言論の自由のない時代に、自分への批判を弾圧しなかった証拠でもあったって話
そういえば、田沼意次といえば、長く「悪徳政治家」として語られており、その根拠の一つが「同時代の意次を非難批判する文書が、他の為政者に比べ多く残っている」からだったのだが、同時にそれは言論の自由のない時代に、自分への批判を弾圧しなかった証拠でもあったって話があってな。
2022-11-29 09:11:13つまり、他の時代の批判の少ない為政者は、人々から慕われ愛されていたのではなく、そもそもが「わずかでも批判すれば取り締まられる」からだった・・・という考え方。「ない」ことが、ときに大きな意味を持つという話。
2022-11-29 09:12:34まぁ田沼意次の評価に関しては、二転三転繰り返しており、悪徳政治家だった、いや開明的な政治家だった、いやいややはり問題の多い人物だった、いやいやいや近代的な思考を持った人物だった・・・などなどあるので、ここでは置いておくとして、この「ない」「ある」の意味は大きいと思うのな。
2022-11-29 09:14:07現代において、昔よりもはるかに正確な記録が残された時代であっても、十年二十年でびっくりするほど、正確さを失うことがある。 というより、正確な記憶ではなく、「そういうことになった」な記録にもとずいた、未来からの想像としての過去というべきか。
2022-11-29 09:15:26要は、その記録者によるバイアスが、必ず存在するということ。「そういうことにしたい」者が残した記録ということを差し引かないと、実態は見えてこない・・・こういうことを考えると、いつもバグダッシュの顔が思い浮かぶw
2022-11-29 09:18:35まぁわかりやすく例を挙げれば、実際は流行っていないものでも、「大流行でした」と記録しておけば、一世代二世代後の者は、「その時代の人達はみんなこれに夢中だったのだな」と判断するわけです。
2022-11-29 09:19:30同時に、「これが流行っていたということは、その時代の人達は、当時のこんなことやあんなことに不満や不信を感じ、同時にそんなことやこんなことを絶賛し、興味津々だったのだな」となるわけです。
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