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岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
これから高井戸地域センターでSF乱学講座が始まります。講師は門倉直人さんと小泉雅也さん。高井戸へ急げ! #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
門倉直人さんと、小泉雅也さんが会場入りとなりました。今日は普段の倍のスペースが確保されております。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
門倉直人さんの板書が行われております。横軸が万葉ー古今ー新古今ー夢幻能ー江戸コピー文化 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
門倉直人さんの板書2 縦軸はボードリヤール ディック (!) #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
とのことです。とりっくん氏より実況の精度は落ちますが、頑張ります! “@tricken: @orionaveugle 行けなくてすみません、中継楽しみにしてます。”
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
起こしでしたら@ください! RT“@hilowmix: 有坂先生はおこしなのだろうか…。 RT @orionaveugle: 門倉直人さんと、小泉雅也さんが会場入りとなりました。今日は普段の倍のスペースが確保されております。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
乱学講座開始! 門倉直人さんと小泉雅也さんの自己紹介。門倉さんが「シンデレラはなぜカボチャの馬車に乗ったのか」を書くときに世界各地の文化プロセスや精神文化のリサーチをした。日本の神話等で書ききれなかったこと。それに加えて……。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
SFーRPGの「エクリプス・フェイズ」を知った際、はじめて「ポストヒューマン」という考え方を知った。「エクリプス〜」では精神を肉体から切り離すという考え方がある。自分(門倉)の考えでは、仮に精神が肉体から切り離されても自意識の連続性は途切れないのでは。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
ただ、小泉雅也さんと話した際、社会的な連続性が担保されれば、自意識というものは切り離されうるのでは、という意見が伝えられた。ただ、そこから日本神話との連関性が思い浮かんだ。神話では、身の回りの自然現象、あるいは森羅万象を擬人化したりする。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
ギリシア神話をはじめ、「雷」は世界各地で擬人化されやすい対象である。(農業では恵みを与える。) ゼウスしかり。日本では、鳴神。自分たちで寄せてくる。タケミカヅチは藤原氏の守護神。貴族として、世の中を動かしてきた藤原氏と縁が深いのが春日大社。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
鹿が春日大社の神獣なのは、白い鹿を神が連れて行くことになっていたから。神という文字の象形からもわかる。本には書けなかったが角は雷門(らいもん)の形。肥沃な三角錐のような分岐する場所には、重要な要素が発生する。つまり分岐するものへの信仰もある。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
神が生まれると、物語が生まれる。人間との関わりでデミゴッド(半神)が生まれたりする。日本の場合は、神話から英雄伝説から人同士の伝説、民話のプロセスとは異なる。人間自体が自分をごまかす。水彩画のように輪郭をぼかし、神に寄り添ったりする部分がある。不思議な過程。#sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
会場から質問。輪郭がぼやけるのは特定の人間だけか。門倉直人:もっと全体的なもの。個人という概念が希薄なもの。神道における祖霊信仰の考え方に近い。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
なぜそれがポストヒューマンにつながるのかというと、「自分」という形での連続性が曖昧な祖霊信仰的なものと、「エクリプス・フェイズ」で出てくるようなEgo(精神)を投射する考え方、ひいては情報生命体的な考え方に通じるものがあるのではないかと考えたから。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
日本の古典文学の系譜を辿り直す。日本の万葉集「崇拝」。正岡子規の「 万葉集はいいけど、古今集はダメ」という写実主義。古今集、新古今は「 ファンタジー」。万葉集は「リアルな情景」と見える。正岡子規的には万葉集の素朴さ雄大さを褒める。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
ところが、写実主義とは、そもそも象徴主義的なスタンスの詩人の萩原朔太郎も万葉集を礼賛し古今集を批判した。古今集は形式化(連語、掛詞)が進んでいた。万葉集には、防人の歌や呪術的な歌もある。かなりカオス。萩原朔太郎はむしろ形式からの自由を求めたのでは? #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
古今集は小さな枠のなかに宇宙を見いだす箱庭的日本の伝統美を象徴主義的しているし、中国からの影響から脱し、日本独自の文学をつくる基盤ともなったので、古今集の再評価が 必要。新古今では、古今集が作ったフォーマットを解体してしまった。#sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
藤原定家の「禅問答のような」と揶揄される歌。(門倉直人による歌の暗唱)。ただ同時代では理解されず、孫にあたる歌人にも、「祖父は乱詩病」という具合に言われてしまった。精神科医には「統合失調病の兆候が」とすら言われてしまう。#sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
藤原定家はマイナスの文学を作った人。人の存在が、あとにいけば行くほど消えていき、消え失せてしまう。前後を逆にしただけではない。「大空は 梅のにおいに 霞みつつ〜」上の句はかなり朝のイメージ。「曇りも果てぬ 春の夜の月」と、下の句では、昼を飛ばして夜になる! #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
「春の夜の夢の浮橋途絶えして〜」のぶっ飛びぶりの解説。定家の歌で名歌と呼ばれるものは、身分的に不安定な時分に書かれたもの。クーデターで忙しい時に妻に子供ができた。その際にできたのが「大空の〜」の歌。意味の断絶、「空」ができた。狭間に想像を巡らす余地が用意。 #sf_rangaku
岡和田晃_「図書新聞」新刊記念対談掲載 @orionaveugle
定家は、額縁や真空のフラスコのように、隙間をつくるように意味の断絶を駆使した。そのことで、「言いたいことを伝える」ことだった。ただ、定家に「隙間」が生まれることで、インタラクティブになった。定家はつまり、みんながいじりたくなるような素材を用意した。 #sf_rangaku
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