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2011年10月18日

旧軍の重戦車

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這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

さて、ドイツ戦車と言えばティーガーシリーズがあまりにも有名です。その重戦車らしい姿と、その強力な砲があまりにも魅力的なのでしょうね。

2011-10-18 12:40:26
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

さて、重戦車といえば各国様々なものを開発していましたが、日本には重戦車は無かったのか?何故無かったのか?

2011-10-18 12:50:14
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

今日はこんな時間に、そんな日本の重戦車事情についてちょこっと小話。

2011-10-18 12:50:47
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

さて、試製一号戦車が開発されて、日本が独自の戦車開発に一歩脚を踏み出した頃、八九式戦車と共に、性能は良かったのですが「重すぎ」と採用を蹴られた、そんな試製一号戦車を元にした支援戦車の開発が進められました。

2011-10-18 12:56:24
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

それが「試製九一式重戦車」です。主砲は当初は5.7cm砲を搭載していたのですが、後から7cm砲に変えられています。他の装備は軽機関銃が3挺と、日本の戦車の中では結構豪華です。 http://t.co/Ix9dCqNO

2011-10-18 13:04:52
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這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

装甲は主要部で20mmと、少し薄いようにも感じますが、まあ当時の重戦車ならこんなものでしょう。エンジンは「BMW IV 水冷直列6気筒ガソリンエンジン」で、224hpものパワーが出せる代物です。なお、人員は5名でした。

2011-10-18 13:06:50
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

元々対ソを主体にしていた陸軍、戦地となる場所の地盤が軟弱地が多いということから、18tもある試製一号戦車の採用を見送ったわけですが、やっぱり敵に対して優位に立ちたい……そんな思いで開発したのがこの戦車のようです。

2011-10-18 13:09:36
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

まあそんなこんなで、一応試製型として採用された九一式重戦車ですが、結局一両しか開発されませんでした。原因はよく分からないのですが、やはり戦車運用にそこまで慣れてなかった当時、16tと言う巨体は手を焼いたのでしょうか?

2011-10-18 13:13:56
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

まあそんな九一式重戦車も水に流れてその翌年の1932年、各国はどっかの変態国が流行らせた「多砲塔戦車」の開発に勤しんでおり、旧軍もその流行りを見て「うちも九一式重戦車を元に作ってみよか、多砲塔戦車」と、開発を開始。数年後の1934年に試作車が製作されます。

2011-10-18 13:18:36
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

そんなこんなで出来上がったのが「九五式重戦車」です。武装は以前も使った7cm砲に加えて3.7cm砲も前面に搭載。その代わり車載機銃が1挺減ってる形です。まあ、前面機銃座を潰して砲を乗っけたとしかゲフンゲフン http://t.co/eG7RbhEh

2011-10-18 13:24:24
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這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

そのかわり装甲厚は前面35mm、側面30mmと試製九一式重戦車より肉厚で、重量もそのぶん25tと増加。エンジンも航空機用の「BMW IV 水冷直列6気筒ガソリンエンジン」を改造し、290hpの大馬力を出せる代物に交換しています。

2011-10-18 13:27:01
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

実用試験では路上最大速度20km/hを叩き出し、九五式重戦車として採用され、早速4両ほど量産されたのですが……当時はもうトラックなどの軍用車両の性能が向上し、低速で鈍重な重戦車がついていけるような脚では無く、追撃戦を出来るスピードではありませんでした。

2011-10-18 13:30:16
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

追撃戦では軽装甲高速の軽戦車や重装甲車が活躍し、その間に陸軍は戦車を軽・中の二輌運用方針を固め、九五式重戦車はお役御免となってしまったのです……

2011-10-18 13:32:15
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

まあ流石に少し勿体無いと感じたのか、四輌のうちの一輌だけは全砲塔を取っ払い、後部に開放式の戦闘室を設け、10cmカノン砲を防盾ごと載せた自走カノン砲タイプを開発し、それにはカナ式の秘匿名称「ジロ」の名が与えられています。

2011-10-18 13:35:35
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

……とまあ、結局日本でも重戦車の案は初期の頃にあったのですが、重戦車では当時の運動戦についていけず、自然と廃れてしまったというのが正直なところです。日本は当時の重戦車に戦術的意味を見いだせず、無駄な戦車に開発を継続するよりも、もっと別のものにリソースを振りたがったのです。

2011-10-18 13:38:20
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

しかし、欧州戦の勃発により戦車が恐竜的進化を見せ始め、戦車の巨大化が顕著になり始めた頃、日本の重戦車開発がにわかに再浮上するのですが……と、言う所で一旦休憩をはさみます。この続きは今日の夜にでもー

2011-10-18 13:41:14
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

さて、何かここまでに出た質問や意見などあればどぞー まあ、こんな時間ですし無いとは思いますが……

2011-10-18 13:42:05
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

前回までのあらすじ:重戦車って、重くて遅いし追撃戦に間に合わないから使えなくね?

2011-10-18 20:00:58
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

と、言うわけで日本は軽戦車・中戦車の2輌方式で太平洋戦線に突入。そこで各国の戦車の恐竜的進化を実際痛感し、一式4.7cm機動砲の配備を急ぐなど、戦車や歩兵部隊の対戦車能力を強化していきます。

2011-10-18 20:03:30
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

そのわずか1年ほど前、とある陸軍大佐の私物命令で、正規の手順を踏まずに極秘に設計された重戦車がありました。その名も「100t戦車」その存在は研究所内ですら緘口令により開発担当者しか知らず、設計した試作用部品ですら、別々の工場で作らせるといった徹底ぶりでした。

2011-10-18 20:14:47
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

1944年に一切の証拠が処分されてしまったので写真はありませんが、主砲は10cmカノン砲を1門、副砲に75mm戦車砲1門、あるいは2門とも、3.7cm戦車砲を2門を装備していたとも言われています。

2011-10-18 20:20:06
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

車体装甲厚は前方で75mm、側面で35mmと強固な作りになっており、その巨体を支えるエンジンは BMW改造水冷12気筒ガソリンエンジン(550hp)を2つ使用しており、運用人数は脅威の11名というかなりの人数でした。

2011-10-18 20:24:39
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

そんなこんなで三菱重工業の東京製作所で厳重な体制で完成させた試作車1輌は、分解してトレーラーに載せられ、50kmの道のりを夜間のみで走行し、10日間かけて相模造兵廠の装甲試験場に到着します。

2011-10-18 20:29:13
這い寄る混沌@最近低浮上 @Nyarlathotep_44

到着した戦車は早速組み立てられ、走行試験を開始します。しかし、廠内試走路は一部のコンクリート製舗装路走行を除き、大半が山林や畑を整地しただけの場所で、100t戦車のキャタピラは直進しただけでみるみるうちに自重で沈み、走行できなくなってしまったのです。

2011-10-18 20:32:23
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