スキゾ・〈非-知〉の未完了の体系・近代

@hazuma_bot に触発された@suppatenkohさんが展開した哲学的議論。@ClothSackさんと私@Abraxas_Aeonのツイートも追加しました。
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エルザ=ライニ @ElzaReini

疲れたから寝ようかと思ったが、東ボットの発言について少しだけ書く。RT @hazuma_bot ポストモダンでは大きな物語が失調し、「神」や「社会」もジャンクなサブカルチャーから捏造されるほかなくなる。それはよいとしてではその世界で人間はどのように生きていくのか?(動ポスp46)

2010-05-09 16:50:01
エルザ=ライニ @ElzaReini

近代式大きな物語が生き延びられなかった理由は、そのスキゾ性不足に求められる。どういうことか。近代式大きな物語の説明から始める。近代式大きな物語とは、社会の成員全体に、社会の輝かしい未来を提示することで、行動の指針と生きがいを与えるものだったと整理できる。

2010-05-09 16:54:57
エルザ=ライニ @ElzaReini

具体的には、豊かな生活などの実現を標榜し、その実現のための有効な戦略として、男は会社で女は家庭で働くのが有効なのだと語ることで、実際に会社で働く男と家庭で働く女に、彼/彼女らの労働はきっと実を結ぶ意味あるものなのだと感じさせるわけである。

2010-05-09 16:58:51
エルザ=ライニ @ElzaReini

しかし、この物語は失脚する。第一の原因は、豊かな生活がどうも到来しそうにないという空気が漂ってきたため、信憑性が弱まったから。どうも全世界が平和で豊かにはなりそうにないのである。

2010-05-09 17:02:23
エルザ=ライニ @ElzaReini

第二の原因は、(先進資本主義社会では)多様な生き方が可能になり、多様な生き方に人々が寛容になってきたから。

2010-05-09 17:06:45
エルザ=ライニ @ElzaReini

第三次産業が広まることで、労働の場において性差はあまり意味を成さなくなる。また、都市市民の個人主義は他者からの非干渉を求める代わりに他者への寛容を広げる。そして、情報技術が市民の自由な欲望の補足を可能にし、資本主義と多様な生との共存を可能にする。

2010-05-09 17:06:50
エルザ=ライニ @ElzaReini

こうして、信憑性の低下と、多様な生の可能化とを背景とし、近代式大きな物語は失脚する。かわりに多様な生の可能化を土台として、さまざまなサブカルチャー(小さな物語)が発達する。これが現状なのだった。

2010-05-09 17:09:17
エルザ=ライニ @ElzaReini

(現代社会論は趣味範囲内ですらないので、批判などありましたら、どうか教えてください。よろしくお願いします)

2010-05-09 17:09:57
エルザ=ライニ @ElzaReini

さて、わたしがいま指摘したいのは「近代式大きな物語のスキゾ性不足」なるものであった。これまでの説明を前提に、これからこの概念の説明を開始したいと思う。

2010-05-09 17:11:16
エルザ=ライニ @ElzaReini

もういちど近代式大きな物語が提示したものを見てみよう。それは「豊かな社会」という未来を提示し、「画一化されたライフスタイル」という現状を肯定するものであった。それらは両方とも、社会の成員の中で比較的まとまったイメージとして存在する。人々は似たようなイメージを持ったということだ。

2010-05-09 17:16:27
zutabukuro @ClothSack

@suppatenkoh 近代社会の大きな物語=「社会の成員全体に、社会の輝かしい未来を提示することで、行動の指針と生きがいを与えるもの」というのは、大きな物語の範囲を経済的側面に狭めている思います。これでは経済システム、具体的に言えば資本主義が大きな物語の総体になってしまう。

2010-05-09 17:18:26
エルザ=ライニ @ElzaReini

だからこそ、それは現実によって突破されたのである。未来のイメージはうまく行かぬ現実の政治によって破壊され、現在のイメージは経済と技術により顕わになることの可能になった人々の現実の欲望によって破壊される。現実により破壊されたのは「像」である。

