第一回・verdunさんの歴史授業・「清朝衰亡と中華民国誕生」第一話・阿片戦争

verdunさんと様々な歴史を学ぶ、verdunさんの歴史授業。 今回は、清朝の衰亡と中華民国の誕生を語ります。
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Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

清朝末期の混乱は、将にヨーロッパ諸国の動乱で在りました。イギリス商人が広州で茶貿易を推進した事が、これの始まりであった。

2011-10-10 23:50:14
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

清朝、インド、イギリスはイギリスを中心にした三角貿易の関係を行いますが、この時インドから銀で買われたのが阿片でした。この阿片の大量輸入は銀を大量に流出させる結果になります。

2011-10-10 23:56:03
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

清では、既に1796年にアヘンの輸入を禁止していましたが、清国内にアヘン吸引の悪弊が広まっていき、健康を害する者が多くなり、風紀も退廃していきました。また、アヘンの輸入代金を銀で払った為にアヘンの輸入量増加により貿易収支が逆転、清国内の銀保有量が激減し銀の高騰を招きました。

2011-10-10 23:57:55
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

しかし、1839年、清朝は強硬策に出て阿片の輸入を全面禁止、海に捨てて消石灰をぶちまけ、化学処理によって投棄します。そうして清朝の役人林則徐は貿易を拒否、まさかの徹底抗戦に出ます。さて、イギリスはそれに怒ります。そして、対応を硬化させていくのです・・・。

2011-10-11 00:02:48
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

阿片取締りに対する抗議に対する国内でも色々と議論は紛糾し、議会可決も僅差と言うギリギリの条件でしたが、「阿片取締りに対する武力抗議」を、イギリスが決定しました。この議決を受けたイギリス海軍は、イギリス東洋艦隊を編成して派遣します。そして1840年、戦争がおきます。

2011-10-11 00:06:25
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

艦隊は広州へは赴かず、いきなり天津沖に姿を現した。北京に近い天津に軍艦が現れたことに驚いた清政府は態度を軟化させますが、1840年11月、イギリス艦隊は清政府に対して香港割譲などの要求を出すとこれを拒否、1841年、艦隊は攻撃を開始しました。これを「阿片戦争」と言います。

2011-10-11 00:08:08
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

イギリス側は完全に制海権を握り、火力にも優るイギリス側が自由に上陸地点を選択出来る状況下において、戦争は複数の拠点を防御しなければならない清側正規軍に対する、一方的な各個撃破の様相を呈し始め、清朝の奮戦空しく1842年8月29日、両国は南京条約に調印し、阿片戦争は終結しました。

2011-10-11 00:10:19
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

南京条約の内容は、1. 香港島割譲2.賠償金2100万$を四年分割で支払う3.広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港4.公行の廃止による貿易完全自由化と、領事裁判権、最恵国待遇、協定関税と言う「(三つ合わせて)不平等条約」を結ばされると言う結果になりました。

2011-10-11 00:13:53
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

因みに、このイギリスと清との不平等条約に他の列強諸国も便乗するところとなり、アメリカ合衆国との望厦条約、フランスとの黄埔条約などが結ばれています。本当に変態と列強は容赦がない。

2011-10-11 00:15:55
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

イギリスが引き起こした目的は大きく言って2つあります。それは、中国を中心とする朝貢体制の打破(列強>中華の力関係の誇示)とと言う外交目標、厳しい貿易制限を撤廃して自国の商品を中国側に買わせると言う経済目標。しかし、結果として経済的には中国が巨大過ぎて敵いませんでした

2011-10-11 00:19:18
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

イギリスはこれを良しとせずに次の機会を伺うようになり、これが第二次阿片戦争とも言われるアロー戦争へとつながっていくことになって行きますが、これはまた次回。

2011-10-11 00:20:39
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

【次回】南京条約により、上海ほか5港の開港を清に約束させ、アヘンの輸出も事実上公認させたイギリスでしたが、内地へと入る事が出来ず、清国内での反英運動も激しくなり、期待した程の商業利益は上がらなかった為、イギリスの政界では、再び戦争を起こして条約の改正を求めるべきだと主張します。

2011-10-11 00:23:36
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

戦争の絶好の口実を探すイギリスは、アロー号拿捕事件を口実にします。イギリス船籍の船に対する清官憲の臨検は不当だと主張し、また逮捕の時に清の官憲がイギリスの国旗を引き摺り下ろした事は、侮辱として抗議します。

2011-10-11 00:28:14
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

実際には、事件当時に既にアロー号の船籍登録は期限を数日過ぎており、アロー号にはイギリス国旗を掲げる権利は無いし、官憲によるアロー号船員の逮捕は全くの合法であったのですが、清朝はそれを全く知らず、また調査もしなかった為に大事件に発展します。つくづく、外交音痴って怖いと思わせます。

2011-10-11 00:29:21
Verdun_843 モンティセロの丘で @Verdun_nkysjan

次回の授業は、「アロー戦争と義和団事件~何処へ行く、中国~」をお送りします。お休み。

2011-10-11 00:32:42