡そ以上です。@goyou @ooo157
佐藤剛裕 @goyou
@jiei_yushi @ooo157 恵果阿闍梨の師の不空三蔵がスリランカ出身という説があるのは知りませんでした。Wikipediaの記述を見ると、不空三蔵がスリランカ・南インドから伝えたのは大日経だといわれているのですね。少なくとも交流が深かったことは伺われますね。
佐藤剛裕 @goyou
@jiei_yushi @ooo157 チベットのニンマ派でも母タントラ系のアヌ・ヨーガ・タントラという密教の体系が同地域で感得されたと伝承されています。
佐藤剛裕 @goyou
@jiei_yushi @ooo157 チベットにはパ・ダンパ・サンギェと呼ばれる南インド西部出身の禅師についての伝承があります。スリランカも行動範囲としていたようですが、数百年生きてチベットや四川省までも旅していたという菩提達磨と良く似た存在です。
佐藤剛裕 @goyou
@jiei_yushi @ooo157 南インド西部と対岸のスリランカから北上し、カシミール辺りを経由してチベットや中国にまで東漸していく経路が常にあったとみていく必要があるように思います。
佐藤剛裕 @goyou
@jiei_yushi @ooo157 また、スリランカ人のゲロンマ・パルモ(吉祥比丘尼)という人が観音菩薩を主尊とした断食行法がチベットに伝わっていて今も広く修されています。
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コメント

佐藤哲朗(nāgita)🇱🇰♥️🙏🏻 @naagita 2011年10月6日
@naagitaさんによる薮内聡子『古代中世スリランカの王権と佛教』要訳まとめ http://togetter.com/li/104646 こちらもどうぞ。
@jieiyushi 2011年10月7日
現在、アダムス・ピーク(スリー・パーダ)とブドゥルワーガラの密教遺跡の訪問を計画中。前者は範囲が広すぎるので(スリランカ最高峰。正にスリランカの霊峰「富士」)、その前にした準備の聞き込みをする。後者は、昨今の対タミル紛争で残された地雷撤去の真っ最中。ただ軍と共に行動すれば入れるのではないか、と。こちらも下準備をして、軍と共に尋ねてみようと計画中。
@jieiyushi 2011年10月7日
高山龍智師(@nagabodhi)のつぶやきから、観世音とラーヴァナに関するものを追加しました。
@jieiyushi 2011年10月12日
【関連まとめ】大乗経典に見る部族、そして王権と密教の関係-密教・禅に関連して― http://togetter.com/li/197731、観音菩薩とは何か http://togetter.com/li/198351
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