トータル・リビング1986-2011 感想まとめ
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僕はFTで宮沢氏の「トータル・リビング」だけを見た。それは「忘却」と「欠落」をめぐる話で、特に「欠落」は「悪い場所」とリンクすると感じたが、シンポで宮台氏はそれを「ダサさ」と言い換えて肯定した一方で、「トータル―」の中で、「欠落」は明らかに埋められるべきものとして扱われている。
2011-11-10 18:41:44@aki_u_ench 「トータル・リビング1986-2011」を観させて頂き、あの舞台がきっかけで下手くそながら作りました。私はすぐに色々な事を忘れます。でも、忘れたくないし忘れちゃいけないと思い、残しました。あの日テレビの前で感じた、 http://t.co/4uLQNrbR
2011-11-09 16:05:07@aki_u_ench お目汚し失礼いたしました。調子に乗ってもう少しだけ書かせていただきます。未だに自分の中では10月22日に拝見したトータルリビングの白くもやもやとした残滓が漂っていて、時を見ては少しずつ噛み砕いて、継続して鑑賞しています。素敵なものをありがとうございます。
2011-11-06 03:17:46富田克也の『サウダーヂ』にも言えるのですが、岡崎藝術座「レッドと黒の膨張する半球体」は、これまで考えていた自分の文脈を、否が応にも、変更させた。故に、二重に、居心地が悪い。共感と共に「トータル・リビング」に感じていた物足りなさは、居心地の悪さの無さだったのかもしれない。
2011-11-04 00:12:48岡崎藝術座「レッドと黒の膨張する半球体」。宮沢章夫の「トータル・リビング」のことを考えてた。1986年のチェルノブイリのことも語られ、今ここまでのことを「欠落」や「忘却」というキーワードで総括している。
2011-11-03 23:13:15岡崎藝術座「レッドと黒の膨張する半球体」。背後は闇。おそらくそこにマイクが据え置かれて、拡張される音、声。そこは、震災そして原発事故以降の見えなく多弁な現実そのものだった。宮沢章夫の「トータル・リビング」よりも、上手く飲み込め無いにも関わらず、同時代を生きている感じが強くした。
2011-11-03 00:11:07かざかみパンチを観た。散りばめられていたものが、後半ぐぐーっと収束していって「あぁそういうことだったのか」って分かった瞬間に心が震えた。「トータル・リビング」もそうだったけど、今だからこそ、の作品。自分の中の、変化していた、させられた感覚を再認識。
2011-11-03 22:48:05『トータル・リビング1986-2011』に出てくるシャンプーの女とか修羅場の女とか、あの言葉は震災の次の次の日の春式で参加者が語った言葉。私もあの場所にいた。だけど、ふわふわしていた。あんなふうに喋れなかった。動揺していた。どうしてあんなに気丈に話せるのか理解できなかった。
2011-11-03 22:11:45うわー! RT @sasakiatsushi 宮沢章夫さんの『トータルリビング』に、沼野という登場人物が出てくる。彼は文学も映画も演劇も音楽も書いていて、まっとうな研究者ではない、ただのライター上がりで、いろんな雑誌に評論を書いていたら大学から声が掛かったので教えてもいる//
2011-11-02 15:05:43沼野はこんなことを言う。「べつに難しいことを書こうなんて思ってないさ。大学でも大したこと話してるわけじゃない。みんな冗談かもしれない。いいかげんだよ、評論でもなんでも、よく読めばみんなでたらめなんだ」。前半はともかく、僕は自分が書くことを冗談ともでたらめとも思っていないのだ。
2011-11-02 14:49:39宮沢章夫さんの『トータルリビング』に、沼野という登場人物が出てくる。彼は文学も映画も演劇も音楽も書いていて、まっとうな研究者ではない、ただのライター上がりで、いろんな雑誌に評論を書いていたら大学から声が掛かったので教えてもいる、という、どこかの誰かを否応無しに想起させる男である。
2011-11-02 14:46:41→「トータル・リビング」の二作品に演者のライブ映像があることについて、「映画の世紀であること、どこにでも均一な映像が蔓延してることへの批判でしょうか。」と質問したところ、「That's right!」とのこと。レーマン先生と話が合って、これで心おきなくF/T締められるかな。→
2011-11-02 12:35:59昨日は伊月肇監督の『-×-』(マイナスカケルマイナス)を観てから、レーマン講演会へ。『-×-』は長宗我部陽子さんが出てくる前半がやはり異様でよかった。レーマン講演会は「ポストドラマ演劇」後の12年の検証といったところ。最後の質問コーナーでポレシュの「無防備映画都市」と→
2011-11-02 09:03:57内田さんのblogを読んでいて「トータル・リビング」の最後の風景を思い出した。生活者たちが残していった小さなモノと、そこに添えられた言葉たち。3.11に打ち込まれた楔は消える事はない。原発の稼動をしなければいけない人達の言葉をとことん聞いてみたい。
2011-11-02 01:58:18トータル・リビングの感想。難しくて理解できなかった。ジャパニーズ・スリーピングの時は高揚感があったが今回はそれがなく、ぐるぐるとキーワードが脳内で巡る。忘却と欠落。アンチ忘却、アンチ欠落、なのだろうか。しかしサンプリングした言葉はむしろ空々しく響いて、芝居は終わる。?が残る。
2011-10-31 01:22:59『風景画』『横浜借景』『静物画』と観てこれて、色々ほつれているこれをなくさないで時間をかけてさわっていたい。『無防備映画都市』『トータル・リビング』の感覚もわすれない。
2011-10-30 21:25:43観劇レビューUP。遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」 http://t.co/sLcOgQ27 素晴らしい公演だったけれど、そう思った根拠をうまく言語化できない。とりあえず、作品の簡単な概略と感想を残しました。ぜひ再演してほしい。
2011-10-30 13:52:31「少し位置が離れたら、たった1メートルでもいいよ、離れたらなにも見えないんだよ」(『トータル・リビング』) を実感する。ICU祭。ともあれ、元気にステージングしていた。そして、マスク&セリフを伸ばす箇所の悪さ&発声の不備でほとんど何言ってるかわからなかった。
2011-10-29 11:22:19まぁ誰かと見ること、一人で見ることも思考の枷になってる感はあるけど。宮沢章夫先生の舞台は今後も見てみたい。どうもこの人の持つキーワードは私にとって何かしらの共通項があって(東京・世代・サブカルチャー世界・都市)、大小問わずよく影響を受けている気がする。
2011-10-29 01:01:26でも間違いなく私はトータル・リビングを通じて、まがりなりにも自分の中に存在する「3.11」の忘却を理解したし、そこから再び生じた感情を今も留めている。単純に面白いものかと言われれば、そうじゃない。でも見てよかった。その言葉は間違ってないしそう信じたい。ああ、誰かを誘えばよかった
2011-10-29 00:57:43トータル・リビングは感想結局ちゃんと書いてないなぁ。アフタートークは終電がなくなりそうで聞けず、紙には書きなぐるようにしてしか書けなかった。題材が個人的にもしこりが残るこの「2011」「3.11」についてなわけでうまく言語化できないこともあり、また「1986」よりナマモノすぎた。
2011-10-29 00:41:56