パフォーマティヴィティ概念の解釈をめぐる江口先生とのやりとり

どんだけジュディス・バトラー先生を攻撃したかのメモ - kalliklesの目のなかの丸太日記 - http://t.co/0eVSXvTC
2011-10-10 18:38:41
「性差は社会的に構築されているんだ」と言わされてきた(それだけ強く性差によって性別規範が正当化されてきた)困難な歴史の重みの上で、その隘路を超えてジェンダー概念を使おうとする(性別の社会性を論じようとする)バトラーの関心は、やっぱりジェンダー論にとってはとても重要だと思う。
2011-10-11 00:57:13
逆に言うとそういう問題関心を外して、なんか哲学的な神秘化をしたり、単なる運動論として読んでしまったりすると、バトラーは裸の王様に近くなってしまうように思う。
2011-10-11 01:15:49
@frroots (4)男だとか女だとかハイフェムだとかドラァグだとかみなされることになる、ってことなんでしょうか? それともそれ以外?
2011-10-11 01:24:20
@eguchi1965 訳については行為遂行性でいいと思います。本の中ではオースティンの概念と区別するために訳しませんでしたが、基本的な同じ方向性で考えていくべきと思っていますので。
2011-10-11 01:31:53
@eguchi1965 (まあ何が「同じ」方向性かというのは難しいですが、さしあたり、「我々は言葉使って行為してるよね」というのと同じ水準で、「行為を理解するときにアイデンティティの理解ってこう関わっているよね」と考えていけるという意味で。)
2011-10-11 01:33:10
@eguchi1965 ですので「個人が行為をすることで男や女になる」というよりは、ある行為なり活動なりがおこなわれていると我々が理解するとき、その行為なり活動なりの理解と、行為者のアイデンティティの理解や意図や意思の理解が概念的に結びついておこなわれている、そのありようですね。
2011-10-11 01:33:42
@eguchi1965 たとえば、「自分から男の車に乗ったんだろう」という行為の理解と、「貞操観念がない女性」というアイデンティティの理解と、「性交に同意していた」という意思の理解って、それぞれ結びついて(相互に参照し・支えあう仕方で)おこなわれていますよね、ということです。
2011-10-11 01:38:28
もちろん、ある人がどういう人であるかを知るってことは、結局はその人がどういう場面でどういう行動をする傾向があるか、ってことを観察するしかないわけですが。
2011-10-11 01:44:50
@eguchi1965 どっちからどっちではなく、両者の結びつきのもとで推論がおこなわれるということです。たとえば裁判官が「自分から車に乗って」と被害者の行動を記述し、「貞操観念がない」というアイデンティティ記述を与える様子を本の中では丁寧に見ました。
2011-10-11 01:46:20