災害 風化させぬ決意/防災報道 あり方探る/惨劇の現場、教訓学ぶ/本県で東北マスコミ倫理懇

岩手日報は、約5万人の避難者名簿の掲載と3度実施した住民アンケートなど被災者に求められる紙面のあり方と、13-14日に岩手県内で開かれた東北マスコミ倫理懇のもようを軸に、4個面で展開しています。
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Raymond Rambert @rambert_oran

岩手日報は、約5万人の避難者名簿の掲載と3度実施した住民アンケートなど被災者に求められる紙面のあり方と、13-14日に岩手県内で開かれた東北マスコミ倫理懇のもようを軸に、4個面で展開しています。倫理懇での各社の事例報告は真に迫っています。 @faomori @if2000

2011-10-15 15:59:07
Raymond Rambert @rambert_oran

5万人の避難者名簿については、掲載までの経緯を細かに紹介したものです。言葉足らずになってしまい、失礼いたしました。 @if2000 @faomori

2011-10-15 16:23:23
Raymond Rambert @rambert_oran

取材を終えてから、何度も便箋に書いた宛先のあたりを少し歩いてみた。一見すると何事もなかったような商店街だったけれど、魚屋さんに聞くと、腰の下まで浸水し、その上をがれきが押し寄せてきたという。思いを寄せた人ではなかったけれど、無事で暮らしていてほしい、と願った。

2011-10-15 17:13:26
Raymond Rambert @rambert_oran

きょうから一週間は「新聞週間」。各紙が、自社の取り組みなどを紹介しながら新聞と報道の存在意義を伝えている。岩手日報は4個面で展開。うち「災害 風化させぬ決意/防災報道 あり方探る/惨劇の現場、教訓学ぶ/本県で東北マスコミ倫理懇」からいくつかを紹介する。

2011-10-15 21:52:13
Raymond Rambert @rambert_oran

「(岩手県大槌町を訪れたマスコミ倫理懇参加者は)全壊した町役場や壊滅した町中心部を見下ろせる城山公園を訪れ、町の平野公三総務課長から説明を受けた。震災時のメディアの取材について平野課長は『同じ社に同じ質問をされることがよくあった』として、各社内で情報をしっかり共有するよう求めた」

2011-10-15 21:55:42
Raymond Rambert @rambert_oran

「『ここは私が一番来たくない場所です』。加藤宏暉前町長をはじめ職員40人が犠牲になった同町。多くの同僚を失った平野課長は、惨劇の現場となった役場前でこう切り出し、自らは難とか屋上に逃げ延びた当時の状況を赤裸々に語った」

2011-10-15 21:57:34
Raymond Rambert @rambert_oran

「堤防の近くにありながらすぐに避難せず、庁舎前で災害対策本部会議を開こうとした同町。平野課長は『津波の常襲地でありながら危機管理ができていなかった。自然はそもそも想定外なものと認識しないといけない』と振り返った」

2011-10-15 21:59:02
Raymond Rambert @rambert_oran

「その上で『亡くなった同僚たちの思いを大事に、残った職員が手を取り合って良い町をつくっていきたい』と決意を語った」

2011-10-15 21:59:40
Raymond Rambert @rambert_oran

「災害対策本部で実務を仕切り、報道対応の窓口も担った平野課長は、混乱を極めた震災初期におけるメディアの取材姿勢についても言及」

2011-10-15 22:00:28
Raymond Rambert @rambert_oran

「『不眠不休で気が立っている中、同じ社の違う記者に、同じ質問をされることがたびたびあった。なぜ情報を共有していないんだと感じた』と改善を求めた」

2011-10-15 22:01:20
Raymond Rambert @rambert_oran

懇談会では、岩手、宮城、福島県の新聞・報道メディアからの事例報告もあった。うち、福島民報の早川正也報道部長の報告の要旨を、ここに紹介する。

2011-10-15 22:03:48
Raymond Rambert @rambert_oran

「福島県内は沿岸や警戒地域を除けば、3月11日以前と変わらない生活に戻った。しかし放射性物質という目に見えないもののせいで県民は歯を食いしばり生きている。原発事故の窮状をいかに伝えるか苦慮し東京発の情報にも違和感がある」

