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昔のおせち料理

板前さんが昔のおせち料理の話をしていました。各家庭からの注文で作られていたとか。
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板前 @itamaebenichi

お節料理>私が知る限りのお話です。昭和戦争前にはお節料理は家庭で作るのが当たり前でした。料理店でお節料理の一部(単品)を作り始めたのは戦争前、私の店はこの地ではお節料理店売りを初めて売り始めた店であったと祖父から聞きました。

2022-12-19 10:55:51
板前 @itamaebenichi

戦後になって店で作っていたお節料理は、現在のように画一化して決まった献立ではなくて、一軒一軒別々の料理をオーダーで作っていました。店には各家庭から輪島塗のお重箱が届けられ、六畳ほどの部屋にいっぱいの輪島が並び品評会のようであったことを覚えています。

2022-12-19 10:58:20
板前 @itamaebenichi

お重箱にはそれぞれ「栗きんとん多め」「田作りなしで」「鶏団子たっぷり」などなどそれぞれに注文の荷札がついていました。

2022-12-19 10:59:29
板前 @itamaebenichi

お重箱の大きさも形も段数もそれぞれで、さらに注文に会わせて料理を盛り込むのはそれなりの技術がいったのでした。仕込みの量もお仕着せではありませんので難しかったと思います。

2022-12-19 11:01:12
板前 @itamaebenichi

一番大きなお座敷に料理とお重箱がならびひとつひとつ盛り込んだ後は、値段の決定です。子供たちがそろばんを持って「鶏団子一つ○○円」「達磨玉子一枚○○円」と計算して値段が決まるのです。当時、輪島のお重箱を持つ家だと、細かい値段について文句をいう方などいませんでした。

2022-12-19 11:03:37
板前 @itamaebenichi

毎年見えるお客様の中には、玄関にどっかり腰を据えて、一品ずつ味見をして、「これとこれとこれ」とその場で指定する人もいたのです。そういうやり方が変わったのは昭和40年代。ホテルが参入した頃です。

2022-12-19 11:05:56
板前 @itamaebenichi

もともとは大都市のホテルで始まったのですが、広まるのはあっという間。ホテルで現在のように折り箱に入ったお節料理の販売が始まりました。この変革はかなり大きなショックを与えました。

2022-12-19 11:07:13
板前 @itamaebenichi

当時は有名ホテル(地元)で注文することもステータスの一つであったのでした。父は「そんなもんお節じゃぁない」と意地を張っていましたが、数年後には現在の形のような決まった折り箱に入ったお節料理に変わったのでした。たぶん昭和40年代半ば。

2022-12-19 11:09:44
板前 @itamaebenichi

その後、ホテル大型料理店のお節料理の全盛期はしばらく続きました。個人店でお節料理を作るのにはやはりハードルが高くて敬遠しがちでした。大きな変化はお節料理の既製品が現れ始めてからです。現在販売されるお節料理の多くは、既製品(工場製品)を詰めたものです。

2022-12-19 11:15:04
板前 @itamaebenichi

コンビニやスーパーだけでなく、規模を大きく売るお節料理のほとんどは既製品で埋めつくされます。ホテルのお節料理も既製品が多くなり、一時期に超人気は廃れていきます。厳しい経済状況の中、ホテルを始め大きな規模の料理店の苦戦の時期と時を同じくしてお節料理のあり方も変わってきました。

2022-12-19 11:17:55
板前 @itamaebenichi

40代以下の方に、お節料理は折り箱に決まった献立詰められたものは存在しなかったといっても想像の範疇を超えているかもしれませんね。家庭で作るものというのも理解はできても、黒豆が焚ける方、伊達巻きができる方は少数派のはず。

2022-12-19 11:26:18
板前 @itamaebenichi

個人店でお節料理を作る店は増えましたが、仕事は通常とは全く違いますので、それなりの苦労がつきまとうのは当然のこと。あるイタリアンのシェフが「親方の仕事は残した方がいいですよ」とおっしゃってくれましたが、一年に一回の仕事ですから簡単に残せるものでもありませんよね。

2022-12-19 11:28:45
板前 @itamaebenichi

ありがたくご指摘をいただきましたので、訂正を。私の記憶にあるのは昭和30年代から。昭和30年代には甘いだけでごちそうのイメージがあり洋菓子、特に生クリーム系はまだ一般的ではありませんでした。その時代にはきんとんは人気商品。昭和40年代もまだその名残はありました。

2022-12-28 09:29:40
板前 @itamaebenichi

私がこの仕事に入り、地元に帰った昭和55年当時。甘いものは豊富にはなっていました。が、お節料理にはまだ栗きんとん、豆きんとん、金玉(きんぎょく)、ようかんなどがたっぷり入っていました。お節料理に甘いものが少なくなったのは昭和60年代になってからという記憶があります。

2022-12-28 09:29:41
板前 @itamaebenichi

ついでに言えば昭和期にはお節料理の味付けがいまよりもずっと濃いものでした。大晦日にお節を受け取り、床の間に置いて正月に食べても大丈夫なようにしっかり味付けしました。冷蔵庫に入れれば三が日食べても問題ないというのがお節料理であったのです。

2022-12-28 09:32:27
板前 @itamaebenichi

お節料理の味付け問題。昭和期、平成初めくらいまで料理の味付けは甘辛いものが多いものでした(自社比較)美味しさよりも日持ちが大切でした。料理が傷むことがなにより怖かったのです。全体に江戸料理の名残をとどめていたように思います。ですから出汁を使ったり薄味にしたりは禁物でした。

2022-12-28 10:15:27
板前 @itamaebenichi

料理の味付け問題2>>>お節料理の宿命はできたてを食べることができないことです。調理にも翌日翌々日に美味しく食べられること、傷まないことが何より大事です。ちまたの「出来合調理済み食品」は日持ちのための品質管理がしっかりしています。個人店の手仕事よりも安心して食べられるという皮肉。

2022-12-28 10:40:53
板前 @itamaebenichi

つまり大量生産のお節料理の方が安全性が高いということが言えてしまうのです。なにしろ私など保存料のようなものを見たことも使ったこともありません。手仕事には保存のリスクがつきまといます。大きな料理屋さんホテル系列がお節料理に参入した昭和40年代、初回で食中毒を出して散々であったことも

2022-12-28 10:43:58
板前 @itamaebenichi

もちろん現在のように賞味期限の制約がゆるく、家全体がもっと寒く(こたつと火鉢の時代)なければ成立しません、

2022-12-28 09:33:52
板前 @itamaebenichi

現在のように>>現在よりも  っすね。(笑)

2022-12-28 09:50:51
板前 @itamaebenichi

丹波黒豆 早朝から深夜までコトコト コトコト pic.twitter.com/Ug5nh5tJLH

2022-12-25 09:49:41
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板前 @itamaebenichi

昨日16時間焚いた丹波黒豆 熱々に蒸してから熱い蜜に入れて焚きます。 pic.twitter.com/qdxC21TJE7

2022-12-26 08:17:32
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