大尾侑子『地下出版のメディア史-エロ・グロ、珍書屋、教養主義』読書メモ

6
かんた @0sak1_m1d0r1

敗戦による紙不足の時代に仙花紙という粗悪な再生紙を使って印刷され、エロ・グロ雑誌として蔑視さえされてきたそのメディアは、三号ほどで廃刊することから"三合(三号)で潰れる"粗悪な酒(カストリ焼酎)になぞらえて、カストリ雑誌と呼ばれた。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p3) →うまい

2022-12-12 00:21:24
かんた @0sak1_m1d0r1

つまり、前出の「昔の如く単なる淫書ではなく特殊な研究書であり、文献書である」という一文が示すのは、昭和の軟派出版がこうした猥褻の消費を目的とする出版文化の系譜とは、また異なる性質を持っていたということだ。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p28)

2022-12-12 12:04:32
かんた @0sak1_m1d0r1

小林昌樹は、文学(文芸)系の同人誌の起源について、1885(明治18)年にはじまる尾崎紅葉らの硯友社による肉筆回覧雑誌『我楽多文庫』にあると述べ、その当時は「同人」とは付けずに単に「雑誌」と呼ばれていたという。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p55)

2022-12-13 15:46:42
かんた @0sak1_m1d0r1

「同人誌」であることを否定し、「自費出版同盟」というオルタナティヴを提示するという振る舞いには、文壇追従的立場への拒絶と商業主義的な近代出版システムへの抵抗という意図が込められていたのだ。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p57)

2022-12-13 15:49:49
かんた @0sak1_m1d0r1

「こうした抵抗の芸術としての一面を強く持つマヴォ、さらにはその人脈を共有する『文党』にとって、雑誌をつくる行為はそれ自体が反体制的なパフォーマンスだったのだ。

2022-12-13 15:57:31
かんた @0sak1_m1d0r1

であればこそ、彼等は「同人雑誌」という既存メディアとの差異を、あえて言明しなくてはならなかった」 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p59)

2022-12-13 15:57:43
かんた @0sak1_m1d0r1

この前行った「『地下出版のメディア史』展--珍書屋から辿る軟派出版の世界」 pic.twitter.com/9uuA9y418Y

2022-12-14 14:27:13
拡大
拡大
拡大
拡大
かんた @0sak1_m1d0r1

のちに詳述するように、<原稿市場>が開催された1925年の時点では、尾崎紅葉など明治の文壇大家のものでない限り、作家の直筆原稿はおよそ古書市場では「商品」価値を持たないモノにすぎなかった。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p92,93)

2022-12-14 14:34:20
かんた @0sak1_m1d0r1

「通常「作品」を消費する読者にとって、活字そのものの物質性が意識にのぼることはない。読者が感受するのは、作品=テクスト(と、そこに宿る作家の「精神」)にほかならず、一文字一文字活字を選ぶ労働者の「肉体」労働ではないからだ。

2022-12-15 11:09:52
かんた @0sak1_m1d0r1

しかし、しばしば活字が無作為に反転し、また一部欠落しているとき、読み手ははじめて「活字」の物質性と、その背後に存在する文選や植字工、校正子といった印刷労働者の存在を意識する。それはまさに、共同印刷争議団の生きた姿そのものだ」 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p113)

2022-12-15 11:11:49
かんた @0sak1_m1d0r1

大尾侑子『地下出版のメディア史』、めちゃくちゃ面白い(今年ベスト級)けど誤字が目立つ。こういうのは出版社(慶應義塾大学出版会)とかにお知らせしたほうがいいんだろうか。

2022-12-15 13:49:30
かんた @0sak1_m1d0r1

たとえば文芸評論家の平野謙は、エッセー「本の思い出」のなかで、自身が二十歳の頃に文藝資料会に入会し、佐々木孝丸訳の『ファンニイ・ヒル』を入手したと書いている。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p139)

2022-12-15 14:19:12
かんた @0sak1_m1d0r1

「このように、アカデミズムの世界で生真面目に研究されることのないモノに光を当て、そうしたモノを収集し、趣味として研究した成果を同好の士に向けて雑誌で発表する。

2022-12-15 14:29:40
かんた @0sak1_m1d0r1

この一連の流れこそが、『変態・資料』の醍醐味であり、それは大正期に広がりを見せた「趣味家」と呼ばれる人々の作法そのものであった。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p141)

2022-12-15 14:29:57
かんた @0sak1_m1d0r1

「このように『変態十二史』や『変態・資料』から浮かび上がるのは、単なる一過性の「エロ出版」文化や、その作り手が権力と交渉しながら繰り広げたドタバタ劇だけではない。特徴的であるのは、

2022-12-15 14:47:06
かんた @0sak1_m1d0r1

むしろ言説空間の新規財貨である<変態>を武器として、「正統」とされる文化の周縁、あるいはそこから逸脱する対象をめぐり、各人のスタンスで「研究」に励む姿である」 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p152)

2022-12-15 14:48:58
かんた @0sak1_m1d0r1

読者は伏字箇所に国家の暴力的な権力行使の痕跡を感じ取りつつも、他方でそれを「穴埋め」というかたちで「遊び」へと流用させ、その暴力性を換骨奪胎していったのである。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p154)

2022-12-15 17:58:32
かんた @0sak1_m1d0r1

興味深いのは、彼らが既成文壇を批判し、岩波文化や講談社文化を揶揄し、「腐れ頭の学者」を蔑視しているにもかかわらず、自らの卓越性を証明するときに持ち出すのは世俗的権威である、という滑稽さである。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』160)

2022-12-15 18:17:33
かんた @0sak1_m1d0r1

円本をきっかけに書店自体が広告媒体と化し、それが街頭へと浸潤することで、書店の広告は人々の生活のなかに、たしかに埋め込まれていったのである。 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p185)

2022-12-17 18:54:33
かんた @0sak1_m1d0r1

「このように円本広告は政局を上手く意識しながら「大衆」にアピールし、その出版を国民的イベントのように演出することで、大きな熱狂を生み出していったのである。こうした背景から、杉山は円本ブームを、単なる宣伝合戦の結果ではなく、

2022-12-17 19:06:11
かんた @0sak1_m1d0r1

「大衆による、一種の投票行動」であったと結論づけている」 (大尾侑子『地下出版のメディア史』p187)

2022-12-17 19:06:59
かんた @0sak1_m1d0r1

円本の「全集」というかたちが、体系的教養を求める大衆のニーズにマッチしたというのは面白いな。

2022-12-17 19:09:29
かんた @0sak1_m1d0r1

体系的教養という意味をもつ円本全集は、それを書棚に飾り、来訪者に見せるということによって、他者に自らの教養を示す、つまり「誇示的消費」(ソースティン・ヴェブレン)に資する商品でもあった。 (大尾侑子『地下出版のメディア史実 』p189)

2022-12-17 19:14:40
かんた @0sak1_m1d0r1

改造社や春陽堂は、円本全集の特典に書棚を付けてたらしい。全集を並べた書棚を他者に見せつけたい、という消費者の欲望のために。めちゃくちゃ面白い。

2022-12-17 19:17:04
かんた @0sak1_m1d0r1

「すでに明治半ばから「江戸研究は、趣味人にとって、粋であるために外すことのできない大きなテーマ」であり、洋装本が普及したこの時期、あえて和綴じにこだわり江戸文化への共鳴を示すことは、「粋」を心得ていることの符牒でもあった。

2022-12-17 19:44:54