大乗経典に見る部族、そして王権と密教の関係-密教・禅に関連して―
セイロン島には「デーヴァ」「ナーガ」「ヤクシャ」なる種族(または階級)が存したという件を読んで、「法華経に説かれる八部衆は、それをトーテムとする部族がいたことを示すのですよ」という恩師の(半ば戯れの)話をボンヤリと思い出すなどした。
2011-10-07 20:51:13ヤクシャを統べる者としての天王が、実在の王と同定する(または重なる)という可能性もあるんだろうねえ。なんだかオラ、わくわくしたきたゾ!
2011-10-07 20:52:44ヤクシャ、クベーラ、パーンチカの別が正直よくわかんねんだけど、そういう部族(あるいは部族の長)がいた(のかも知れない)という風に考えれば、分かりやすくはなるネ。
2011-10-07 21:43:19ナーガ(龍)に対する賤視、というのも理由がよく分かんなかったのだけど、「ナーガをトーテムとする部族がインドの周縁民として(ヒドゥイズム的には?)賤視されていた」という解釈が可能になるんだよなあ。
2011-10-07 22:20:31@goyou 特に観音経は、海洋貿易従事者との関連が指摘されてるんですよネ。ということは、島嶼部のスリランカ含めて、インド周縁部における「何か」を反映しているのかナァ、と。
2011-10-07 20:55:57@busterbonze そうですね。梵音海潮音なんていうフレーズもでてきますしね。仏教の伝播の南方ルートを支えていたのは海の民だったのでしょう。
2011-10-07 21:02:53@busterbonze 密教は、古代インドの王権の成人儀礼と関連が深いんですよ。世俗王が天王たる本尊になりきって執政や戦争の指揮を行っていました。
2011-10-07 21:06:14@goyou そういえば灌頂という儀式が即位儀礼と関係してましたネ。日本の皇室で一時期行われていた即位灌頂でも、大日如来の垂迹としての天照になりきる儀式でしたねぇ。
2011-10-07 21:09:44@busterbonze もともとはそちらのほうが原義ともいえるんです。神格、尊格みたいなものを想定する時点で政治的になってくるんですよね。それに対して、禅宗ってのは、そういうものを全部引き剥がそうとした反王権運動でもあったといえるでしょう。
2011-10-07 21:11:58@goyou @busterbonze 真言宗で毎年一月に行われている「御七日御修法(ごしちにちみしほ」という儀式がありますが、これもインドの王が行う儀礼と近いものなのかもしれませんね。もともとこれは天皇陛下の身体(玉体)を加持するための秘儀なんですよね。
2011-10-07 21:20:45@southmtmonk @busterbonze その通りだと思います。日本の古代王権もそれを取り入れていたんですね。その名残りが今でも高野山や東寺には色濃く残っている。
2011-10-07 21:24:56@goyou はー、密教の神秘主義的側面は体系的であるという点において政治的であり、禅宗の場合はアナーキーだ、と理解すれば良いですかネ。
2011-10-07 21:22:08@southmtmonk @goyou 日本において浄土思想や禅宗が一般化した時期が、ちょうど王権の斜陽期だった、というのも何だか象徴的ですネ。
2011-10-07 21:29:47@goyou 晩年の空海さんが「御七日御修法」の実現にあれだけこだわった理由がわかったような気がします。王権は密教儀礼の根源のひとつなんですね。 @busterbonze
2011-10-07 21:30:20@busterbonze なるほど・・・。天皇の王権の衰退とともに高野山の宗教者たちは藤原道長らの浄土信仰に乗り換えていったのかもしれないなぁ @goyou
2011-10-07 21:32:18@goyou @southmtmonk @busterbonze 面白そうなお話ですね。今回のTogetter当番はどなたになりますやら。
2011-10-07 21:36:49