『鎌倉殿の13人』最終回 感想

私的メモ
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リンク www.nhk-ondemand.jp 鎌倉殿の13人 平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。1180年、頼朝が挙兵するとこの無謀な大ばくちに乗った北条義時は頼朝第一の側近となり、平家を打ち破った鎌倉幕府のかじとりを担う。やがて三代将軍・実朝が没し源氏の正統が途絶えたとき北条氏は幕府の頂点に!都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。武家政権の命運を賭け義時は最後の決戦に挑んだ─。三谷幸喜が贈る予測不能エンターテインメント! 1
河樹 彬 @e_rewhon

『鎌倉殿の13人』最終回、48話から1週間。流石にネタバレも何もなくなったと思うので、感想。

2022-12-24 10:49:56
河樹 彬 @e_rewhon

最終回サブタイ「報いの時」。またもダブルミーニング。主人公・北条義時がこれまでの報いを受ける回であり、ようやく報われる回でもある。主人公が妻(のえ)と親友(三浦義村)と姉(北条政子)とに殺され、のたうち回る。壮絶な最期だが、どこか「報われた」気持ちにもなる。完璧な最終回。

2022-12-24 10:49:57
河樹 彬 @e_rewhon

各々との最後の対面。妻は(妻であることを止めて、ではなく)妻として見てほしかったがゆえに義時を憎み、友は(友であることを止めて、ではなく)いつまでも友であったがゆえに、義時に嫉妬した。義時の権力が、ではなく、義時という人間が彼らを動かしていた。義時は最後にそれを知る。

2022-12-24 10:49:57
河樹 彬 @e_rewhon

33話、運慶は「迷いが救い」だと語った。45話、義時の顔を「迷いのない」「つまらん」酷い顔だと評す。最終話、運慶に彫らせた自画像(顔は左右で歪み、13か12の穴が開いている)を切り捨てようとした時、義時に死が迫る。人には見せられぬ、という事は、彼はそれを真実の自画像だと認めている。

2022-12-24 10:49:57

慈母として、ともに地獄に落ちる

河樹 彬 @e_rewhon

最後の場面、義時は、姉・政子(と視聴者に)彼が「迷い=救い」を失くした理由を吐露する。息子・泰時のため「この世の怒りと呪いを全て抱えて、私は地獄へもっていく」と。政子と視聴者は、運慶が彫った義時の「真実」をすでに見ている。彼がそれを切ろうとしたことを知っている。

2022-12-24 10:49:58
河樹 彬 @e_rewhon

義時は自分を抉り、開いたままになっている13の穴、犠牲者の名を一人一人数える。ここで政子が頼家の名から、自分にかけられていた「嘘」に気づく。本作の政子は「稀代の悪女」ではなく「慈母」のごとくに描かれていたが、そうした政子の慈母ぶりは義時の「嘘」と表裏一体だった。

2022-12-24 10:49:58
河樹 彬 @e_rewhon

それに気づいた姉・政子は、「寂しい思いはさせません。私もそう遠くないうちにそちらに行きます」と、義時の生命を絶つ。47話の政子は義時の生命を救った。だが、47話までの政子では、義時と同じところ(地獄)には行けない。慈母が慈母であるがゆえに、慈母として地獄におちる。凄まじい脚本。

2022-12-24 10:49:59

救いがないということ自体が救い

河樹 彬 @e_rewhon

最終回は、一方で温みに満ちた(だが、基本的には第1話の北条家と変わらぬ)泰時達の団欒を映す。そのために犠牲になった義時の「孤独」が際立つが、上述の通り、最終回は、彼という人間が実は「孤独ではなかった」ことも、きちんと彼自身に見せている。泣ける。

2022-12-24 10:49:59
河樹 彬 @e_rewhon

坂口安吾は《モラルがないということ自体がモラル》であり《救いがないということ自体が救い》である地点から、文学は、否、人間は出発する、と語った(坂口安吾「文学のふるさと」)。私達は「せつなさ」という感覚を頼りに、そうした「人間のふるさと」を感知する。>aozora.gr.jp/cards/001095/f…

2022-12-24 10:50:00
リンク www.aozora.gr.jp 坂口安吾 文学のふるさと 14 users 157
河樹 彬 @e_rewhon

安吾が言うように、現身の人間は孤独ではない。救いも求められる。同時に、人間の生存(実存)は、孤独に苛まれている。救いがない。両者の絡まり、「救いがないということ自体が救い」を描くドラマは、私達の心を打つ。『鎌倉殿の13人』、最後までFARCEに満ちた、凄まじいドラマでした。

2022-12-24 10:50:00