2010-05-09 17:18:47
エルザ=ライニ @ElzaReini

@ClothSack うーん…経済的側面に狭めないならどうなるか教えてもらえませんか?私の力点は、「社会成員全体に似たようなイメージを持たせること」にあったのですが…それでもダメですかね。

2010-05-09 17:21:25
エルザ=ライニ @ElzaReini

つまり要約すれば、近代式大きな物語が社会の成員に提供したのが定立的な像であったために、その像が現実により破壊されると同時に、その近代式大きな物語は力を失ったのである。

2010-05-09 17:23:13
エルザ=ライニ @ElzaReini

わたしがスキゾ性不足といったのは、未来に定立的な像を投影するというそのやり方についてなのだ。スキゾ的人格にとって未来がどのようなものであるかを、近代式大きな物語にとっての未来=定立的像との対比として記そう。

2010-05-09 17:25:41
エルザ=ライニ @ElzaReini

スキゾ的人格にとって未来とは未知なるものである。未知なるものは「~である」と語ることはできず、「~みたいな感じ」と漠然と捉えることすらもできない。未知なるものは、定立的に語ることができないのだ。スキゾ的人格にとって未来は「よくわからないもの」としてしかあらわれない。

2010-05-09 17:28:01
zutabukuro @ClothSack

@suppatenkoh 「社会成員全体に似たようなイメージを持たせること」というのは適切だと思います。しかし、経済的側面に狭めてしまうと持たせるイメージが限定されすぎてしまう気がするのです。例えば近代の代表的なイメージであるリベラル民主主義は経済的側面ではありませんよね。

2010-05-09 17:29:22
エルザ=ライニ @ElzaReini

誤解を防ぐために書いておくと、これはスキゾ的人格は全く未来について気分を持つことが出来ないという意味ではない。スキゾ的人格にもさまざまな現在のものを、未来において到来しうる何ものかの予兆として読むことはできる。「よくわからない」が「現在あるものから予感する」ことは出来るのだ。

2010-05-09 17:30:24
エルザ=ライニ @ElzaReini

@ClothSack なるほど、分かってきました。でも、もう少し詳しくお聞かせください。専門ではないので変な勘違いを自分がしているとマズイですから…。

2010-05-09 17:31:16
エルザ=ライニ @ElzaReini

とにかく、スキゾ的人格は未来にあらわれるものについて定立的に語ることは出来ない。予感することは出来ても、その予感に自信を持つことは出来ない(ここで自信どころか確信を持ってしまうとパラノイアになる)。しかしこのスキゾ的人格の未来への態度は、未来に対し真っ当な態度だといわざるを得ぬ。

2010-05-09 17:34:51
エルザ=ライニ @ElzaReini

未来に何が到来するかはなかなか上手く予測できないということを踏まえれば、スキゾ的な未来への態度は当然となるではないか。もちろん、近代式大きな物語が未来に対し全くパラノイア的であったというつもりはない。イメージが実現するように為された努力はまさに、像の実現のためのものだから。

2010-05-09 17:39:47
エルザ=ライニ @ElzaReini

だが、少なくとも近代式大きな物語の提示した像は破壊された。像が実現するまでの過程の予測がうまくできなかったのだ。

2010-05-09 17:42:22
zutabukuro @ClothSack

@suppatenkoh そうですね、同じように社会成員全体に似たようなイメージを持つ、ナショナリズム(民族主義)を例に考えてみましょう。民族主義を成り立たせているモノは、国民対して行われる経済支援(社会保障)などの経済的側面のみではありません。

2010-05-09 17:46:49
エルザ=ライニ @ElzaReini

というわけで、現在は小さな物語が広く広まってきたわけだが、この小さな物語の枠組みの外のことを考えてみたい。どういうことか。人類史レベルの変化、たとえば新しい生物種の誕生を考えてみる。(やばい、頭がバテてきた)

2010-05-09 17:47:40
エルザ=ライニ @ElzaReini

ちょっと頭がバテてきたので、アイデアを書きなぐって強制終了したほうが分かりやすいのではないかと思うのでそうしよう…。

2010-05-09 17:50:01