2011-10-15 22:05:02
Raymond Rambert @rambert_oran

「農家は農作物が出荷停止となった被害者だが、出荷再開後はネットで『(放射性物質を拡散する)加害者』と批判されている」

2011-10-15 22:05:53
Raymond Rambert @rambert_oran

「県外に避難した母親が『逃げた』と陰口をたたかれ、残った母親は『(放射性物質から子どもを守る)親の責任を果たしていない』と言われる。絆が断ち切られ、コミュニティーが崩壊していく」

2011-10-15 22:06:51
Raymond Rambert @rambert_oran

「農家と消費者、逃げた人と逃げない人。どちらも放射性物質に襲われた県民だ。二者択一ではなく、一歩引いた報道が地元紙の役割。地元メディアに逃げるという選択肢はなく、最後まで踏みとどまって伝えなくてはならない」

2011-10-15 22:07:55
Raymond Rambert @rambert_oran

「原子炉建屋が余震で崩壊したら、再び大量の放射性物質がまき散らされる。しかし、国は事故調査に動き始めており、一区切りついた感じさえ受ける。緊急時避難準備区域の解除もパフォーマンスで、原子炉の冷温停止も除染も手つかずの中では、誰も帰ろうと思わない」

2011-10-15 22:09:28
Raymond Rambert @rambert_oran

「外向けに収束を印象付け、放射性廃棄物の中間貯蔵施設整備や土地収用の地ならしをしている印象だ。住民に我慢を強いて落としどころを探っており、無批判に報道して、幕引きの流れを加速することだけは避けなくてはならない」

2011-10-15 22:10:38
Raymond Rambert @rambert_oran

「個人的に(鉢呂吉雄前経済産業相の)『死の町』発言に違和感はなく、マスコミが過剰反応した言葉狩りが被災者の思いにかなっているのか疑問だ。どれだけ地元に寄り添って発信し続けられるか真の力量が問われている」

2011-10-15 22:11:52
Raymond Rambert @rambert_oran

大津波襲来の瞬間を撮影した岩手日報大船渡支局の鹿糠敏和支局長の報告も紹介する。

2011-10-15 22:14:11
Raymond Rambert @rambert_oran

「地震発生時は大船渡市役所にいた。事前に決めていた津波撮影ポイントを目指したが、国道の渋滞で間に合わないと判断し、大船渡町のスーパーマイヤ屋上に駆け上がった。屋上から津波が街をのみ込み、引き波であらゆる物を海に連れていく一部始終を見た」

2011-10-15 22:15:34
Raymond Rambert @rambert_oran

「写真は撮れたが、四方を海に囲まれて一晩孤立。自分や支局員の安否を本社に伝えられず読者に情報を届けられない状況に陥った」

2011-10-15 22:16:15
Raymond Rambert @rambert_oran

「被災直後、皆が最も知りたがったのは安否情報だった。岩手日報社は約5万人の避難者名簿を掲載。販売店が配達できないところもあり、記者が新聞を避難所に持ち込んだり、コピーして市に届けてもらったりした。紙面を食い入るように見つめる被災者を見るたびに、情報を届ける使命を再認識した」

2011-10-15 22:17:48
Raymond Rambert @rambert_oran

「多くの被災者が快く取材に応じてくれたが時間の経過とともにマスコミへの不信感が出てきたのも事実だ。国内外から大勢の報道陣が訪れたが、中には避難所の居住スペースに踏み入って撮影するクルーも見られた。そういう過ちの積み重ねが、被災者の信頼を損ねていったと思う」

2011-10-15 22:19:02
Raymond Rambert @rambert_oran

「5月に入り、津波襲来の決定的瞬間の写真とルポを掲載した『平成三陸大津波 記者の証言』を書いた」

2011-10-15 22:19:38
Raymond Rambert @rambert_oran

「社内では早い段階で掲載してはどうかとの意見もあったが、私は『がれきの中で行方不明者を捜す人が多数いる中で、記者が生き残った体験談を乗せる時期ではない』と思っており、5月の掲載が正しかったのか、今も答えは出せていない」

2011-10-15 22:23:05