- quantumspin
- 629
- 0
- 0
- 0
本日発売された『法月綸太郎の消息』(講談社文庫)の解説を書かせてもらいました。法月ミステリを読み解く一助となれば幸いです。 #法月綸太郎 #講談社文庫 @mwjsince1947 bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0…
2022-10-14 07:56:36本書で初めて私の存在を知った方が大半だと思うので、改めて、なぜ私が法月綸太郎の文庫解説を書いているのか、そこに至る経緯を記しておきます。
2022-10-15 11:08:41まず日本推理作家協会の70周年記念書評・評論コンクールで「『都市伝説パズル』と後期クイーン的問題」が第一回受賞作に選ばれ、私は評論の世界に足を踏み入れました。これは今でも協会HPで読めます。考えてみれば、デビュー前からすでに法月さんにはお世話になっていました mystery.or.jp/review/index.h…
2022-10-15 11:18:35私の評論デビューは講談社メフィスト誌で行われた「メフィスト評論賞」という企画で、私の「ガウス平面の殺人」がこの第一回に受賞しました。メフィスト評論賞は一回で打ち切りになってしまいましたが、、これを立ち上げ審査員をされていたのが法月さんでした。amazon.co.jp/dp/B081YW1LD4/… @amazonJP
2022-10-15 11:35:37「ガウス平面の殺人」が世に出たのが2019年12月で、これに先立ち『法月綸太郎の消息』が同年9月に出版されていますが、当然「ガウス平面」執筆時点で自分は『消息』を読んでおらず、だからこそ読後のインパクトは強烈でした。自分の論旨の欠落を『消息』が補填してくれているように感じられたからです
2022-10-15 11:44:52そこで「ガウス平面」と『消息』とのアウフヘーベンを目指したのが「本格ミステリの原罪」でしたが、今読み返すと、この頃はまだ「ガウス平面」の理論的射程をつかみ切れていなかったようにも思えます。暗闇を手探りで進んでいる感がにじみ出ていて、みずみずしくはあります amazon.co.jp/dp/B086JTXM3C/…
2022-10-15 11:54:58「ガウス平面」と『消息』との理論的綜合はいまではすでに完成していて、概説的な文章がいずれどこかで出版される予定ではあります。一方で『消息』の衝撃を誰も言語化してくれない事に業を煮やして、以下の連投もおこなっていました。これは今回の解説の原型になっていますtogetter.com/li/1896794
2022-10-15 12:11:51このつぶやきを恐らく法月さんが読んでくれていて、今回のお話につながったようです。近年の本格ミステリ大賞の傾向など見ても感じますが、近年のミステリ評論は批評よりも研究に近づいていて、『消息』で法月さんが目指したような、テクストを読み換えていくタイプの文章がめっきり減ってしまった
2022-10-15 12:26:14この契機は「容疑者X論争」あたりにあるのかもしれませんが、かつての大量死論や後期クイーン的問題に匹敵する批評がテン年代には力をなくしています。『消息』や『フェアプレイの向こう側』で法月さんがかろうじて繋ぎ止めているミステリ批評のアクチュアリティを、微力ながら絶やさず残したいですね
2022-10-15 12:37:21穿った見方をすると、技芸的な批評は批評ではない、と言う話になってしまうのではなかろうか。まあ実際に批評家はそんなふうに言ってそうではあるが
2022-10-28 18:37:10解釈の発明まで行くと、理論とか評論とか言った、具体的な構造に達しているわけで、批評というのはそれ以前の〝姿勢〟のようなものと思えるんですよね
2022-10-30 07:37:39例えば研究は批評なくして行えない。ある科学理論があった時、それを無自覚に受け容れてしまっては科学の進歩はないわけで、だから科学理論は反証に開かれている。いわゆる反証可能性というヤツです
2022-10-30 07:39:53この反証というのか、既成の科学理論を疑うまなざしというのは、まさに批評そのものと思える。そして、そうしたまなざしで既成概念を解体し再構成したとき、それを(科学)理論と呼ぶわけです。このプロセスは評論のそれとほとんど同じに見える
2022-10-30 07:43:36科学理論の場合、その新規性・進歩性によってインパクトが決まってくるわけで、これは評論においても変わらない。だから自分がこれまで研究と批評との違いと思っていたのは、研究と評論との違いであって、批評というのは研究ないし評論の前提になっている「まなざし」のことと、最近では思っている
2022-10-30 07:46:53端的にいって、批評というのは「くよくよする事」というのか、既成理論に対して内省していくプロセスなわけで、それがあらたな形をなし、既成のそれをアップデートしていく営みは、すでに批評と呼ばれるフェイズをこえている気がするんですよね
2022-10-30 07:50:16批評とか批判を、他者を否定することのように捉えている方をよく見かける。あるいはそれに対する反論で、批評家は芸術家だ、といったりする方も見かける。でも自分の感覚では、批評って「くよくよする事」なので、そんなたいそうなものだったかな、と思ってしまうんです
2022-10-30 07:53:31同様に、批評とは解釈の発明だ、という意見も違う気がする。自分も昔はそこを混乱していたんだけれど、よく考えるとそれは評論ないし理論の話ですかね
2022-10-30 07:55:45評論ないし理論が芸術だというのは、とてもしっくりくる。それはひとつの構築物であって、崇高で、つよい評論(理論)は鑑賞者に作用し彼らの世界観をゆさぶるものだからです。でも批評が芸術と言われると、それって本当か、と思ってしまう
2022-10-30 08:00:52批評は価値判断だと言われることもある。でも価値尺度を構築した時点で、それはすでに批評のフェイズを超えているように感じる。なぜなら、その時点で批評家は自身の価値判断を疑う事をやめてしまっているのだから
2022-10-30 08:04:02