東京大学・伊達聖伸教授「日本は「無宗教」の先進国」(毎日新聞)メモ

まとめました。
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日本は「無宗教」の先進国 個人尊重の仏と大きく違う政教分離 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20221… 「日本は、仏よりは米国の宗教政策に近く、個人よりも宗教団体の自由を守ろうとする傾向が強いのではないか。戦前の宗教弾圧の記憶も相まって、団体規制のハードルが高い。教団内の人権侵害も、」⇒ pic.twitter.com/8UXXuELMjJ

2022-12-16 07:59:24
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伊達聖伸東京大教授「教団内の人権侵害も、信教の自由を盾に取られると対応しにくく、信者の苦境は自己責任と見なされかねない。」 「明治政府は欧米文明の基礎にキリスト教があると見抜き、同様に国家の精神的な基礎になるものとして国家神道をつくった。 国家神道は「国民の習俗」とされて、」⇒

2022-12-16 08:02:51
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「法的にも宗教以上の存在だった。国家神道に服するのが大前提で、そのうえで他の宗教を信仰してもよいという二重構造になっていた。 戦後憲法で完全な政教分離体制へと転換し、神道も初めて他の宗教と同列になった。ただし、「習俗」としての神社参拝などは広く残り、」⇒

2022-12-16 08:04:02
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「保守派を中心に「欧米型の政教分離は日本の宗教的伝統になじまない」との意識もくすぶり続けている。 今の日本は、「自分は無宗教」だと信じている人が多数派だと思われる。なぜか。」⇒

2022-12-16 08:05:23
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「戦後の宗教団体は従来にない自由を手に入れ、一部の新宗教が急速に信者を増やした。が、社会の大勢は経済成長に夢中で、宗教は周辺的なものになっていった。 70年ごろを境に、産業構造の変化や核家族化に伴って、従来あった地域や家族に基づく習俗的な宗教行事などにも陰りが見え始めた。」⇒

2022-12-16 08:07:02
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「しかも、高度成長期の一部の新宗教の勧誘などは、世間の目に強引に映っていた。旧統一教会などの霊感商法やオウム真理教の事件もあり、「宗教はアブナイ」という認識が広まって今に至る。」⇒ 宗教は風景であり習俗だったということか。「宗教」が必要不可欠という認識でなく、共有のレベル?

2022-12-16 08:09:59
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「日本国民は、戦前と戦後の宗教制度の断絶を比較的穏やかに受け止めたとされる。理由を、憲法学者の宮沢俊義は「思想ないし信仰の自由というものの価値に対する認識ないし執着の不足」「国民が自分たちの信仰に大きな価値を感じてこなかったからこそ、宗教制度の大転換を簡単に受け入れられた」。⇒

2022-12-16 08:12:12
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「それにしても、自らの信仰なり思想なりに大きな価値を認めない人間が、他者の切実な信仰などを大切にできるだろうか。ここに日仏の違いがありそうだ。」⇒ (伊達教授は宗教と政治を厳格に分離するフランスの「ライシテ」体制の研究者。フランスの反セクト(カルト)法にも詳しい。)

2022-12-16 08:15:50
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「仏は、公的空間でのライシテを受け入れる限りで、個々人の私的空間での信教の自由を認めている。この点で、ライシテは、国家神道のように諸宗教を超越した存在にも見える。ただし、仏での個々人は互いに違うことが大前提だ。」⇒ 無論、「現実は必ずしも一筋縄にはいかないが」(←仏も習俗では?)

2022-12-16 08:20:22
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「いずれにせよ、この文脈でのライシテの訳語は、政教分離よりも多文化共生に近い。そもそも、欧米の自由民主主義には、宗教的な自由の要求から始まった歴史的経緯がある。 今の日本で政教分離といえば、旧統一教会問題でなければ靖国神社問題や公明党と創価学会の関係などが想起されがちだ。」⇒

2022-12-16 08:21:08
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「「アブナイものを政治に混ぜ込むな」という議論で政教分離が語られる。多文化共生は「交流イベントで、外国人も『同じ』人間なんだと知って仲良くなる」イメージか。」⇒ (それも日仏の「習俗」の違いなのかも。だから〝か〟なのでしょうね。)

2022-12-16 08:24:04
何もせんほうがええ @MITARAI_H

「政教分離と多文化共生という二つの言葉から連想されるものが、あまりに遠い。仏と対照的なこの遠さから、日本での「自分は無宗教」や「宗教はアブナイ」の含意、そして民主主義のあり方までも問い直せるのではないだろうか。」 他の国・地域のモデルを持ち込むには、その地の「習俗」を知る必要が。

2022-12-16 08:26:42