コンセプト問題-2 (コンセプト×クリティシズム)
- hkohno_abbr
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下記postは・・5/6のジュンク堂「福嶋×池田トークショー」を聴きに行って、そこで語られたこと(「コンテンツvsアーキテクチャ」「コンセプト問題」「パブリック・イメージをねじる批評」「エフェメラル」etc..)に関し、建築やデザインに引き寄せての考えをメモ的に書いたものです→
2010-05-11 10:16:05→あくまで、自分の専門である「建築」でいうと、どういうことか?をまとめたのであり、もちろん、福嶋氏ら登壇者はじめ個人の思想家の方々を批判するものでは、ありません。
2010-05-11 10:19:32theory (theorization , conceptualization) / notion / translation (transformation) / concept(-ual) / realisation, implementation / criticism
2010-05-07 03:20:12日本語の「コンセプト」は、ネーミング、タイトル、アンテナみたいなもので、theorization(理論化)やnotion(概念)の発見・更新の過程では、要らないといえば要らない。
2010-05-07 03:24:07本来、「概念」の意味で、conceptという単語を用いることはほとんど無い。「概念的」というように、抽象度が上がることに近い意味でconceptural~と用いることはあるが。
2010-05-07 03:27:04ex) conceptural design phase:建築でいえば基本構想、conceptural structure:概念的構造)。
2010-05-07 03:27:13スペルミスありました: conceptural(誤)→conceptual(正)です。もちろん。 http://togetter.com/li/20180
2010-05-11 12:00:38なのに、、、「コンセプト」というときに、theorization(理論化)やnotion(概念)の提示の意味まで含有して語ろうとしているから、わかりにくなっているのではないか?
2010-05-07 03:30:28理論化や概念化の作業は、表現されるもの、アプトプットされるものに対してアプリオリにあるのではなく、並行作業。それは、「切断」できる場合もあれば、できない場合もある。そのプロセス自体にとっては「切断」が重要なのではない。
2010-05-07 03:49:11むしろ「切断」が必要とされるのは、ただの「便宜」「方便」として。「コンセプト」を用いるというのは、便宜上のツールとして。くらいに考えたほうがいいのでは。
2010-05-07 03:57:50概念化・理論化は、ideaや分析をカタチに変換する(translate, transformする)際の、見立て、その切り口・射程の提示、企図説明、contextualization(文脈付け)の作業。
2010-05-07 04:03:24なるほど。福嶋氏が言っていた「コンセプト」のニュアンスもこれに近い感じかなと。。 QT @hkohno_abbr: むしろ「切断」が必要とされるのは、ただの「便宜」「方便」として。「コンセプト」を用いるというのは、便宜上のツールとして。くらいに考えたほうがいいのでは。
2010-05-07 04:04:36@i_ken 僕もそう思いますし、それでいいかと。理論化まで含めるのでなく、ただのキャッチコピーでもなく。池上さんの方は、延々理論化やってるんだから確かに「コンセプト要らない」でいい。
2010-05-07 04:23:12.@i_ken あと、「(自動生成される)コンテンツ」か「アーキテクチャー」かというより、variationかsystemかみたいにとらえると、間に「コンセプチュアル」(抽象水準がその間ぐらい:例えばprototypeとか)が入ってもわかりやすいのですが。
2010-05-07 04:41:18criticismは、これ(http://twitter.com/hkohno_abbr/status/13502914119)がどう機能しているか(how they perform, how it works)を確認すること。また、それは概念化・理論化にフィードバック可能。
2010-05-07 11:10:27それによって新たなf(x)が生み出されること、別のnotionを再び提示できること。それを「ツイスト」と呼ぶなら呼んでもよい。・・・(対して)「コンセプト」のほうは、フィードバックもなにもないから、その意味では不要。
2010-05-07 11:15:01「コンテンツだけでも構造だけでもなく」というより、「variationだけでもsystemだけでもなく」。variationの前、prototype, type。それらのformationの原理を話す、っていうことでよいのでは。(それをコンセプトというからわからなくなる)。
2010-05-07 11:18:34ああ、ひとつ忘れた。複数の時系列の話。IDがあるから呼び戻せる(切断必要)という話vs.そのまま流してその中からより豊穣な構造を浮かび上がらせるという話も、対立的にとらえる必要ないのでは。〈formation〉に〈recursive call〉のしくみさえ発見できれば。
2010-05-07 11:24:33コルビジェもすでにやってたよね、そんなことは(単純にアルゴリズム指向でなく)。フィボナッチで。anyway・・・・。
2010-05-07 11:31:40もうひとつ。formationを見立てるとき必要なのは何がvariantで何がinvariantかを定義すること。invariantは、「個々が変っても、その関係性は変らない」などというときの、その関係性の系ということでもよい。
2010-05-07 11:42:19「エフェメラル」だって、そういう観念的な水準でなくて、もっと具体的に定義できる(notion)。建築で言う短命化とは何かだってもうかなり以前から議論されてるし、「一瞬だけど、意識下で持続する」表現とは何かとかも物性・具象・現前を前提に話する。
2010-05-07 14:28:18建築は、所詮、概念とモノ〈モルフェとヒューレ〉との相克があるから、逃げはきかない。それに比べると、あちら方面は、それがない。どうも甘い観念論で逃げ道つくる議論しているように聞こえることがある。
2010-05-07 14:32:14フラーが提示したエフェメラリゼーションの概念は、空間的距離と情報論的距離の両方扱っているとも。。。
2010-05-07 15:07:27ちなみに、福嶋亮大×池田純一「『神話が考える』の後に 村上春樹「1Q84」・情報社会・批評のこれから」まとめは、 @consabaさんによる、こちら:http://togetter.com/li/19071
2010-05-11 10:24:46