.@yu_hirano の「元下北ロフト店長(現自由ヶ丘ロフトオーナー)の下北ロフトの風景のしゃべり」の語り
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75年下北ロフトの風景−1音楽好きの若者は酒が好きだ。みんな音楽をやっているところではまじめだ。深夜酔っぱらってジャムセッションを良くやっていた。隣で飲んでいるお客に「一緒にジャムろう」なんて言葉がはやった。PAも単純だったし下北に住んでいるミュージシャンて多かった。
2011-10-16 22:09:5475年下北ロフトの風景−2金子マリさんやカルメン・マキさん、山岸潤史さんやひょこ坊(永井充男)がアパートからすぐに飛んできて、いろいろな面白いシーンが生まれたよね。 想い出すのは坂本さんがまだ芸大の大学院の学生だった頃で、みんなから“教授”って呼ばれていたな。
2011-10-16 22:10:3275年下北ロフトの風景−3西荻窪ロフトで坂本龍一はいつも一人ピアノを弾いていたな。あの頃から凄い奴っていう感じだったし、結構語り口は靜かで、どこからあのピアノのイメージっていうか、バイタリティが生まれるんだろう? ってみんなで話していたよ。ライブではいつも“いい女”を探していたよ
2011-10-16 22:12:0675年下北ロフトの風景−4ロッカーってみんな同じで、でもあれだけ女にモテた奴は坂本さんの他にいなかったな。そのティン・パン・アレーの次の世代の連中が下北ロフトの出演バンドの中心だった。無茶苦茶なロフトの使い方をしていたな。喧嘩はするし、ツケは払わないし、女の取り合いはするし、
2011-10-16 22:13:0275年下北ロフトの風景−5ロフトって結構ミュージシャンには優しかったな。やっぱ下北沢ロフトがあの古風な街を変えたんだっていう自負はあるよね。酒も呑めたし、店の中でナンパもできた。主力はニッカのブラック50のボトルキープ。1980円。やはり下北ロフトって言えばサザンでしすよ。
2011-10-16 22:14:1675年下北ロフトの風景−6サザンとのいきさつはギターのター坊(大森隆志、現在は脱退)とパーカッションの毛ガニ(野沢秀行)は、俺が時給350円で雇ったんだよ。みんなロックにつぎ込んで金もなかったし、毛ガニを除いてサザンのメンバー全員が青学の学生だったしね。
2011-10-16 22:15:2875年下北ロフトの風景−7でもね、毛ガニなんか『僕はパーカッションのプロだから手を大事にします。だから洗い物は一切やりません』って宣言された時は参ったよな。他のバイトは『差別だ!』って怒るし 当時スタジオなんてとても高くって借りれられないから、店が終わってから俺が練習させてやった
2011-10-16 22:16:2175年下北ロフトの風景−8(終)サザンのライブって、奴ら一生懸命友達呼んだりして頑張っていたんだけど、お客は入らなかったな。なぜそんなにサザンばっかし優遇させたのかは、うん、サザンは下北ロフトの身内っていう意識が強かったな。店員バンドだったし、屋根裏の昼間の部に出ていたんだ。
2011-10-16 22:18:35ありがとう。下北ロフトの風景のしゃべりは元下北ロフト店長(現自由ヶ丘ロフトオーナー)の語りで私ではありません。RT @myam 良い良い。上梓楽しみにしています。
2011-10-16 22:35:54