平成30年7月、西日本豪雨に思う
シン・ゴジラ公開から、もうすぐ2年経ちます。2年前、劇場を出た私は「続編はありえない」と思っていました。あの映画は3.11以後の現実を(そこにある微かな希望を含め)最高の形でエンタメに昇華していたからです。ですが、先の西日本豪雨をへて「シン・ゴジラの逆襲」もアリだと思い始めてます。
2018-07-20 03:02:17シン・ゴジラは、3.11という未曾有の「災害」を得体の知れぬ怪獣に置きかえ、「日本」との対決を描いた作品でした。戦いの中心には政治家たちがいて、彼らはそれぞれ己の信念に従って力を尽くします。外国、企業、そして国民と向き合い、未曾有の国難に立ち向かっていこうとします。
2018-07-20 03:02:17同じ手法で、先日の西日本豪雨「災害」をゴジラに置きかえ、それに「日本」がどう対峙したのかを考えてみると、それだけで様々な物語が思い浮かびます。私達はあのゴジラとの遭遇(3.11)から何を学んだのか(学び損ねたのか)。あの出来事は、この国の何を変えたのか(変えなかったのか)。
2018-07-20 03:02:18シン・ゴジラの「続き」があったとします。3.11「以後」の災害対応や政治の現実を思えば、その内容は前作以上に悲惨なものとなるでしょう。そんな中、どこに希望を見いだせばいいか。更に言えば、かりに「日本」それ自体がもう一つの怪物として動き出したとき、私達はどうしたらいいのか。
2018-07-20 03:02:18ゴジラの逆襲
閑話休題。思えば、旧ゴジラの続編『ゴジラの逆襲』は、「西日本」が怪獣に蹂躙される物語でした。映画の中では、前回(関東)での経験をもとに怪獣対策が練られます。しかし、一部の人々の短絡的な行動を引き金に、今度は大阪の市街地に怪獣が上陸。再び多くの命が失われることになります。
2018-07-20 03:02:19さて、この映画で最後に事態を収束させたのは、天才科学者でもなければ、有能な政治家でもなく、民間の若き飛行機乗りでした。一般に駄作と評される『逆襲』ですが、この辺り、嫌いになれません。
2018-07-20 03:02:19むろん、ただの飛行機乗りに、怪獣を「倒す」力はありません。この映画でも、友人達(自衛官)の力をかりて封じ込めるのが精一杯でした。怪獣を仕留め、あるいは凍結することは、「科学」や「政治」の力なくしては不可能です(ですから、私達はそれらに無関心であってはいけないのでしょう)。
2018-07-20 03:02:19でも、それらが間に合わないときは? 『逆襲』の青年は、友人とともに怪獣を足止めしようと尽力します。お目出度い話にも見えますが、彼の無謀には、権威に頼らず、個の連帯を信じる「大阪人の気概」のようなものも感じられます。原作者は、その姿に微かな希望を託したのでしょう。嫌いになれません。
2018-07-20 03:02:20二種の怪獣、二種の災い
シン・ゴジラの「続き」があったとします。私は夢想します。その物語は『ゴジラの逆襲』に近いものになるかもしれない、と。2種類の怪物。怪獣対策とその失敗。いまだ結像しない希望のかたち。そんな3.11以後の現実を(そこにある微かな希望を含め)昇華しようと思うならば。
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